トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ありゃー!蟻満神社になってしもた・・・で、蜂満パレス

2019-07-31 | 小人閑居して憮然
 再建した蜂満神社は昨今の例に漏れず乗っ盗られてしまった。ハクビシンもアライグマも徘徊しているものの神社には入らず蟻が巣食ってしまったのである。
 設置当初は蜂の利用順調で穴を塞ぐ土蓋が増えていたのに蟻も社殿に登る様に成るに従い破壊され、代わりに蟻が運んだ細粒で隙間が覆われてきた。これでは蜂の揺り籠になるのは無理である。手間暇かけ「最適化!」と読んだのだが、呼んだのは蟻だった。あり得ないかつありがたくない話である。

 再建した蜂満神社は撤去せざるを得ないのだけれど、返す返すも「手間かけたのに…」に尽きる。それでも初代と二代目の社殿を比較すると初代の梁材に穴をあけたタイプが「蟻の防止に良い」と判断せざるを得なかった。
 中空状を束ねたタイプは地面に設置するべきでなく枝から吊るすなどの工夫が蟻を防ぐためにも必要だろう。このような環境は軒下や作業場に吊り下げられた葦や竹材に巣作りがみられるから学ぶ必要があった。知らなかった訳でも無いが「蟻が来る」は想定外だった。

 新しい梁材を使う必要もなく、タンポポ広場でベンチにしていた材を切断して用いた。既に両端が腐食し始めている状態なので撤去も止むなしなのだ。
 ドリルで穴を明け垂木材で支柱を作りベニヤ板で屋根を作る。もうホントに「ヤッツケ仕事」だったけれど、十分に用は足せるはずだ。二代目は撤去の方向で三代目も「蜂満神社」としたいけれど集合住宅風になっている。
 社務所や奥宮としての名称もそぐわず、この頃流行りの寺社の副業アパート経営に似せた。やっつけ仕事という事もあって「蜂満パレス」が最もふさわしいだろう。なにせ防火壁など無い、そもそも建築基準法にのっとっていないし。

 ちなみに部屋数は108室あった。偶然は偶然なのだが神社仏閣と煩悩の数字はちゃんとリンクしていた。まあ、蜂難去ってまた苦難、そして数字で無い発苦始終苦は人生のお約束で、かくありなん。

 巣房を開ける  ➡    設置正面    側面、奥に二代目が見える

威之志士様の後始末

2019-07-30 | 水辺環境の保全
 毎日が漏水と威之志士様に弄ばれているようだ。「刈り払いに入らなければ」と思いつつ、いつもの水見回りで温水田と棚田を隔てる畔を「補修しなくっちゃあ」となったのである。緊急の個所ではないが棚田の畔3辺は補修が済んだ。温水田との畦はそのままの冬季に威之志士様が崩したまっまに放置状態なのだ。
 いかにせん、これではみっともなく思えたし、秋口に補修すると柔らかいまま冬に入ってしまい格好のお遊び場所になりかねない。この時期に補修しておけば真夏の日差しで水分も抜け植生も復活し冬季には固い畦になっているだろう。

 だからと言って威之志士様がてこずる固さではないけれど、そんな思いがよぎったから補修に着手した。孟宗竹を二本護岸に据えて棚田の泥土を長柄のジョレンで浚いあげる。竹であろうとも護岸に据えてあるだけで畦や堤の崩壊は遅れるのが経験則である。
 護岸の孟宗竹を横たえただけでは泥土の重みで動いてしまうのでどうしても杭で止めなくてはならない。購入した杭もあるけれど、少々もったいない思いもあって、先日風倒木となったコナラの枝から杭を作って使った。

 泥を盛り上げるまで午前の作業量だけれど曇天で蒸し暑い。「思いでボロボロ」ではない「重い汗ボロボロ」で身体もボロボロの気分。「彼の車に乗って真夏の海へ走り続けた」なんて平山三紀の歌が思い出される。小生は「泥土の畔に乗って泥土の田んぼを浚い続けた・・・」。
 でも結局は威之志士様に崩される結末。「悲しい出来事、起こるのだ」どっぷりと歌の世界の汗と泥。

