トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

社の沢でカジカガエル

2019-06-04 | 旅行記
 トンボや小魚を探しに水田地帯を彷徨したが皆無だった。社へ参拝のおりオニヤンマやサワガニの溢れていた小沢に降りてみた。「カワトンボくらい見れるかも…」の淡い期待もできない期待と思いつつもその期待に賭けてみたのだ。

 「やっぱり駄目だ」と思っていたところに石の上から水底に入った動きを見た。「蛙だ!」と思ったものの、まさかカジカガエルとは思わなかった。両手で水底から掬い取ったカエルはまさしくカジカガエルであった。
 沢筋も主母川の浅瀬もカジカガエルの鳴く時刻には立ち入らなかったし郷里にカジカガエルが生息していようとは想いもしなかった。鎮守の森はモリアオガエルだけと思っていた。

 水田地帯を歩いたらカエル一匹隠れる草地もない。だから「カエル飛び込む水の音」も無しで農機の音や姿を消し去れば「行雲停水」、飛翔するトンボ一匹いない水田地帯だった。沢の木漏れ日の下で聞こえてくる微かでもよく通るカジカガエルの鳴き声は「祇園精舎鐘の音」と同じく「色即是空 空即是色」そのものに思えた。
 まったく「故郷は遠くにありて想うもの」なのだろう。

                     


こんなチョウチョはいなかった!?

2019-06-01 | 旅行記
 帰省してトンボもいないモンシロチョウも見ない、集落にツバメも飛んでいないの「無い無い尽くし」に呆れつつ山裾の社に立ち寄った時、中型のチョウの飛翔が目に留まった。「ゴマダラチョウか?」と推定したけれど核心は無い。アサギマダラでは無いのは理解した。

 この種を少年時代に見た記憶は皆無なのだ。当時を思い返せばこの環境下に足を踏み入れる必然性は低かったから遭遇しなかっただけかもしれないものの、注意していると山裾と草地の境界に結構数が居た。
 撮影しようにも落ち着かず、ようやく撮れた数枚も翅の写角がきつくて平面で写せなかった。そのため模様の全体像が不明確だ。それでも写真を図鑑と対照してみて「ゴマダラチョウ」に思える。
 フイールドでの記憶は無いので恐らく初めて見たのかもしれないが短期記憶の劣化という個人的事情も捨てきれないので、すべてはゴマダラの彼方に…。ただフイールドに近頃アカボシゴマダラが定着してきたから郷里でも可能性はありうるが、兄弟の誰も関心を持っていないので疑問は疑問のままになった。

                      



**三兄偲べば

2019-06-01 | 旅行記
         牛ヶ嶺残雪蒼天母の里
                 母よ抱けと悼む同胞

         風雪を越え同胞の先陣を
                 残る同胞偲ぶ河原よ

         先陣の同胞悼む湯の宿は
                 同胞競う病歴自慢

         長姉の見当識も春霞
                 おぼろ朧の旅して還る

         雪形の金次郎消ゆ三山の
                 残雪の嶺崩す代掻き

         臨終を看取る事無き兄弟の
                 悼む集いも最初で最後

雛鳥の初夏

2019-05-23 | 旅行記
 墓参りに立ち寄った境内に雀の雛かいた。まっこと「可愛い!!!」としか言いようがない。芝草に立てば姿も判然としなくなるし裸地に立てばこれも見出しにくい。小生を避け離れよう隠れようとしても境内では身を隠すすべもない。

 巣から落ちた雛に間違いはないものの仏閣の建物で巣作り出来る場所は高い。羽ばたいても浮力を生じさせられない翼でも怪我なく着地出来たようだ。雛はそれほど鳴かず親鳥も見守ってい居るはずなのに鳴き声を交わさない静かな木漏れ日の境内だった。

 少し離れてみていると親鳥が飛来し給餌して飛びあがってしまった早業をみた。これは「スズメ返し」とでも言おうか。鳴き声を交わすのが少ないと感じたのは捕食動物がいないのかどうか知らないものの「田舎のスズメはのんびりしている」とおもったひと時である。

