『蒸れる身に群れる藪蚊の疎ましさ』
『暮れの秋眼鏡汗だく石を積む』
『夏の日に樹冠は閉じて薄暗き』
『枝打てば光射したり禿頭』
7月に照度の調節をしたところが
8月の終わりには落ちている
太陽の高度も下がったが
樹冠の成長がこんなに早いとは
でも小父の樹冠は衰退一方で
差し込む光は必要だが 発する輝きはいらない
いぶし銀でいい
『蒸れる身に群れる藪蚊の疎ましさ』
『暮れの秋眼鏡汗だく石を積む』
『夏の日に樹冠は閉じて薄暗き』
『枝打てば光射したり禿頭』
7月に照度の調節をしたところが
8月の終わりには落ちている
太陽の高度も下がったが
樹冠の成長がこんなに早いとは
でも小父の樹冠は衰退一方で
差し込む光は必要だが 発する輝きはいらない
いぶし銀でいい
ナラタケを蔽っていた枯葉を取り除いていて「ギョッ」とした。黒い脳みそがあったからだ。「あの噺家もこんな脳みそなんだろうか」と脳裏に新鮮なフレーズが湧いたのだった。
小粒のものは見たことがあるような気もするがとにかく大きかった。腹菌類だろう、ホコリタケの仲間か、程度しか判断がつかなかった。家にある図鑑にも類似のものは掲載されてなかったし。
たまたま近くにいた「ちびっ子グループ」の担当者に譲ったが「子ども達もビックリするでしょうね」とのこと。さーてどうだか、結末は知らない。
キノコの中は空洞のようなスポンジのような手触りだったが、今となっては半割にして断面の写真を撮っておけばよかったかなあ、と未練がのぞく。きっと次はないだろうから。
ホームレスでも 粉掻き食べぬ
食べた時代の 幸の海 ハア コリャコリャ 弥生姐さん
飯と言われりゃ 芋麦カボチャ
腹は減っても 一間ある ハア コリャコリャ ギリギリ巣
輸入の大半 残飯とかや
食は捨てられ 職は無し ハア コリャコリャ 皆飢日職
この身六尺 誰がため絞る
笑顔喜び 見たいため ハア コリャコリャ 悦中奮年
恐ろしき三十品目必要ならば粉一握の命尊き トロル
食は荒利に向こうも飢餓よ妻子泣け泣けもう手は尽きた 迫終
偏性の最大限がグローバル 四葉
あんまり期待しないで葛やカナムグラやイタドリに覆われた中を覗いた。思わず「ムヒッ」である。出歯亀さんもそうだったのだろうか。そこで一句!
『教室で文読み沈む先生のスカート覗く名前出ぬ奴』
そういえば「こちら出歯亀派出所」とかいうような漫画か番組があったような気がする。世も太平だ。
範囲が広かったので鎌を取ってきて刈払った。二ヒロ以上に渡って発生していた。今回は蔓草を刈り払ったから、素手で傘の部分だけ収穫したのだが、終わってみると手首から肘まで引っかき傷だ。棘の傷はヒリヒリして痛いのだ。それはともかく乾燥させてみることにした。
さて、手首から肘の部分はなんと言うのか辞書を引いたが「一の腕」も「二の腕」もおんなじだった。誤用が定着したのだそうだ。そういえば「一の腕」なんて聞いたことが無い。てっきり「一の腕」でよいと思ったのだが、キノコのお陰で秀才にナレタ。「ナレタケ」のお陰である。
郷里の好物「アマンダレ」は「ナラタケ」とネット検索でズラズラ出てきたが、発信元はほとんど郷里を中心とした越後であった。この呼称は地方名か。
しかし採集したのがナラタケで同じものだとすると得心がいかない。変異は大きいと聞いていたが郷里で食べたのは小さめのものが多かったし生で見ていないから何とも言えないのだが。
このキノコが「ナラタケ」かどうかも怪しくなった。でもねえ、農林事務所の元技官が採集している所に出くわして、レクチャーを受けたのだから大丈夫でしょう。駄目だといわれても昨年から今年も胃袋に収まっているんだし・・・。
林道の黒い物体を見に行ったら「モグラ?」でも違うようだった。