 作業前 ➡   護岸竹を杭で押さえる ➡   補修終わり

                 盛れば掘る掘れば盛っての泥仕合

今日のとんぼ「湧いて出たキイトトンボ」

2019-07-29 | 小父のお隣さん
 既に最盛期は過ぎたようなのだが今季はキイトトンボの当たり年と言って良いだろう。水域全体に散開しているものの泥水地の草むらには追い立てられたと見紛うほど姿があった。刈り払っていない草叢の中では1㎥あたり10匹は飛翔している密度だ。やはりキイトトンボの生息環境に合っていると思うと同時に「鮮やかな黄色も保護色なのだ」と感じる。
 同じ環境下にクロイトトンボも存在するが、こちらはほとんどが水面スレスレ飛行で視認は容易ではなく体色は保護色として機能している。アジアイトトンボも姿はあるけれど個体数は僅かだ。水域のイトトンボ属も微妙に好む環境が異なるのはあたり前田の暮しに違いない。

 水見回りの時、草叢を分け入って行くとウンカの様にキイトトンボが前方部で飛びだす。もう「壮観!」としか言いようはないのだが写真では表現できないし、これは小生独りの密やかな楽しみでしかない。オープンにすれば瞬く間に荒れ放題に荒らされ、姿も消えるはずだ。
 その事は既に経験則としても自身の戒めとしても譲れない一線になってしまった。あんまりだと思える程「環境負荷」をないがしろにさせられてまで入り込ませる理由は無い。トンボやカエルにだって安心して過ごせる環境は必要だろう。

 「蛍が出た」と聞けば徒党を組んでのツアー、何かと話題になれば行列、佐藤愛子女史ならどう一刀両断するのかなあと想像してみるが何も浮かばない。棲んでる世界も種も違うのだと思うしかなかった。「湧いて出た!何が目出度い」というのかどうか。とにもかくにも「胴突き済んで日が暮れて」の日々である・・・。
 今季は水域の補修に追われて連日汗も湧いて出ている。「仕事汗じゃあ、濡れて参ろう」なんて台詞も出ない。

                            
       

7月定例会

2019-07-28 | 今日は真面目に
2019/07/21(日)9:30~12:00

会員 5名
活動 刈り払い

 一時は活動時20名を越えていた頃もあったのだが経年劣化・経年老化してくるにつれ歯槽膿漏で歯が抜けていく様に減ってしまった。前日が活動日だった隣接のグループは3名で刈り払いをしている。これも時代の趨勢なのだろう。

 小生は辺縁部の刈り払いに入ったのだが、背丈を超えるセイタカアワダチソウの繁茂で、台地に上がるだけでも一汗をかいた。進入路が欲しく台地の肩から刈り払えば倒すのが楽なのは判り切っていても、その方向からの進入は崖が更に急になる。結局「易きを選んで難儀になった」のだ。作業を安全かつ効率的に行うに「方向取り」を間違うと彷徨してしまいかねない。

 水辺を案内していて刈り始めが少々遅れたのでタンクの燃料が切れたのと「昼にしよう!」の声掛けが重なって途中で終了した。他のメンバーは拠点周辺を刈り払っていて、草丈も膝下程度だから面積としては広く作業が出来ている。

 辺縁部の刈り払いは見通し良く保つことで「威之志士様の侵出」を遅らせる効果が認められるから先だって刈り払いをすませたいものの、普段入り込まない用も無い区域を率先して刈り払いたいなんて人情はある訳も無し。
 どこの過疎地域、辺縁部での有害獣の跋扈は「これが大きい」とも聞く。この被害関係の中にも「被害側より加害側が保護される」図式が露骨だ。相手が畜生で無くても「駄目なものはダメ」なのだ。

