トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

飛び入り・割り込み作業は面倒じゃぁ

2024-05-31 | 今日は真面目に

 代表から電話があって「倒木処理をしてもらいないか⁉」と言う事だったのだが、当方は泥浚い蔓延中でチェーンソー作業などは毛頭も予定に入っていないし、作業できる人員は居るはずなのにと思いつつ無下に断るのもアレだし通行量も無い道でもあるから「そのうち…」程度で受け止めようとしたのだが慌てている様子がある。訊ねてみたら二日後に棚田での田植えが予定されており児童と保護者40人ほどが利用するからだと判明した。くぐり抜けられる状態なので通行には差し支えないものの更に位置が下がれば潰される危険も孕んでいるから急遽の処理になった。写真の範囲に写ってはいないが沢の侵食崖を跨いで向こう側の先端部で支えられ、漸く通路に落下せずにいるのだ。既に小枝の無い倒木で根の腐食で倒れた樹なのでおっつけ先端部で折れ、更に崖下に落ちる経過は樹を見るより明らかある。

 何を隠そう、小生だって予定がタイトの時もあるのであってその上、台風の影響で丸1日は降雨で作業は出来そうもない。そうなると作業できる日はこの日だけなのだったが小生の予定、正午に歯科診療の予約が決まっていたのであるからして、それに間に合うように作業を済ませシャワーを浴びて受診する、となると朝は7時過ぎには出かけないと「現場を見て」「道具小屋に用具を取りに行き」「チェーンソーの整備」もして再び現場に立つ勘定にすると、忙しいの一言である。

 実際の作業は行ってみないと判らない事も多いし、不測の事態だって可能性は零ではないのだ。ましてや切り上げ時間は先延ばしできない理由があるので安全率を考慮するといきおい早立の選択になる。まあ、そうこうして現場の作業は倒木がアラカシだったので切断し難い樹種ではあったけれど、足場の悪さを考慮してもとりあえずは無事終了で祝着至極であったわい。

 ➡  ➡  とりあえずは通れるようになった


ノアザミの採種

2024-05-30 | 蝶の食草園

 ノアザミの種子がようやく熟して種を散らし始めた。「もう少し…」なんて横着をこいて翌日回しにでもしたら最後、風と共に散りぬいいえ、風がなくともばらけて失ってしまうのだ。袋の用意が無かったので車載されたままの日帰り温泉用のタオル袋で代用する。今回の採取量で苗を作る十分な量は採れたのだが、ばらけさせ風に飛ばしてもほとんど繁殖には役立たずなので採種できるだけ採種しておいてボチボチ苗づくりに励もう。まあ、頭頂は若きみぎりより意思も無いのに禿んでいるわい。二度童ともなれば若々しさ復活!と期待したけれど幼児化しつつも若々しさ、いいえ、ふさふさ化は伴わなかった。悔しいからノアザミくらいはふさふさにしてやろう・・・。

 だけどなあ、種子の飛んでしまった姿を見るにつけ終生直視する事は叶わない頭頂部を見る様で「こんな姿なんだか…」と哀しい。

     


孤爺さんが夜鍋をして甚平縫ってみた…2

2024-05-29 | 何よりの楽しみ

 紬の甚平に引き続いてちぢみの甚平を作る。どちらも丸々一反物は手を付けずに行ったのが結果的に良かったのだ。高価な未使用の反物を初めて作るサイズの甚平に切り刻んでから型どり失敗では和服生地のサイズ上、次が無いのである。サイズ150男子用も製図の目当てが無かった。図面の寸法表示に各身長用を並べて記載されていた物もあったけれど信じて寸法を写した結果、小生でもぶかぶかのパンツになってしまった。上着はそこそこ妥当な大きさに見えるが試着させられないのでそれまでは丁と出るか半と出るのか、もう!お楽しみの世界・・・。