 自宅付近のイソヒヨドリも巣立ちした雛と親との鳴き交わしが頻繁になった。昼間は小屋根を移動しているが夜間はどこがお宿になるのだろうか。まあ、鳥の事より小生が宿六にならないように気を付けねば。
 と思いつつの昨夕の事、親鳥二匹が「ヒッヒ! ヒッヒ!」と騒ぎ立て始めた。何事かと外に出たら隣の駐車場の敷地に猫がいる。どうも雛が近くにいるようで騒いでいるのだろう。そのうちスズメも四羽軒先で飛び上がったり下りたりしている。スズメのこんな行動は初めて見た。営巣しているツバメの仲間を呼んで騒ぎ立てる姿はままみているけれど、イソヒヨドリと雀の一緒に騒ぎ立てる様子を動画で撮れば良かったと悔やまれる。
 さて一夜明けた今朝、いつもの親子の鳴き交わしもなくひっそりとした朝に戻った。
 

               

アリ地獄、地獄のお釜の地獄

2019-05-20 | 旅行記
 少年の頃、アリ地獄の番地は「お社様の縁の下」なのだった。今回帰省した折り、お稲荷様や鎮守様を詣でたのだが、やはり行うべき行動は参拝では無く「覗き」だった。少年の頃とは異なり縁の下や床下に入り込めないように風通しを妨げないように板張りになっていた。

 そこを覗いてみたら「開けてびっくり玉手箱」ならぬ「覗いてびっくり地獄の地獄」だったのだ。地獄の全てを写真で網羅してはいないが3枚をアップしている。大きなサイズはプリンのカップ程7㎝前後はある大きさだった。
 どれほど大きい幼虫が居るのか掘り取って確認したい衝動もあったけれど、基本は「写真に撮るだけ」を曲げず「惜しいかな惜しいかな」と薄くなった後ろ髪を引かれて帰ったのだった。

 拠点道具小屋の床下にもアリ地獄は出来るのだが濡れ縁を取り付け屋根を取り付け木工工作をするようになってから木屑や木挽き粉で環境を消失させてしまった。だから久しぶりに見た大群落?、いいえ地獄の釜が密集している場所だったのだがニュースと重ね合わせると爆撃の跡にも見えてくるのだった。

 つらつら覗いていると「まっこと地獄は幼虫の方だ」と気付いた。見ていても蟻っ子一匹動いていない。何時ご馳走に有り付けるか判らないまま空腹の刻を過ごす胸中はいかほどだろうか。爆撃に恐れおののく人々の静寂が見える。

                        

                 狩るなれの飢餓より強くありそよぐ木々

                 辛抱や辛抱の果て夏の空

                 カゲロウの命なれども耐えて羽化

水田地帯の砂漠化

2019-05-19 | 旅行記
 久しぶりに郷里を法事で訪れた。百名山にも加えられたる魚沼三山の峰々はまだ残雪が多く春には遠い。
 この郷里の名峰でも登頂はして無いから「せめて中腹のトレッキングコースでも」とゴンドラを利用してプランを立てたのだが開山の7月にならないと運行は無く登る事は叶わなかった。

 余る時間を少年時代の記憶を頼りに歩いてみた。遠くまで出かけられないので歩いていける範囲だったが惨憺たる有様だった。水田地帯が広がり田植えが進行中で風景としてとらえれば「懐かしい」一言の情景だったもののマクロからミクロに視点を移すと、もう驚愕と落胆しかなかったのである。

                   
 魚沼連峰や谷川連峰の豊富な雪解け水と、それを運ぶ母川の賜物で肥沃な土壌が与えられお米の名産地として世に出た田舎であるが、うわべの栄華はそのままでも内実はすっかり砂漠だった。「こんな郷土に誰がした!」と叫びたくなる実態があった。あの名作「沈黙の春」を切り取って再現した光景に他ならなかったのだ。

 実家の裏手の農道から歩いてみた。既に昔の水路は無く耕地整理された水田が見渡す限り続いている。用水のほとんどは暗渠とパイプラインで配水され小さな水路は三面張りかU字溝だ。堤を土で形成した水路は全く無いし田圃以外の水溜りも存在していない。極めて効率的に「米作」一点に集約された環境になってしまった。
 そのうえ収穫が終われば次の代掻きまで水の入らない乾田となる。この条件は田圃を頼りに世代を重ねてきた生物に致命的。壊滅的被害を与えている。

 湛水した水田で動くものはアメンボだけ、ミジンコすら見えない。U字溝にはタニシさえ居らず、当然のごとくドジョウも見る事叶わなかった。農道や畦を歩いても植生の大半はスギナであって単純植生ここに極まれりである。
 水生生物がいない。植生が貧弱だから蝶も飛んでいない。二日間の歩きまわりでもトンボ一匹出会わなかった。すでに里山里地とは言えない、お米もゲージに入れられて産卵だけ期待されるニワトリみたいになってしまった。