     ➡          ➡     

七尺竿頭上、只一羽を止まらす

2019-07-28 | 感じるままの回り道
 棚田でカワセミが使っている曲がった支柱 
 棚田のコナギを短冊状に残して除草した。その浅い水面めがけカワセミが降下しては水しぶきを上げる。見るともなく見ていたのだが「一体、何を採餌しているのか?」との疑問が湧き出る。
 除草中に姿を見た生き物はヤゴとアカハライモリ程度、作業しなかった水域にはアメンボとメダカがいた。既に浅くとも水域となった除草部にはアメンボもメダカも入り込んで居るはずだ。

 メダカを咥えた場面は見た事があるけれどアメンボを食べるのかどうかは知らない。それを見ながら思った事はS先生が上の池でカワセミを見ながら「見張り台が欲しいな…」とつぶやいていた姿だった。設置するにはバカ長穿いて池に入らねばならないものの見張り台そのものは簡単である。

 自宅の園芸支柱の長い物二本を使ってみる事にしたのだが、如何にせん、端面は平坦で無く止まり難い形状だ。そこでホームセンターまで出向きゴム足を買ってきて接着した。これなら金属とは異なり滑り難いしつま先にも優しいだろう。
 上の池への設置は棚田より長い支柱だったからゴミとなっていた釣竿の手元をを使い片方にヤマザクラのトンガリ棒を差し込み打ち込んだ。これに添え差し込んだ支柱を結わえて完成した。

 まだ使用状況を見てはいないけれど、棚田の元の竿より快適なんではないだろうかと爺我自賛中である。

 ゴム足装着   ➡    棚田の見張り台    上の池の見張り台

大暑の谷地

2019-07-27 | 感じるままの回り道
             カサスゲで切られ与太なり恨み節

             サンコウチョウ長尾垂らして指呼の間

             オオルリや梢死守する枯れしブナ

             抽水の茎選び産むヤンマかな

             コナギ抜きアカハライモリそっ返る

             暑くとも不精とならぬ里の山

             カワセミの瞠るメダカは運次第

             貧居より満ちし山行き昨日今日

谷戸は時雨て大薙ぎコナギ

2019-07-26 | 水辺環境の保全
 水域の棚田、管轄下には無い範囲なものの手出しをしないと下流部の破壊につながる。なんちゃって手出しを合理化しているのだが、あながち嘘八百ではない。水域として全体の保全が肝要なのである。

 てな事でこの日はコナギの除草に入った。一年草で花も可愛らしく近年の田圃では見られなくなった植物と言う事などから撮影したい輩もいるにはいるけれど、田圃に入ってまで撮影する気は無いらしい。
 それはともかく一年草でも種子で萌芽し大繁殖するタイプだから水域に席巻させたくはない植物である。差別感は持たないけれど区別感はあって「ほどほど折り合いを付けてくれる植物」なら目くじら立てて除草もしないのだ。そこそこに折り合って茂っている生えている環境が欲しい。

 結局は全草除去から半減扱いにして除草する。花期に入ると手取りも大変になるので造林鎌を水底部で薙ぎ払い株切りをしガーデンレーキで集草する。このコナギのコロニーの中にはイモリもヤゴもオタマジャクシも結構入っており、そこはそこで無草泥土の部分より生き物の密度は高い。そんなことから全草除去は諦めた。
 結実し種子をばら蒔くのは間違いないけれど、やはり「手間暇かけるのを厭わず続ける」のが環境保全の基本だろう。コナギを嫌っても、その環境下で命を繋げている生物はごまんといるはずだ。
 それはともかく「瀬戸の花嫁」は良い歌謡だった。我が家は「瀬戸際の鬼嫁…」だか。

                ➡    

爺も歩けばナナフシに当たる

2019-07-25 | 小父のお隣さん
 エダナナフシなのかナナフシなのかはさておき「無くてナナフシ!」と思ってしまった個体である。
 水源地の取水升を清掃しての帰り道、林道上で目に留まった。単色のナナフシなら知らぬふりで通り過ぎただろうに、今回は背負い籠を外して道草を喰ったのである。カメラは背負い籠の中だから籠を降ろさねば撮影できない。