 上着の寸法は女子用ではそれらしく出来たので男子用もその表寸法を拝借したけれどパンツが信用できなかった。そこで140女子用の紙型に肉付けして用意した。元より体型寸法から割り出した紙型では無く小さいサイズから10cmごとの大きさで膨らませてある製図に倣っての「これくらい⁉」製図なので着せて見なけりゃ分からない仕上がりでもある。それでも2回目ともなると手際も良くなって二昼夜の孤軍奮闘はせずに済んだのだった。替えパンツ用のチェック柄をどうするか迷ったあげく、ゴム通し部は接ぎ縫いし後ろ身頃の半分は布地の糸目を無視すれば型が取れたので作ったのだが3時間ほどで仕上がり一丁だった。さすがにパンツ4本目ともなると手際に出て来る・しかしあーあ、もう当分はソーイングしたくないが梅雨の長雨になれば自宅軟禁必至だし、さーてどうするか・・・。老いたベルテルはここで悩むのであった「それが問題だ・・・」   

   


沈泥地の泥浚い

2024-05-28 | 水辺環境の保全

 泥浚いも本来ならば沈泥部をこまめに泥浚いし続けていれば水域への泥土の沈殿は多少なりとも防げる理屈になるけれど理屈通り、思惑通り、計画通りにはいかないのが世の常でもある。姥捨て山の孤爺であっても世の倣いや優先順位の予期せぬ変動は多々影響下にある訳で、その上低年金高年齢と言う社会的弱者そのものの渦中の存在でもあるゆえに遅々として泥は浚えないのに流入は続くばかりだ。これが懐に入る銭金ならば「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。じょんのびじょんのび!」とホックホックの恵比須顔にもなろうと言うものだが、そうは問屋が卸さない。小銭も無いので小売りにも行けない。故に池内で泥浚いチャンチャン!。

 その不幸な証拠に泥浚い真っ最中に突然とジョレンの柄が抜けてしまった。理由は明白で鋤皿を固定していた楔の脱落なのだが、こういう状況では楔を探すことは不可能だ。ホント「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ジョレンをジョレンを…」の手太楽である。ここで作業終了帰宅!は願ったりかなったりの事態なのだが先送りすればその分は利子が増えてわが身に降りかかるだけなのである。で、思案投げ首、まあ、ついさっきほどジョレンの首は投げられたのだが写真の通りルビコン川を渡り始めた以上、大和魂の日本男児としては袖まくりしているのに穴まくり撤退は出来ない。

 そこでつらつら考えた。頭頂は既に夏日でテラテラ輝きを増していて目の前が明るくなったのだ。それは「道具小屋にある通常のジョレンの楔を外して付け替えれば作業続行可能になる。早速、神様仏様恵比寿様の言うとおりにして無事作業終了した。しかしである。まだ泥浚い葉序の口なのだ・・・。ましては浚った泥を留めておくだけでは盛り上がりが高くなるだけで危険だし作業性も悪化する。場外搬出して堤の肉付けに使う案は温めているものの、これはこれで大儀じゃあ、ももそっと先送り先送りの気分のままだわい。年金が増えればやる気が出るかも出ないかも・・・。

 


今日のトンボ「フイールド最小種」

2024-05-27 | 小父のお隣さん

 自分ではアジアイトトンボではないかと思っているのだが、何せ頼りにしているS先生曰く「僕はイトトンボ類は判りません」と言われているので確かめようがない。とは言えこのトンボ、発生生息している事など知っている人はひと握りでしかない。

 小型のトンボで派手さは微塵も無いし飛翔力も弱く浮かんでいるのがやっと、と言うような風情で漂うように移動するし草叢のあたりにしか出没しないし、で確認出来難いのである。小生は水見回りするし泥浚いもして水辺に居る事も多い結果、姿を見れる事になるのだが今期は個体数が多くなった気がする。このような最弱種が増えるのは祝着至極であるのだが「観察会の通り道だけ刈り込みます」とは裏腹に生息域を刈り払われ、恰好の観察環境を失ってしまった。観察会を本当に実のあるものにしたいのなら踏み分け道を通るのがベストと思うけれど「繁茂しているのは雑草である」と言う刷り込みで作業をする「人優先思想」には対抗できないなぁ。

     

 


花筏ならぬ・・・

2024-05-27 | 花の下に長居

 始まりは昆虫の羽音の唸りで気が付くのだが花など見上げてもよう分からん。その後、忘れた頃に綿雪のように空中に漂いながら落ちて来るのであるが、この物体にトンボが飛びついては離れ、飛びついては離れする事がある。このトンボ、大概はシオカラトンボなのだがシオカラトンボの攻撃的な性質を思うと納得する。

