雨が上がって晴天となった。作業には不適と思い、クワの実を摘んでジャムを作ろうと出かけてみたものの、連日の降雨で実が水分をたっぷり含んで不味いこと、不味いこと。採集は中止したものの手持ち無沙汰だから水泥地を見回ったのが運のつきだった。
丸太ダムからの放水路は機能していて、泥水地の浅瀬は洪水にならずに済んでいたが、三枚目の泥水地から沢筋に落としている水がもったいなくなった。2.5mほど落下させているが、華厳の滝の滝壷の様なっていて、何時かは三枚目の泥水地まで浸食してしまうのは必死だ。
それならば、浸食されて大きく深くえぐれている台地の方に更に泥水地を造成すれば、棚田の段々のように落差を緩和しながら、なおかつ水辺を増やせると欲を出してしまった。
草刈りをして地表を顕わにしたら、軽自動車を埋められるほどの浸食溝は三箇所、他にも人間が入り込める漏水孔も2箇所ほど出てきた。まず水勾配をみたいので堤を切って流したが、案の定、容赦なく吸い込まれていく。さて…。
何万朶仏 何万朶仏
災いいつも 仏生む ハア コリャコリャ 信心婆
毎日積もる アラームピーピー
良い子は家で 歳積もる ハア コリャコリャ 苦悶児
炉溶融とうに議事堂石棺ね 折檻母
永田町流して欲しか穀潰し 永田蝶
汚染水水棺のさま両議院 酔漢父
嘘は無し隠蔽も無し真実は忘れた頃の七十五日 贔屓子守
報道は伝えるのみが使命なり右から左上から下へ 大家総一
原子力十二単に札まとい小町の笑みで毒隠し今
万円を積まれ孫子へ放射能送り続ける万年万年
子々孫々被る魔の手は知らぬ振り亡者糊口で死々孫々
共存と共栄なるは理と無頼の力溺れた末路
藤や桐の紫の花が終わったと思ったら、今度は白い花の落下が盛んだ。別に落花狼藉している訳ではないが、花吹雪も津波の様に繰り返して来る。
エゴノキ、イボタ、スイカズラ、ノイバラ、ガマズミなど、初夏の陽射しの下で涼やかな白を呈している。暑さに慣れない身体には、一服の清涼剤だ。スイカズラの蔓に、二色の花色があるから不思議だったのだが、物の本に寄れば「古い花は黄色くなる」のだそうだ。
花の量は、エゴノキ、イボタ、ガマズミなど樹を覆わんばかりに満艦飾になるから、昆虫の飛翔音で煩いほどになる。普段はなかなか目にすることが少ない、マルハナバチやクマバチなどの花粉を主食とするハチも多く飛来して楽しいのだが、時にはオオスズメバチに接近されて肝も冷やす。これは清涼剤とはならない。
ホトトギスの葉の上の蜘蛛を撮影する。ハシリグモの仲間だろうと推定したが、図鑑と照合しても個体差が大きいから、素人で同定は到底、無理である。
顔を見たくて接写したが、あの先代と、襲名したお弟子の顔に似ている。「蜘蛛なのに馬面とは、これいかに?」なんて御題がでそうだ。馬鹿はこれくらいにして、接写もピントが合ったのは頭部が欠けた一枚のみで、眼部周囲が撮れなかったのは惜しい。
蜘蛛の目は複眼でなくて8個付いているのだそうだが、この写真では正確には読み取れないのだけれど、暇つぶしや道草するに事欠かないのが里山だ。先日、テレビ番組で里山を楽しむ人たちを紹介していたが、畑作や稲作などや園芸、チェーンソーカービングやログハウス造りなど、別に里山とは直接関係の無い活動がほとんどだった。
番組制作も、蜘蛛みたいに「動くものは何でも」と言うような視点で「羊頭狗肉番組」が多くなった。ましてや、あんな切り口で放送されると「何をやっても許される場所」なんて困った輩が増加するだけである。
棚田の畦草刈りをしていたら白い卵塊が見えた。
稀にモリアオガエルは、このような産卵をする。好んでしている訳でなく、近くに樹上産卵する枝が無かったからだ。
