夏至の日は明けぬうちから目覚めたり
陽とともに目覚めし夏至の長昼寝
床で見る夜空も秋の雲なりぬ
雨匂う窓を閉じれば時の音
台風や破れた傘はいくつかな
夏至の日は明けぬうちから目覚めたり
陽とともに目覚めし夏至の長昼寝
床で見る夜空も秋の雲なりぬ
雨匂う窓を閉じれば時の音
台風や破れた傘はいくつかな
樹高十数メートルの黒松が枯れてしまった。数年前に下の一枝が枯れて「松食い虫」に感染したと思っていたのだが、九月半ばまでは健全に見えた。
それが一日一日と赤茶けていき、10日ほどで全体が枯れ上がってしまった。本当に「あれよ、あれよ!」という早さであった。枝を切って放置しておいても、半月くらいは緑を維持しているのに、病気とは恐ろしいものである。
景観的にも見苦しいから除伐したいのだが、重心方向に道具小屋があって梢が到達する範囲だから、この高さで切り倒せない。先端を詰めたいけど、わが身は自由が利かない。切り刻んでも薬液や焼却処理は出来ない。「ないないづくし」で、当座は放置するしかないけれど、無様な感染源の姿をさらしておくのも気が滅入る。
放置して5~6年後に枝が落ち、10年後くらいには腐食して倒れるのだろうが、その頃には会友共々、全員が70代で活動もしていないだろうから「まっいいか。しょうがない。」と自嘲気味で眺める一本である。
この時期は、いたるところにジョロウグモの巣が張り巡らされて閉口する。
拠点へのルートにも多々あるのだが、その一つにキイロスズメバチだろうか、掛かっていた。動きが妖しいので、恐る恐る寄ってみると、巣に掛かった虫を団子にしている。自分自身の脚も巣に掛かったままである。
家主のジョロウグモは巣の端にいるが接近しようとはしていない。風と蜂の動きで撮影でき難くいし、焦点が背景に合ってしまい勝ちで、撮りきれないうちに団子作りは終了し、足の糸を噛み切って飛び去ってしまった。千歳一隅のチャンスだったのに加えて、採餌中は攻撃モードに成り難いと理解していても、この時期のスズメバチには接近したくない怖気づく気持ちもある。
餌になる昆虫などはワンサカいるのに、よりによって蜘蛛の巣に絡んだ虫を狩るとは「あらぶるキイロスズメバチ」の名に恥じない迷行動だ。
この農地セシウムいかん農夫言う今は在りとて子孫は無しに
セシウムの高き土壌と言われても田畑なれば捨て作りする
建前の解除いかほど役に立つ除染手付かずインフラも無し
縦横に猪道走る薮田なり猪は餌とる施死有無の土地
島の国逃げる場所などあらざりき丸き地球も逃げれば戻る
蔽いつくされて水面が見えなくなっている泥水地の1,2番の除草をした。草を引き上げるとヤゴなども一緒だった。体長6cmほどのヤゴもいて、明らかにオニヤンマ類のヤゴだ。見えるものは水に戻したが、埋もれて水に戻れないヤゴも多かったのではないか。水生生物にとっては、まさしく天変地異であったろう。
蛍の幼虫は確認できなかったが、カワニナが日光も当たらない日陰の水底で、かなりの密度で生存していた。これは嬉しい。ただ、草を抜き曳く作業は思いのほか大変だった。受傷前ならどうて事なかった作業強度でも、今は負担に感じる。
それでも二枚の泥水地に水の移動が復活したし、メダカも結構増えていて、弱い流路だけど「メダカの学校」が出現した。トンボ池より採集し易いから、おっつけ掬い取られて全滅かも…。
まあ、所詮は「自己満足」の活動だけど、「後は野となれ山となれ」と言う訳にもいかんし・・・。
まだ足元不如意であるが、解決する頃は春が過ぎているだろうし、今現在必要とされる手間があるのだ、と理屈をこねてリハビリがてら幼樹の刈りだしを行う。
八月に刈り払い機で下草刈りを行ってあった場所だが、すでに腰くらいまでの草丈になっている。伸びているだけなら良いのだが、蔓性のノササゲやヤマノイモなどは幼樹を覆い隠すまでになっていた。
