『哀れかな巣箱のカラも昼に消え』
設置した巣箱が風雨にさらされて色も変わった頃になって、ようやく営巣してくれた。警戒しつつ虫を運びいれ糞を持ち出す。見て見ぬ振りをして楽しんでいたのだが、気がついたときには遅かった。
巣立ちには早いのに親鳥の姿がきえてしまったのだ。「やられた!」と思い巣箱の中をのぞくと孵化しなかった卵が一個だけ残っていた。巣箱には新しい傷がいくつもあった。
これは全くの不手際だった。止め具をつけなかったのだ。本当に後の祭りになってしまった。M氏夫妻が植樹する前の草原に手慰みに植えたスイカも「ネットをかけよう」と話をしている間にすべて穴を空けられた。
空から見張られているのでは勝ち目がないが、こういう類には大変お利口を発揮する。新聞に「鵜飼献金」のニュースが盛んだが、この場合「烏飼献金」がより正しい。彼等もカラスの一種なのだろうか。
今日は黒い生物に縁があった。蝶々などは「カラス」がつく種もあるが、トンボはどうして「カラストンボ」と言わないのか、今夜は眠れなくい。
「黒い花びら」は「水なんとか」という歌手の歌だが「黒い花は黒い花びら」と歌ったのは西田佐知子だったか。ラジオの時代の遠い昔を思い出した。
沢の水路に侵食防止の土嚢を先日積んだばかりだが、一夜の雨で水溜りが土砂で埋まってくれた。これで川床が上昇して光が届きやすくなった。しかし考えてみると侵食された土砂で埋め戻された訳だから、侵食の現実は激しいものだ。土嚢だけでは落差が大きいので中間に丸太で段差を加工した。これで傾斜が緩やかになり水生生物の生活も楽になるだろう。
上流部も段差工を施した。先日、川床の土砂を少しばかり浚ったら、一夜の雨水で更に底が抉られてしまった。関わって実感することだが自然界のバランスはデリケートだ。段差工を施したことで少しは安定してくれるだろう。
まだ下流にこの倍の施工長さが控えている。倒木を玉切りして流路の底に埋めるのもけっこう大変だ。半日で撤退した。
『湛水の棚田のイモリ腹満ちて黒ゴマのよう糞敷き詰めぬ』
『イヌビワの薄紅さした森に聴くサンコウチョウの月日星かな』
『緩やかに泥田を進むカワニナの軌跡を読めば我の恋文』
『カワニナは蛍のための食物と棚田与えるこの身恐ろし』
朝は雲行きが不安だったので迷っていたら晴れてきた。予報どおりになった。気温も30度を越えそうでキリギリスがあちこちで鳴き出した。
棚田の田起こしは2枚残っているが、沢に連なる流路の整備をすることにした。土砂が堆積して底が浅く田に溢れていた所を掘り下げて、侵食が進んで深く掘れたところは底を上げるために土嚢を積んだ。
これにより梅雨時の雨で流れた土砂の堆積を図って川床を上げようとの魂胆である。丸太で段差工を施したかったのだが、今は用材を刻む気にならない。とは言え、沢すじに倒れこんだ倒木の一部を手鋸で片付けて流路に陽の目を与えたが、案の定、大きく侵食が進んでいた。こちらは底までゆうに四尺はある。段差工の丸太は倒木が沢山あるので不自由しないが、上部に掛かり木があって非常に危険だから後回しだ。
日の当たらない浅い流路に大きなカワニナが生息しているのを確認できた。葦原の水田跡にも生存していたから妥当といえば妥当だが、やっぱりうれしい。
ようやく2段目の棚田の代掻きが済んだ。泥をならしたら水位がわずかに低いので、配水管の位置を数センチ高くした。調整後の水位の確認は明日以降だ。残りは2枚となったが、2段目の棚田と比較すると面積は4倍だ。いささかげんなりしてきた。
泥の上に生き物の這いずった痕ができていた。よくみたらカワニナだった。数個体しか確認できなかったが、よくもまあ葦原の中で生きながらえていたものだ。蛍の繁殖には個体数が不足だが生存できる環境は確認できた。この谷に蛍が乱舞する風景も実現可能だ。ちょっと夢が膨らむ。こういうことで苦労がかさむのだなあ。けっこう浮気性だと思ってしまった。
周辺の林内にコクランが点在していた。昨年に気がついて花の時期を逸したから名前は不詳でいたのだ。本当に地味な花だが良く見ると蘭科特有の凛とした花姿がある。