トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

短夜も長夜も

2009-06-30 | 花の下に長居

『煩悩も甘き安納ともに芋』

『煩悩の温き布団に寒き朝』

『お誘いも梅雨に飽きてで笑われる』

『バス停のヒトリシズカか咲く娘』         

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とは言えmore

2009-06-29 | 性向有毒の翁なれば

『ヤマブキが山吹色を渇望す』

『懐は痛まぬ他人の財布なり』

『烏匠なば鵜飼献金闇夜船』

『母子複死昨日の加惨今日苛算』

『選挙なり福祉蘇生し七重八重』

 ある日突然、民は黙るの。ささやかな生活がその時変わる。

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近づく選挙

2009-06-28 | 勢子、雨毒に侵されて呻く

『母子加惨済ました次は支厭なり』

『エコポすら申請せねばドブの銭』

『血税をばら撒きゃ票は湧いてくる』

『補助助成債務も付けて賜れり』           Photo


烏はお利口

2009-06-27 | 小人閑居して憮然

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『哀れかな巣箱のカラも昼に消え』

 設置した巣箱が風雨にさらされて色も変わった頃になって、ようやく営巣してくれた。警戒しつつ虫を運びいれ糞を持ち出す。見て見ぬ振りをして楽しんでいたのだが、気がついたときには遅かった。

 巣立ちには早いのに親鳥の姿がきえてしまったのだ。「やられた!」と思い巣箱の中をのぞくと孵化しなかった卵が一個だけ残っていた。巣箱には新しい傷がいくつもあった。

 これは全くの不手際だった。止め具をつけなかったのだ。本当に後の祭りになってしまった。M氏夫妻が植樹する前の草原に手慰みに植えたスイカも「ネットをかけよう」と話をしている間にすべて穴を空けられた。

 空から見張られているのでは勝ち目がないが、こういう類には大変お利口を発揮する。新聞に「鵜飼献金」のニュースが盛んだが、この場合「烏飼献金」がより正しい。彼等もカラスの一種なのだろうか。

 今日は黒い生物に縁があった。蝶々などは「カラス」がつく種もあるが、トンボはどうして「カラストンボ」と言わないのか、今夜は眠れなくい。

「黒い花びら」は「水なんとか」という歌手の歌だが「黒い花は黒い花びら」と歌ったのは西田佐知子だったか。ラジオの時代の遠い昔を思い出した。


招かれざる客

2009-06-26 | 小父のお隣さん

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 棚田のカワニナが少なくなった感じがしていたが、今日はアオサギが飛来していた。カワセミは先日見かけたがカワニナを食べるとは思えないからサギ類の食害なのだろうか・・・。それにしてもよく見つけるものだと感心する。

 早苗を植えたわけでもないから水中の生物は姿を隠せるのは泥の中だけだ。イモリは泥に潜るがドクダミの葉陰に4匹ほど固まって隠れているのは微笑ましい。

 キイトトンボはフイールドでは初見だ。ナミテントウの二紋型だと思うが、このタイプも初めて見た。こういう客は歓迎なのだが、トレイルで日向ぼっこしている蛇もあり難くない。


水路の段差工

2009-06-26 | 水辺環境の保全

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 沢の水路に侵食防止の土嚢を先日積んだばかりだが、一夜の雨で水溜りが土砂で埋まってくれた。これで川床が上昇して光が届きやすくなった。しかし考えてみると侵食された土砂で埋め戻された訳だから、侵食の現実は激しいものだ。土嚢だけでは落差が大きいので中間に丸太で段差を加工した。これで傾斜が緩やかになり水生生物の生活も楽になるだろう。

 上流部も段差工を施した。先日、川床の土砂を少しばかり浚ったら、一夜の雨水で更に底が抉られてしまった。関わって実感することだが自然界のバランスはデリケートだ。段差工を施したことで少しは安定してくれるだろう。

 まだ下流にこの倍の施工長さが控えている。倒木を玉切りして流路の底に埋めるのもけっこう大変だ。半日で撤退した。

 


花びらの白い色は

2009-06-26 | 小父のお隣さん

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 今、フイールドは白い花が盛りだ。その中にあってネムの花が霞んだような色合いで色付いているのをみると真夏日で熱中症の心配も薄れるくらいに涼やかな気持ちになる。

 この頃は口に出来る果実もなくて、わずかにコウゾの実だけがスイーツだけど、ネットリした口当たりと微妙な味わいの甘味は桑の実や木苺のようにむさぼり食べれる果実ではない。一個か二個摘まむくらいだ。

 そういえば「白い色は恋人の・・・」なんて歌があった。昨年にヘイリーが英語でカバーしたCDも出ている。意外かもしれないが、このCDは小生の睡眠導入歌なのだ。


迷治萎疹

2009-06-25 | 小人閑居して憮然

Photo_2             『泣かされた法の役者は弱き人』

                       『これがまあ希望の星か世間虚仮』

                       『削っても選挙前には色をつけ』

                       『政策は質札付きで民に撒き』

                       『見識は無くとも立てる券を敷き』

                       『虚仮ばかりそのほとんどが銭乃虚仮』


棚田の畔

2009-06-24 | 感じるままの回り道

 『湛水の棚田のイモリ腹満ちて黒ゴマのよう糞敷き詰めぬ』

 『イヌビワの薄紅さした森に聴くサンコウチョウの月日星かな』

 『緩やかに泥田を進むカワニナの軌跡を読めば我の恋文』

 『カワニナは蛍のための食物と棚田与えるこの身恐ろし』


タゴガエル

2009-06-23 | 小父のお隣さん

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  時折見かける「ダゴガエル」が今日も見ることができた。写真中央はアカガエルで似ているようでやはりことなる。

