再建した蜂満神社は昨今の例に漏れず乗っ盗られてしまった。ハクビシンもアライグマも徘徊しているものの神社には入らず蟻が巣食ってしまったのである。
設置当初は蜂の利用順調で穴を塞ぐ土蓋が増えていたのに蟻も社殿に登る様に成るに従い破壊され、代わりに蟻が運んだ細粒で隙間が覆われてきた。これでは蜂の揺り籠になるのは無理である。手間暇かけ「最適化!」と読んだのだが、呼んだのは蟻だった。あり得ないかつありがたくない話である。
再建した蜂満神社は撤去せざるを得ないのだけれど、返す返すも「手間かけたのに…」に尽きる。それでも初代と二代目の社殿を比較すると初代の梁材に穴をあけたタイプが「蟻の防止に良い」と判断せざるを得なかった。
中空状を束ねたタイプは地面に設置するべきでなく枝から吊るすなどの工夫が蟻を防ぐためにも必要だろう。このような環境は軒下や作業場に吊り下げられた葦や竹材に巣作りがみられるから学ぶ必要があった。知らなかった訳でも無いが「蟻が来る」は想定外だった。
新しい梁材を使う必要もなく、タンポポ広場でベンチにしていた材を切断して用いた。既に両端が腐食し始めている状態なので撤去も止むなしなのだ。
ドリルで穴を明け垂木材で支柱を作りベニヤ板で屋根を作る。もうホントに「ヤッツケ仕事」だったけれど、十分に用は足せるはずだ。二代目は撤去の方向で三代目も「蜂満神社」としたいけれど集合住宅風になっている。
社務所や奥宮としての名称もそぐわず、この頃流行りの寺社の副業アパート経営に似せた。やっつけ仕事という事もあって「蜂満パレス」が最もふさわしいだろう。なにせ防火壁など無い、そもそも建築基準法にのっとっていないし。
ちなみに部屋数は108室あった。偶然は偶然なのだが神社仏閣と煩悩の数字はちゃんとリンクしていた。まあ、蜂難去ってまた苦難、そして数字で無い発苦始終苦は人生のお約束で、かくありなん。
巣房を開ける ➡ 設置正面 側面、奥に二代目が見える
設置当初は蜂の利用順調で穴を塞ぐ土蓋が増えていたのに蟻も社殿に登る様に成るに従い破壊され、代わりに蟻が運んだ細粒で隙間が覆われてきた。これでは蜂の揺り籠になるのは無理である。手間暇かけ「最適化!」と読んだのだが、呼んだのは蟻だった。あり得ないかつありがたくない話である。
再建した蜂満神社は撤去せざるを得ないのだけれど、返す返すも「手間かけたのに…」に尽きる。それでも初代と二代目の社殿を比較すると初代の梁材に穴をあけたタイプが「蟻の防止に良い」と判断せざるを得なかった。
中空状を束ねたタイプは地面に設置するべきでなく枝から吊るすなどの工夫が蟻を防ぐためにも必要だろう。このような環境は軒下や作業場に吊り下げられた葦や竹材に巣作りがみられるから学ぶ必要があった。知らなかった訳でも無いが「蟻が来る」は想定外だった。
新しい梁材を使う必要もなく、タンポポ広場でベンチにしていた材を切断して用いた。既に両端が腐食し始めている状態なので撤去も止むなしなのだ。
ドリルで穴を明け垂木材で支柱を作りベニヤ板で屋根を作る。もうホントに「ヤッツケ仕事」だったけれど、十分に用は足せるはずだ。二代目は撤去の方向で三代目も「蜂満神社」としたいけれど集合住宅風になっている。
社務所や奥宮としての名称もそぐわず、この頃流行りの寺社の副業アパート経営に似せた。やっつけ仕事という事もあって「蜂満パレス」が最もふさわしいだろう。なにせ防火壁など無い、そもそも建築基準法にのっとっていないし。
ちなみに部屋数は108室あった。偶然は偶然なのだが神社仏閣と煩悩の数字はちゃんとリンクしていた。まあ、蜂難去ってまた苦難、そして数字で無い発苦始終苦は人生のお約束で、かくありなん。
巣房を開ける ➡ 設置正面 側面、奥に二代目が見える