枝を傷めないように蔓を外すと幼樹には葉っぱ一枚付いていないのが多い。「枯れたのか?」と思えば冬芽はしっかりと付いていて安心した。
日が短くなったとは言え、落葉には早いから、何枚かでも葉が残っていれば成長の足しにはなっていただろうと思うけれど、「やらないよりはまし」位のことしか出来ないこの身である。平坦地ならまだしも、不整地で思わぬ窪みやコブに健足を置くと、患足は軸足として対応でき難い。筋力も戻っていないから足場を確認しての一歩一歩は時間のかかる作業となった。情けないことに三千歩程度でかかと付近がピリピリしてくる。
今日の今日まで「ヌスビトハギ」と思っていたのは「アレチヌスビトハギ」だった。ついに我が家の勝手口先にまで侵入してきた。フイールドの人が入るところは、殆ど姿を見られるほど近年大繁殖をしている植物の一つである。きっとフイールドから運搬した種子からの発芽に間違いないだろう。
近似種があるのは承知していたが、特に鑑別することもなく「ヌスビトハギ」と思っていたのだが、図鑑を当たったら種子の連なりが二個ではないので「荒地ヌスビトハギ」だった。小生的にはその程度の相違なら「ヌスビトハギ」ひとくくりでかまわないのだが、会話の中に出してしまったらそれは「人括り」になってしまいかねない。まあ、ただしい呼称でこれからは言える。
花が綺麗なので騙されるが、翌年にはバブルのようにはじけて大繁殖だ。撮影だけして処分となった。まだ未熟果だけど「引っ付き力」はしっかりしている。小さくても全面密着感のある高性能の戦略種子なのだ。一冬越してもその接着力はしっかりと維持されているはなはだ迷惑な代物で、つい先日まで永田にも生えていた…。こっちには戦略などは全く無かったけれど。
ラジオより夏の思い出明けぬ空若き日の時歩きし木道
今宵また夜風を背に伏し居れば心は山のビバークの時
あの日から見る人も無き草村の月はこうこう虫の音ちりり
色は空空は色なりあの月も肥えれば細る細れば肥える
泥水地を覆っているミゾソバやイヌタデなど抜き取って水面を出していたら動くものがある。サワガニやカワニナなどだ。トンボのヤゴは確認できなかった。水辺には一匹だけ糸トンボがいた。泥鰌はいない。
サワガニはともかく、カワニナの生存は危ぶんでいたのだ。今日、泥の中でも生き残りがいたのでほっとした。幼虫は見なかったが、この一帯は蛍の発生場所でもあるからだ。水辺の回復は今期からだけれど、この結果、トンボや蛍の発生が増えてくれると嬉しい。まあ、これは「お楽しみ」の内だ…。
気になるのは、ようやく馴染んできた水辺にタモを持った親子連れが散見できるようになったことである。市内でメダカを掬える水辺など無いから気持ちは判らなくはないが、たかだか10坪程度の水溜りである。お持ち帰りでは、すぐ消滅だ。口コミなのだろうが、これも一種の風評被害か…。
竜宮にたどりついたる旅人は戻る道なし乙姫の席
海の宮里にあらずも安らかに幾多の人よ南無阿弥陀仏
深き海かいなに抱きしあまた身をわたつみあやす右に左に
音のみ泣くあかずに泣きて止みもせぬ段波段波の津波のごとく
もう発生しないと思っていた場所にナラタケが発生した。帰りに採集しようと思っていたのだが、帰宅して気がついた。
まあ、誰も採集する人はいないから明日でもかまわないのだが、小生自身が現地へ到着して思い出すかどうか心もとない。
最盛期の頃の様に、背負い籠一杯になるほど発生する環境ではなくなったけれど、沢山採れても、誰彼かまわずおすそ分け出来るキノコでも無いし、丁度良い量かも知れない。
保存は効かないし、沢山食べると胃腸障害を起こすとも言われているから、一食分で十分である。最初に収穫した時、味噌汁に入れたのだが、白い胡麻みたいなのがいっぱい浮遊してきた。気にも留めないで食したのだけれど、後で良く見たら全て幼虫だった。これ以来、塩水に漬けてから調理するようになった。