 土中の穴の中で生活しているとのことで生態は謎が多いらしい。このカエルの鳴き声は昼寝のイビキのようで愛嬌があって好きだ。

 流路の草を払っていたら「ナナフシ」の幼体が現れた。このムシは不完全変態の昆虫だと記憶していたが正しかったのかどうか、個人的にはどうでも良い部分だ。

 しかし、しゃがんで下を見ていると、立っていた時には見つけれなかった様々な生き物が見出せる。阿羅漢ではあるけど「アラ!フォー 」 と言い出しかねない。


流路の補修

2009-06-23 | 水辺環境の保全

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 朝は雲行きが不安だったので迷っていたら晴れてきた。予報どおりになった。気温も30度を越えそうでキリギリスがあちこちで鳴き出した。

 棚田の田起こしは2枚残っているが、沢に連なる流路の整備をすることにした。土砂が堆積して底が浅く田に溢れていた所を掘り下げて、侵食が進んで深く掘れたところは底を上げるために土嚢を積んだ。

 これにより梅雨時の雨で流れた土砂の堆積を図って川床を上げようとの魂胆である。丸太で段差工を施したかったのだが、今は用材を刻む気にならない。とは言え、沢すじに倒れこんだ倒木の一部を手鋸で片付けて流路に陽の目を与えたが、案の定、大きく侵食が進んでいた。こちらは底までゆうに四尺はある。段差工の丸太は倒木が沢山あるので不自由しないが、上部に掛かり木があって非常に危険だから後回しだ。

 日の当たらない浅い流路に大きなカワニナが生息しているのを確認できた。葦原の水田跡にも生存していたから妥当といえば妥当だが、やっぱりうれしい。


草と一期一会

2009-06-22 | 感じるままの回り道
『人踏まぬ大地に伸びる草速し月戻る間に路無き路に』
『葦茎の残りし棚田青々と早苗のごとく芽生えたり』
『夏草を刈り払う汗抑えたるカラスザンショウ香り爽やか』
『花に負けヌスビトハギを刈らずんば秋には悩む引っ付き虫だ』

林床に光を

2009-06-20 | 月例会

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 2009,06,20(土)

会員 13名  児童1名

活動 午前:棚田南面の人工林内の林床照度改善(常緑樹除伐:アオキがほとんど)

       :拠点付近のトレイル刈払い

    午後:拠点付近の刈払い

 年間計画では侵入竹などの除伐であったが、急斜面で雨後ということもあって緩斜面の下草刈りに変更した。

 作業地の人工林は大中径木の杉林だが、上部の栗林と共にアオキが高さ3メートルも繁茂し下草が失われて、林床の表土流失が始まってきたところだ。

 今日の作業で目立つ常緑樹は刈り倒した。後日、ネザサのヤブを含めて刈払機でひとなめすれば今年度は良いだろう。


残りは2枚

2009-06-18 | 水辺環境の保全

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 ようやく2段目の棚田の代掻きが済んだ。泥をならしたら水位がわずかに低いので、配水管の位置を数センチ高くした。調整後の水位の確認は明日以降だ。残りは2枚となったが、2段目の棚田と比較すると面積は4倍だ。いささかげんなりしてきた。

 泥の上に生き物の這いずった痕ができていた。よくみたらカワニナだった。数個体しか確認できなかったが、よくもまあ葦原の中で生きながらえていたものだ。蛍の繁殖には個体数が不足だが生存できる環境は確認できた。この谷に蛍が乱舞する風景も実現可能だ。ちょっと夢が膨らむ。こういうことで苦労がかさむのだなあ。けっこう浮気性だと思ってしまった。

 周辺の林内にコクランが点在していた。昨年に気がついて花の時期を逸したから名前は不詳でいたのだ。本当に地味な花だが良く見ると蘭科特有の凛とした花姿がある。


子ども達の世界

2009-06-17 | 小父のお隣さん
『嬉しいか枝より落ちしオタマたち尾びれ震わせ水底へ行く』
『泥色に身を施したヤゴは今オタマ狙ってわずかに進む』
『バイバイと尾を振りて死すオタマかなマツモムシなお喰らいつく昼』
『尾も取れぬ幼ガエルが陸上がり森目指す身にエールを送る』
『溜池の喫水線に並びたるガマの子たちは一斉上陸』
『細流に身を留めたるカニの子よ脚踏ん張りて何を食いたる』
 生れ落ちたそのときから生存競争の真っ只中だ。棚田にオタマジャクシの姿が見えた翌日には田んぼのイモリはメタボな腹部を呈していた。
 田に水を張ると一旦はミジンコもユスリカの幼虫もここかしこに見られたが、数日のうちにその数を減じた。食物連鎖とは各も厳しいものだと田んぼ一枚で実感できる今日この頃だが、一方では「支えられて生きている」と言う実体感も強い。
 現職の頃は省みる余裕も無かったように思うが、社会から隔絶した毎日の中では「役に立っている」という社会的な実感の大切さを改めて感じ取ることになったのも、食物連鎖の厳しい現実からだ。