 次兄の住む地域は丘陵部を背景にした平野部に入るが、雪解けの頃、数少ない小さな水溜りにトノサマガエルが産卵に集まると、これを目当てにタヌキやカラスが集まるのがお約束なのだそうな。運よくオタマジャクシになったとしてもその頃に田圃の水が抜かれ「土用干し」が始まる。このサイクルで少ないオタマジャクシまで死滅への道を与えられていく。
 産地によっては「乾さない水路を残す」手間を捨てず保全を図る動きもあるようだが、わが郷里はそこまでに至っていない。かくして生物は絶滅へまっしぐらである。沈黙の春ならず寡黙の春だったのは法事のせいだけではなかった。

 豊かな水資源と肥沃な土壌を有していても実態は砂漠そのものだった事実は哀しい。これはそのまま労働市場にも当てはまり労働者もゲージのニワトリに等しい。これでは既に労働者とは言えないか・・・。それなのに馬鹿どもは「生めよ増やせよ!」だとか。馬鹿しても身分保障の完璧な畜生は偉い偉いと怖いもの知らずでのさばっておるのだ!!!。

                     浮き世さえ涙累々の砂漠なり

こけら版「花を看、還た花を看る」 5 森の星

2019-03-26 | 旅行記
 被地植物ではないだろうがロゼット状の植物で何となく可憐な雰囲気の植物だった。林床を埋め尽くすほどではなかったものの、ここかしこに花を見られ、極めてありふれた植物である。和名は「ツマドリソウ」と言うのだとかで、現地では「森の星」で通っていた。まさしくその雰囲気アリアリで、オオイヌノフグリやママコノシリヌグイ、はてまたヘクソカズラなんて命名より好感が持てる。

 ママコノシリヌグイやヘクソカズラは許容できるとしてもオオイヌノフグリを命名した学者は誰なのだろう。普通は花後の状態より開花している状態こそ注目できる植物と思うけれど、命名権者の深層はうかがい知れないものがある。

 撮影して整理もしないままに1年が過ぎようとしている今となっては記憶も朧になりメモを見ても役に立たなくなった。さてどれがツマドリソウなのか見当もつかず下に掲げた植物も「被疑者」に見えてしまった。最終的には文頭の写真が正しいのだったが日本にも自生していたとは知らなかった。
 若いみぎり、高山植物を追って山行していた小生であるけれど記憶が全くないのである。そろそろマダラが始まった徴候か。
 これは脳内の神経索に開花した星に由るのだとかと記憶している。「脳の星」や「皮膚の星」なんてものになるとロマンチックとは程遠い。まあ「ロウカチック」と言うべき現象であろうか…。

                         

こけら版「花を看、還た花を看る」4 マンテマ属

2019-03-19 | 旅行記
 北国の5月末だったから「サクラソウか!?」と遠目に見て思ったのだった。近くに寄れない崖地の草薮から花色だけが見えている。
 気にするまでもなくトンボウオッチングする彷徨の道すがら随所に見出す事が出来て、全体を観察できる近さの株に出会って初めて「サクラソウでは無かった」と思い至ったのである。花色と形はサクラソウそのものに想え、園芸種でないサクラソウを観れた事に多少の喜びがあったのだけれどサクラだったに過ぎない。

 どの種かと見当をつけたのは「ムシトリナデシコ」の類ではないだろうかと言う事で帰国してから図書館で調べてみた。「これだ!」と言う図説に当たったのだけれどコピーも書籍名も記録しておかなかったため、その後再び図書館で図鑑を探したけれど見つけれなかった。
 だから「マンテマ属」であろうと言う事ぐらいしか見当がつかない。現地では珍しい植物でもなく、まあ、誰も気にも留めない道端の野草、崖地の植生程度の認識だったが、小生には初体験としてのインパクトがあった花である。

 ムシトリナデシコは北ヨーロッパからの帰化植物と図鑑にあったから近縁種だろうを手掛かりにしらべたものの再度ページを見る事は叶わず情けない…。

                 

こけら版「花を看、還た花を看る」 3 ハナタネツケバナ

2019-03-05 | 旅行記
 現地の五月始め、寄宿先となるの庭で満開だったハナタネツケバナは下旬にはちらほらとしか見る事が出来ず楽しみにしていた小生としてはガッカリしたのだった。日本では北海道の湿原でしか見られないと聞いているから貴重種なのだろう。
 そんな野草が芝生の庭全面を覆い尽くすように咲き誇っている景観はぜひとも見たい風景だったのだが「時期すでに遅し!」で、日本的に言えば「遅かりし由良助…」なのだった。