 それはそれとして、たかがナナフシに時間を割いたのはその美しさだった。緑色あるいは麦わら色みたいな個体は知っていても「カラフルナナフシ」は見た事が無い。いわゆる「里山のナナフシギ」だった。他の六つは何かという詮索は無視するが、とにもかくにも美しい。標本にしたら色彩まで保つのは難しそう、なんて思いつつ手に取ってしげしげと眺めてみた。

 上から見ても横から見ても「遠近どうこう」してみても「美しい」印象は変わらない。変異体なのか普通にあるタイプなのかは知る由もないものの、「吐かせて吐かせてゼイゼイ吐息」で一尾根越え取水地の往復をしなければならない小生にとっては一服の清涼剤だった。車で乗り込んでいたら逢えなかった。
 まあ、苦あれば楽あり、手間暇惜しむような振舞いでは小さな生き物には出会えない。大きな生き物には出会いたくない。小さくてもマダニは勘弁してもらいたい。なかなか諸々「耳従う」境地にはなれない小生であった。
 要するにいつまでもジタバタしている、と言う事だろうか。達観に至るのは難しい。小生、一節もない軟体、いわゆる日和見オポチョニストかも・・・。孟宗竹の様に節を持った強靭な人間でありたいと思っても妄想蓄もどきのお人柄。

              

あっ!、これ「えひめAIの原理」と同じ・・・

2019-07-25 | 感じるままの回り道
 ちょっと流行りの「おしり探偵」とか言う児童向けの人気本と長い人気を誇る「かいけつゾロリ」を手に取ってみたくて書店に寄った。雑誌コーナーで目に入ったのが「発酵食云々」の表紙タイトル。中を開く事無く買ってきてパラパラッと眺めて「これ食べるえひめAI」とビビビッだったのである。

 向こうは液体でこっちは食品だから似ても似つかないと言えばそれまでだけれど、発酵食品としての菌種・酵母の構成は近似値だ。それで更にビビビッ!ビビビッ!と来てしまったのはあながち温水田のカサスゲ抜きで坐骨神経痛が酷くなりビリビりッとしている事と無関係ではないのだ。要するにフイールド作業は休んで台所で遊びなさいと言う御宣託あるいは啓示なのである。

 根が正直で素直な生まれで育ちであるから雨天を幸い一ひねりしてみたいのだ。腰は既にひねられて腰痛より下肢のビリビリが強い。迎え酒ならぬ「迎え灸」を気休めでもやる。「病は灸から」と言うではないか。
 まあ、冬とは異なり台所の換気扇の下でもろ肌脱ぎしても寒くはないし、いいや今回はズボンとパンツだからそんな絵面は見る人を寒くするかもなのだが、独り酒ならぬ独り灸でもパンツを下げねばならぬツボなのでしょうがない。けっしてヌーディストでは無いし「御開沈」したい訳でも無い。

 馬鹿はさておき、さての1「味噌玉」でのレシピは赤みそを八丁味噌に替える。これで効果が強化されるはずだ。それに加えてドライイースト一袋、甘酒と豆乳ヨーグルトを大匙2杯加えた。これは掲載のレシピとは異なる「えひめAI食品化」である。このキューブで即席みそ汁を頂けるけれど市販のインスタントよりは美味しいだろう。
 材料  ➡    混合  ➡    冷凍皿へ


 さての2「甘酒納豆」にもドライイーストとヨーグルトを加えてみる。この構成は「えひめAI」そのもので、「えひめAI」は砂糖を加え更に発酵させ上澄みを使うが、今回の食用「えひめAIもどき」は砂糖は使わない。掲載のレシピでは醤油と昆布を使う事になっていたが、小生は「塩昆布」に変えた。大匙2杯では薄味だったので追加したが、どうてことあるまい。
 材料   ➡    混合保存 

 さての3「ヨーグルト玄米御飯」は「えひめAI」とは接点の無い献立なのだが「ヨーグルトを加えると軟らかく食べやすくなる」との下りの検証だ。生まれが水飲み百姓で「白いマンマ」とは縁遠かったから不味いコメが美味しくなるなら試してみたくなる。米作農家だったが「黄変米」や「麦飯」を食べなければならなかった生まれで育ちで食に贅沢をしたいとは思わない。