車に轢かれたわけでも足で踏み潰されたわけでもなさそうだ。
胸の辺りの毛並みがベタッとした感じなので、アオサギにでも挟まれたのか。
アオサギは今日も来ていたから、ここではポピュラーな鳥になってしまった。
頭胴8cmほどで尻尾はふさふさの毛が生えている。自宅で調べたら、どうもヒミズらしい。周辺の環境は生息環境そのものでもあるから、ヒミズの類として片付けてしまおう。
日本固有種で絶滅危惧種ではないらしいが、珍しいには違いない。モグラは畑や家の花壇に結構損害を受けたから心情的に「敵だ」と思うが、これはなんとなく愛らしいのだ。特に尻尾がふさふさしてハタキのようであるからユーモラスで親近感も湧く。
お稽古をサボって出かけたのが正解だったか、キノコも珍しいものを手にしたし…。
花街住い わが身が柱
里の兄妹 良く学べ ハア コリャコリャ 弥生姐さん
おいら定職 望むは罪か
奴隷労働 使い捨て ハア コリャコリャ 増禁
晦日まで一期一恵の期間工 巨酸人
解かれた手の冷えゆくに目を閉じて明日は大人に胸搾り出す 花吹雪
万策が尽きて寄る辺の水際で煮え湯浴びせるこの無慈悲さよ 凄穂
負けないで歌った人は今は亡き 願馬簾
黄金色越後駅へは半世紀 トロル
ドングリ播種用の床を作るために拠点に上る踏み跡を付け替えた。最高気温が27度の予報の日だっただけに土削りや放置竹の片付けは暑かった。
午前で辟易してお握りをかじりながらなんとなくブラッと行ったらあったのだ。ナラタケが。昨年は11月の1日に採集していたから、そこそこの頃であるが早速収穫した。
脆いキノコだから手袋を外して採集してみたら、カナムグラが蔽っている下に生えているので、皮膚が棘に当たって痛くてたまらない。結局手袋をする羽目になった。
もう昨年のように籠に満杯も採る気は失せて、自分の分と町内のキノコ物知りに分ける分だけにした。これは確認のためであり保険みたいなものだ。結局、コーヒーの詰め合わせをお返しされたから儲かったと言えば言えるか…。
昨年は湯通しせず直に調理したので、米粒のような白い小さな虫がいっぱい汁の中に浮遊させてしまった。そこで今回は湯通しをしっかりした。
しかし、このキノコは一回に数本程度しか食べてはいけないと言われているから、結局一回分づつ冷凍保存してぼちぼちと食べよう。そんなところか・・・。ともかく美味しいんだなあ、これが。
『甘酢和え食用菊の胡桃入り』
『菊なます晒しえご海苔あまんだれ』
『故郷の蕎麦のつなぎは海藻なり』
『晒しえご酢味噌で食す母の味』
『生イクラぷちぷち爆ぜる軽快感』
郷土の伝統の一品と言えば、えご海苔・菊なます・名前が出ない豆腐の料理・海藻つなぎの蕎麦だろうか。アマンダレというキノコも入れてもいいだろう。
アマンダレは次兄が採集したのを賞味できたりするが、これが一番手に入らない。当地の林床に見られるモリノカレバタケとはやっぱり違うようなのだ。
郷土料理は冠婚葬祭のお膳には概ね定番の一品として現れるが、郷里を離れた身にはまとめていただけるチャンスは少なくなった。単品でなら口に入ることも算段可能だけど目の前に並ぶと「ご馳走だ!」と思ってしまう。
高級料理にはあまり心が動かないが、野沢菜、赤カブのみずみずしい漬物は特別に美味しかった。塩だけの漬物なのだが、あの旨みは一体どこから来るのか現地でしか味わえない味だ。
法事の席だからとカメラを持たなかったから、引き続いての「御斎」の膳を写真に撮れなかったのが残念である。
『夏逝きて秋も去りゆく時なれば歳は枯れ往く膝は摩りゆく』
『上り坂痛み覚えるこの膝は下り調子ぞ大事に使う』
『秋霖の滴眺めて想いたる山と逢瀬はいつの晴れの日』
『山回り蜂と遭遇多かりし冬支度知るかの者どもの』