 それでも数株は見る事も撮影する事も出来て魅力の片りんは味わえたのだった。外野的に観れば何のことは無い白い小さい花でしかないけれど、北国の春を告げる妖精に思えるのは小生の穿ち過ぎであろうか…。

                 

こけら版「花を看 還た花を看る」 2 日本原産種

2019-01-23 | 旅行記
 寄宿先の近所に八重桜が1本咲いていた。緯度も異なるから日本とは1カ月近くも遅い。まさか桜を見るとは思わなかったけれど「庭木」としての植栽だったので「趣味か」と納得したのだった。
 しかしながらその後、湖水にトンボを尋ねて行った先に桜の列植があったのには驚いた。一重の桜だったから花期は過ぎていて花は見る事もなかったのだが道路沿え20本ほど植えてあった。

 公園でもなく人々の往来する場所でもないところに植えた根拠は分かりかねるが、湖水に灌ぐ渓谷に火薬の原料を水力粉砕する工場跡があり、昔は軍の管理下にあったと言うから「史跡整備」の一環なのだろう。
 桜は現地の人達もそれなりに楽しめるし環境被害を発生させるようなことは無いだろうが、寄宿先の周辺や名所の山域にイタドリの大繁殖が見られた。イノコログサも侵出しているようだったけれど英国の席巻振りのように「あれまっ!」と思えるほどでもなかった。しかしながらイタドリは草丈2mを超え株元の直径も握っても指先が合わぬ程の育ちぶりで、よほど環境にあったものと見える。

      敷地内の八重桜        火薬工場跡の桜列植

            庭の周囲のイタドリ群落

                      シャクナゲ、説明は日本産とあったけれど…      

   


こけら版「花を看 還た花を看る」 

2019-01-05 | 旅行記
 新春となった。「花」と言えば「桜」なのだろうが「ウメ」も横綱格であろう。とは言え小生としては魅力を感じない。上を向いたり下を見たりが好みで、まあ、浮気性なのであろうか。
 花を題材にする心算も無かったのだが年末年始の蟄居状態では記事になるような出来事もない日々となって何回かテーマにしてみる気になった。言わばナメクジとカタツムリ、トンボ類、鳥類に続く第4段。
 撮影時期から既に6カ月も経過したので写真を見ても記憶は朧月夜である。湖沼周辺の狭い範囲を歩いて撮影した植物ばかりだし、生物や植物を連日彷徨徘徊しながら撮影していたのは「観光地巡り」より価値を感じたからである。
 スカンジナビア半島の自然景観が雄大で本邦とは比較にならない名所があるのは承知の上で「千歳一隅」の機会を活かさなかったのだ。その代わり「繊細一遇」を追っていたという日々の結果が「こけら版」なのである。

 小生、その道に通じている訳でもないが「お通じ」だけはボケていない。「おっ!珍しい、綺麗だ」程度の認識の「こけら版」なのでご承知おきを。

 最初に気づいたのは庭にあったナナカマドの花である。ナナカマドは小生のフイールドに「キハダ」と混同され送られて植樹した数本があるが開花には至っていないし、登山をしていたころナナカマドの紅葉は見ているが花期に行った事が無く初見である。
 いわゆる「オオデマリ」風の花に見えたが葉が異なっていて樹種不明だった。家人に教えられて「なーんだ…」と少々ガッカリもした花だった。

 住宅敷地内に良く見かけた二階家を越すほどの大木シャクナゲである。小生が若い頃に山で見た樹は大きくても背丈程度だったから、その大きさにびっくりもした。
 遠くからでもそれと分かる花っぷりだけれど花の派手さと大きさで好みとは遠い樹花だった。植物公園というかコレクションでシャクナゲ類を集めた一角に日本産のシャクナゲが数種あったのだが、株そのものは背丈を超えるほどに成長していても花そのものは日本的な風情を感じられて、何かホッとした感覚を得たのを思い出す。「大は小を兼ねない」…。


こけら版「とりこし苦労」15 (エピローグはコマドリ)

2018-10-09 | 旅行記
 とりこし苦労で終わった探鳥だった。当初は探蝶だったのだけれど蝶の少ない風土では宗旨替えも方便である。まあ、拘る理由もないのだ。