 健康雑誌やCMで誇大な効能を垂れ流しているけれど何時もも今回もそうなのだが「発酵食品は務めて摂取したい食品」のひとつ程度の認識で「遊ぶ」のである。リタイアすれば社会と縁遠くなりがちで姥捨て山でトンボかカエルが相手をするくらい、家に帰れば酵母や乳酸菌が相手になるくらいの日々で「なーんにも無し」でもないので精神や脳味噌のひび割れはとりあえずパスか…。まあ、納豆菌のネバネバがつなぎとめてくれている。
 そもそも常在菌を一刀両断にしてしまう傾向は異常としか言えない。この小さな芽はやがて隣人や他民族、他宗教等々の毛嫌い容認につながって行くはずで、吐乱夫の背後で移民排斥の声音を上げている恥も知らない阿呆共に通じるだろうと確信している小生だ。

 馬鹿馬鹿はさておき結果はと言うと、「味噌玉」は旨味が無くてまずい。いくら「健康に良い」と論じられても「不味い顔」して摂取するなど本末転倒であろう。原因として「八丁味噌」を使った事にあるのではと言う感じがする。塩昆布に焼きアゴ粉末を加えれば旨味が出るかどうか。10食分使い切って再度試そう。
 「甘酒納豆」は3~4回分の「御飯のお供」にはなるだろう。毎回納豆を掻き交ぜて食べ無くても構わん、そんな印象。「ヨーグルト玄米御飯」は「当たり」だったと思う。玄米特有の表層のツブツブ感が薄れてくれた。玄米飯と思えない程度の食感に近い。これでお粥にしたら更に食べやすくなるか。試してみる価値はありそうだ。
 

今日のとんぼ「飛翔能力は変わらないみたい」

2019-07-24 | 小父のお隣さん
 泥水地の草むらにシオカラトンボが止まった。普段は撮影対象でもなく見過ごすのだが、この個体には目が止まった。右の後ろ翅がおっ立っている。これは恐らく羽化した頃の事故なのだろう。生まれつきの奇形とは考えにくい。

 撮影して眺めていたらショウジョウトンボにアタックをかけていた。そしてまた元の位置に戻る。長く観察した訳でも無くアタック2回を確認したに過ぎないけれど飛翔能力に大きな低下は無いようだった。まあ、実用性は保たれている、と観るべきかもしれない。「だからどうした!」と言われればグーチョキパーを出すまでもなくグーの音も出ないけれどゲンコツは出しそう・・・。

棚田部の改修

2019-07-24 | 水辺環境の保全
 堤の嵩上げに続き棚田の東西幅を狭め法面下に平坦地を設えた。数年越しの懸念場所で、上棚の法面下部まで棚田を広げた事で威之志士様の掘り起こしで法面下部が崩れさせられている。これを防止するために法面下部に続く平坦草地を備えないと移動も刈り払いもやり難い。既に生産地では無いので「面積拡大」の方向性は不要で保全のし易さや環境安定性を優先する。
 この平坦草地を形成しておく事でエコトーンとしての機能も与えられる。

 課題は「用土をどこから運ぶか?」なのだが、この一帯では採土適地は無く浚渫土を当てるしかない。結局、平坦地を幅4尺ほど作る事にして既存の護岸用の竹稈を前方に据え泥を盛った。ここでも長柄のジョレンが役立ってくれた。
 積み上げた部分は棚田内に沈殿した泥土なので立ち入れば長靴を捕られるほどの粘っこさがあるものの立ち入って沈まなくなるには秋色も濃くなる頃だろう。

 法面2か所より止める事が出来ない漏水があり、この水で地盤を緩くし威之志士様を誘惑してしまう。今回、一カ所にはパイプを接続し棚田に排水するように配置したものの、もう一カ所へのパイプが無い。隣沢の廃棄パイプから見繕って用立てする。それまで埋め立て部を浸したままだ。

 水域中央部の浅瀬はコナギが繁殖して適度に除草する必要がある。結実するまでに除草は済ませたい。と思う一方で抽水植物の必要性もあり、バランスを配慮しながらの除草になる。

 作業前   ➡    作業後        3辺の手当てが終わる

アカボシゴマダラ、ようやく一枚!