6枚の棚田の内、下の2枚には枝が張り出して、昨年は数個の卵塊があったが、この上部の田では樹上産卵しても落下地点に水面は無いのだ。
それで思ったのだが、モリアオガエルの空間認知力はいかほどなのだろうか。産卵した場所から樹上産卵できる場所まで距離にして20mほどで、カエルの畦からの視点では下の田は視認できないけれど、産卵できそうな枝だぶりは見えるはずだ。
それはともかく、ヒキガエルは山に去ったし、モリアオガエルの孵化はこれからなのに、水中にはオタマジャクシが発生していた。卵は確認できなかったが「何カエル」なんだか…。
拠点西側の段々畑跡の選択的刈り払いを済ませた。ここは実生の樹で雑木林を養成する心算の場所で、刈り払い前に100本ほど目印の支柱を立てた。実際はもう100本ほど必要なのだが、支柱作りも楽ではない。
段ごとに実生の状態も林床の植生も、過疎ではあるが林を形成する木々に多少なりとも違いはあるものの、いわゆる「明るい雑木林」が目標だ。
刈り払い機のスロットルを押さえて、刃を入れる植物を選びながらの刈り払いだが、竹笹類、クズ、ススキ、ノイバラ、常緑樹などが対象だ。作業後は「見た目すっきり」とはいかないが、小生的には「満足」の作業だった。「作業、ときどきバライチゴ」だったから。
連続3時間の刈り払いは、新しい防振手袋を装着していても、しばらくは掌に違和感が続く。昼を食べて、梅林の茶樹の整枝剪定をする。梅の木は傷んでいるが、今年は立派な実を着けている。
まだかじるには早いのだが、青い梅の実を見ると「空腹に耐えかね食べて中毒死」した事例も多々あった事を想い出す。そういえば「二十四の瞳」の中にも、そんなエピソードが入っていた。食料も乏しく貧しい時代では、青い梅でさえ美味しく見えるのだったろう。
例年通りだけど、今年もヤナギの幹にオオスズメバチが集まりだした。いわずと知れた事だが樹液を吸いに来るのだ。クヌギやコナラにも集まるのは一般的に見聞するけれど、小生はまだクヌギやコナラに集合する場所は知らない。
このヤナギには蝶も甲虫類も大挙して集まるが、その樹液を吸う傷口は、大方がオオスズメバチによって作られた傷口なのである。今日、小生が到着した時には、既に5匹のオオスズメバチが3箇所の新しい傷口に集まっていた。時折顔を上げるが、その時に大顎に白い物を挟んでいるのが見える。樹液が固まったのだろうが、食べているのか…。
見ていても、複数匹で吸っている時は無く、おおむね移動させられながら一匹である。今日は「吸うのに忙しい」と言うより、頭部の動き方から傷を広げているように見えた。白い樹液の塊を舐めてみようと思って待っていたのだが、飛び交っている個体もいるので退散した。
今年は不作の捕獲用のトラップを、ここにも設置した。ここは食草園の真ん中だし、隣はトンボ池で、入ってくる子ども達が多いからだ。しかし、ここでは一匹も捕獲できていない。
トンボ池の浅瀬に通るたび波紋がある。気になって静かに顔を近づけたら、そこにはメダカの幼魚が群れていたのだ。トンボ池に貯水した折、水路からすくい上げためだかも含めて20匹程度は移植したのだが、オーバーフローするたびに流れ下って皆無となったのでは、と気にしていた繁殖だった。
産卵するに必要な金魚藻などはまだ発生していないけれど、浮き草や水中の根茎などに産卵できたのだろう。「めだかの学校」が見られるかどうかは心もとないが、産卵し孵化したことが何よりの吉報だ。
関係が有るのかどうか不明だけれど、アメンボが増えている事とつながっているのだろうか。アメンボにしてみれば、水面に浮上していることの多いメダカは格好の獲物になるのだろうかも。子めだかににじり寄って行く行動は見ているが、捕獲や餌食の場面は見ていない。