 当地にいる時よりダントツ容易に小鳥に出合えたしケータイで撮影も出来た環境とは考えさせられる。「爺も歩けば鳥に当たる」感覚で、家の窓越しからでも日長一日眺めていられた。新聞・ラジオ・テレビは勿論の事、自販機、コンビニさえ無い二週間を退屈もせず過ごせたのは、こんな環境に由る処が大きい。

 現地では「ロビン」と言っていたが、いわゆるコマドリで「ヒンカラヒンカラ」と聞き倣し出来るかと思ったけれど無理だった。聞き倣しより色彩の美しさに見とれた小鳥で、写真では遠かったり暗かったりしてシャープさは無いけれど、至近で見ていると美しい小鳥には違いない。

 「ロビン」と聞くたびに「ロビンフットのロビンか?」と思ったりもしたが英国ではないから聞くだけ野暮かとそのままになっている。

                        

こけら版「とりこし苦労」14 (ノジコかアオジにカワラヒワ)

2018-09-29 | 旅行記
 下の三枚はノジコかアオジらしいのだが嘴の形でおおよその見当が出来ても確認までは無理だった。野生種にしては目立つ色彩なので注目したと言う次第である。
 似たような近縁種が多いらしくて確定は写真だけでは難しいらしい。小生的には「飼育すれば綺麗で可愛い」という関心なので、まあ、愛鳥家からすれば邪道もいいとこでお叱りを受けそう。
          


 上記の小鳥より更に色彩豊かだったのが下の小鳥なのだがカワラヒワだとは思いもしなかった。普段見慣れたカワラヒワよりダントツで「総天然色」と言いたいカラーである。嘴の形から種子を主食にしている種だと言う程度の推定は出来るけれど、それ以上迫る事は小心者の小生には無理難題に近い。
 それでも有名観光地巡りで通すより、徘徊できる範囲は狭くとも「一期一会」の一瞬を連ねた時こそ「値千金」で、一人として共通体験できるものではないと言うのが名所旧跡に行かない小生の言い訳である。
                        

こけら版「とりこし苦労」13 (モリバト)

2018-09-22 | 旅行記
 居候先の裏手にある大きなヤナギの枝に二匹で飛来しては長く留まっている大型の鳩、おおむねカラス大に見える。海岸の岩場でも見かけたから塩水でも飲みに来たのか。主食は木の実とあったけれど鳩類は雑食だから磯で採餌もあるかも…。

 この鳩も現地の図鑑で確認し学名をメモして帰国したものの、語学力の無い小生では判るはずもなく鳥類図鑑でも参照できなかった。結局ネットで検索して「モリバト」であろうと思え、メモしてきた学名と照らし合わせたら一致した。一件落着でヤレヤレと鳩胸をなでおろしたのである。

 解説を読むとフランス当たりでは秋に南下してくるモリバトはジビエとして狩猟対象だった。大陸の料理で「鳩料理」は映画でもおなじみだけれど、この鳩なら大型で食べ応えがあるだろう。

               

こけら版「とりこし苦労」12 (バリケン)

2018-09-15 | 旅行記
 裏山の湖沼へトンボを見に日参していたのだが、その折に変わった水鳥を見つけた。羽繕いに忙しく小生の接近など気にも留めない丸々した七面鳥体形の巨体だ。「とっても珍しい種に違いない」と撮影した画像を居候先に見せたら「庭のナメクジ対策で導入した外来の家禽で野生化した鳥」が回答でガックリする返事であった。

 至る所「ナメクジ対策」が必要とするほど大型のナメクジが溢れているので「食べてくれるだろう」の思惑で導入したものと思われるが、普及しなかったとの現実がある事を考え合わせると、マングース導入の結果を知るまでもなく「どこの国でも猿知恵で拙速」なんて事は多いのだと理解できた。
 まあ、別件であるけれど国や自治体あげて「障害者雇用を水増し」なんてニュースが届くと、監査や通知、指示指導に追いまくられ泣かされた、お上の身勝手振りと言い訳の情けなさには苦笑も出ない。

 「ハイハイご無理ごもっとも…」とハリツキバッタで過ごした現役時代、少しでもバリバリ喧嘩しとけば良かったかと思いつつ「もう遅い…」も確かだし、道理を言っても仕返しされる御威光には小心者の小生としては逆らえないのであった。
 わが国にもバリケンは有名だったと思ったものの、まだらボケが戻った時、それは「ビリケンさん」と混同していたと理解する。バリケンにしろビリケンにしろケンを出さないおおらかさがいい。