2019-07-23 | 小父のお隣さん
 今季のアカボシゴマダラの成虫は梢飛翔体を一回見ただけである。この日、エノキに産卵していた成虫を見つけたのだがケータイの電源を入れて撮影出来るまで時間がかかる。この間に飛び立ってしまった。
 もう「しまった!」馬鹿阿保の世界であるが、そうそういつもカメラがある訳も無い。車に戻り帰り仕度をしながら未練たっぷりに周囲を見渡したら姿が目に入り葉陰に消えた。これは止まったの解釈でデジカメ携えて忍び足である。気配を消すためにアカボシゴマダラの事は考えず「そーっと、そーっと」を呼吸に合わせ念じた結果、落ち着いて撮影出来た。これは桃色吐息ならぬアカボシ吐息なのだ。「ようやっと撮れる…」。

 まあ、現実は産卵で疲労困憊の身体を休ませていただけなのだろうけれど、小生にとっては千歳空港、いいえ千歳一隅の機会だったし写真を撮っての効能はただひとつ「自己満足」。
 これでも小生、貴人に対してスマホを向けたり掲げるような失礼な事は断じてしないのであるが報道ひとつとっても「なにか壊れてきた」感は否めない浮き世になってきた。広く水平・平準化すればするほど浅く薄くなるのは道理なのだろう。

       

泥浚いで堤の嵩上げ

2019-07-23 | 水辺環境の保全
 勢力圏外なのだけれど「水辺は一体」として保全する必要があり結果的には小生がその手当てをせざるを得ないのが現実。

 泥水池の1段上の棚田から二つ池、林接する池、雑木林、上の池と棚田跡が続くが、この棚田の泥浚いと嵩上げまで済ませれば一通りの手入れは終わる。
 この日、長柄のジョレンだけを携えて作業に入った。スコップで掘り取っていた当時に比較すれば随分と楽な作業になっている。立ち位置を動く事無く水域内2m向こうまでは掘り取れるからである。スコップ作業での掘り取りと持ち上げ投げ出しが無くなった分、本当に負担も少なく作業も早くなった。
 それは反面「作業密度が高まる」状況を生み出すから単位時間当たりの泥浚いの量は増える結果になる。それでも足腰に無駄な疲労を負わせ無くなって「腰痛持ち」の小生としては有難い道具である。

 通常の田圃と異なり土砂の流入があるから堆積土の浚渫が欠かせない水域であるものの、採土環境がない水辺付近では浚渫土も大事な資材になる。
 今回は浚った泥土をそのまま堤の上に盛り上げた。これで水面まで10㎝程度しかなく増水があれば越流崩壊の恐れがあった堤高を更に10㎝ほど嵩上げできた。「たかだか10㎝」と言う莫れ、この10㎝高は水位上昇に「鬼に金棒」相当になるのであるが、しかし哀しいかな、このような堤はおっつけ威之志士様の掘り崩しに遭う事になる。これも指切りげんまんのお約束だ。

 まあ「畦切りげんまん猪奮迅崩す」でも小生としては「畦切り厳禁」としたいものの聞く耳を持ってはいない頭脳明晰自己保身に長けた相手である。こんな輩は棚田だけでなく永田にも棲息している。

          作業前    ➡     作業終了

見通しが悪ければ見通しが良い!

2019-07-22 | 感じるままの回り道
 月例会は「刈り払い」だった。小生はずーと懸念していた辺縁部の刈り払いに入った。辺縁部も縮小気味だけれど刈り払いを続けてきた範囲は「ウルシ」を植栽したくて維持してきた部分なのである。苗木の当てはあるのだが「かぶれる体質」なので踏ん切りがつかないまま経過している上に昨年、県の担当者と話が出来る機会があり、その旨を伝えたところ「県と市で伝統産業の見地からウルシ植栽協議中」で差し止められてしまった。

 さて、今季は水辺の手入れが連続して刈り払いに入れなかった。そのため辺縁部はセイタカアワダチソウのコロニーみたいになってその中にススキが負けじと肘を張っている。刈り払いたい範囲は背丈よりも高く伸びていて二段刈りを行えば刈り倒しは楽になるけれど、結局は力任せに地際から刈り倒しを続けた。

 密生部の中央まで進入したら途端に空間が開いた。ススキの株を中心に刈り込んで敷き詰めたように見えた。「誰が何のために、酔狂な・・・」と一旦は思ったのだが、獣道があり泥の付いた伏したススキもあって「これは威之志士様のお休みどころ」なのだと判明。獣道の両脇のアワダチソウにも泥汚れで白っぽいし、道は崖下の三日月池まで続いている。もう間違いなく威之志士様の行為である。

 感心したのはセイタカアワダチソウでなくススキを伏せ敷いた事で押し寝かしたのではなく地上20cmほどで噛み切って敷いてあった事だ。どちらが敷き草として快適かよーくご存じなのだ。
 辺縁部の刈り払いを行う理由のひとつに威之志士様を近づけない工夫としても必要な手間暇で、今回のように見通しが悪くなる程伸ばしてしまえば威之志士様にとっては前哨基地から定住基地に格上げ出来るほどに世間を席巻出来る見通しが良くなるのである。

 もうこの現場は多産主義社会と猛孤奮迅・四肢奮闘している私本主義者の決戦場なのであるけれど結果は知れていて数が圧倒する「多勢に無勢」がお約束。そして私本主義者の小生としては「年寄りの冷や水」あるいは「灯篭に鎌」みたいなもん、として威之志士様からブーッ垂れられておるであろうて・・・。まあ、社会人廃業の現在、何をブー垂れられようと言われようと「耳は聞く無し」だし耳も世間も遠くなったしてなもんや三度笠。

      敷き草状況。刈り払い機の軸線方向に獣道      泥付きの伏し床

今日のとんぼ「ミルンヤンマ」小生初観測

2019-07-21 | 小父のお隣さん
 引用:田中利勝 撮影・執筆「やさしいトンボ図鑑・3」自然通信社 刊 P44 

 ミルンヤンマはS先生の確認リストに入っているが小生が確認できたのは初めてである。それもたまたまS先生とSさん、他1名を案内していた時の事だったから、早い話「ラッキー」だったのである。
 「林接する池」に案内しヤブヤンマの産卵状況を話していた時に水面に浮かんでいたトンボの死骸をS先生が見つけて鑑定した。その直後に流路の護岸粗朶から羽化したばかりの個体初飛行にも遭遇し抜け殻を採集出来て、そのうえ上の池の空中を高速飛行している個体まで視認できた。
 オニヤンマのパトロールを見られる水路でミルンヤンマも産卵していた、という図式になる。

 短時間に成長段階の幾つかを観察できたので「月例会」の刈り払い作業を後回しにした甲斐もあったと言うべきである。これで「ミルンヤンマ」が繁殖しているという事実確認に複数が立ち会った事になる。
 水見回りの途上、見当もつかない種と思える機会もあるにはあるけれど、写真が無ければ図鑑対照も無理だしS先生に細部の観察を伝える事など小生には無理で、ともかくボケでも「撮影」は必須だが、写真がボケるか小生が惚けるか予断を許さないのが人生だなあ、と思える。

 今回、図鑑から引用させて頂いたのは月例会に向かう途中のエスケープでの案内だったためでカメラを携行しなかったからである。まあ、携行したところで撮影出来たのは抜け殻だけで、成体は不可能だった。成体の第一印象は「意外と小さい」。
 「ミルン」は「ミルイ」から来ているのかどうか聞きそびれてしまった。次の機会にはきっと忘れているだろう。ホント、トロくなったものである。