 さて、二つ池を薄雪のように染めた物体はヤナギの種子を運ぶ役目の綿毛なのだが冠毛と言って良いのかどうかわからないもののタンポポの冠毛が去りヤナギの冠毛が散ってノアザミが冠毛を散らす時期になり、小生的には「フサフサが消えゆく・・・」当てつけたような季節なのであった。とは言え小生の場合は今を去る事ン十年前にさかのぼれる事象であるからあの「101」を土産にもらって一瓶使用した事もあったと言う程度の記憶しかなくなったのである。

 そこで想いだした「因幡の白うさぎ」、小生も二つ池に浮かぶ綿毛を集めて載せてみれば旺盛復古するかもしれないのだが、今は泥作業で発汗著しい折では暑苦しくてかなわんだろうて。だから試みなかった。今日も泥上げ、明日も泥上げ、これじゃ年がら年中泥上げ、でも無い。

     


今日のエッ!品「思い立ったが実食」

2024-05-26 | 感じるままの回り道

 連日の小雨模様を幸いとして孤爺さんは夜鍋をしてまた未明から粛々と孤軍奮闘、甚平作りに励んでいるのであった。そういう状態だと待てない孤爺さんは飯抜きをしたくなるのだがこれ以上の老衰は避けたい。まあでも、夜間の漏水は避けられそうも無いので受容と寛容の精神で臨むしかないのが人生だなあ。さて、そんな訳で台所では立食で済ますかと雑炊が早いので仕掛けたのだが直ぐに気分は変り「そうだ!リゾットが良い!」となったものの材料は無し。そこでなんとかあり合わせてリゾット風紛い物で誤魔化したのであった。でも美味しさは犠牲にしないのが大和男の心意気なのである。

 前日の残りご飯をフライパンで煮たてイナゴの佃煮、粒コーン、魚肉ソーセージ、インゲン、粉チーズで煮込み、黒コショウを掛けて実食する。心はミシン掛けにあるのだが「旨い!」を感じる余裕もあるのだ。食べながら何時もの妄想、いいえ降臨レシピは「イナゴご飯」であった。「蜂の子も虫、イナゴも虫」であるから炊き込みごはんで美味しいはずだ。既にハチの子飯は30年も食べていない。「昆虫食は世界を救う」はずであるからして老衰も夜間の漏水からも救ってくれるだろうと早速夕食に炊き込んでみた。

 材料は写真の通りなのだがまたもや待てない性格ゆえの準備不足でニンジンが欠けてしまった。いろどりが寂しいけれど鮮やかな色彩満載のコース料理一食を楽しんでも最後は一色に変換されるのであるからしてニンジンが無くても中長期的には何の支障も無いのである。味付けはイナゴの佃煮任せだったので少々薄味仕立てだが年齢を考慮すれば減塩はベストだ。炊き込んだイナゴの歯ごたえは佃煮時とほとんど変わらず、この点が不満と言えば不満で、奥歯の不調で好きな固いものを控えなければならず、バリバリ齧りたいイナゴも炊き込んでも少々固めだったのは裏目で恨めしい。まあ、冷や飯喰いでないだけ有難いのう。

 それもこれもご先祖様のご加護のお蔭でありがたや!。食べて快腸ミシンも快調泥浚い不調・・・。

 

 


ヤブジラミと泥上げ場の刈り取り

2024-05-25 | 今日は真面目に

 刈り払い機の使用は久しぶりである。早春にネザサの刈込を行って以来だろう。フイールドの植生は選択的育成する段階なのでそのバックヤードでは選択的刈り払いが必須だ。年中定例作業と言えども折々に飛び込みで処理をする必要がある作業も多々発生するから定例作業は後回しになりがちなのである。とは言え基本や原則はそっちにあるので粗相のない作業を行いたいもののリスク管理の観点からだと優先順位から外さねばならない事態も多くなった。

 今回のヤブジラミの刈り取りや泥上げ場の確保などはとうに済んでいなければならない作業なのだが「遅ればせながら…」どーもすいません(テヘッ!)って言う感じだ。ヤブジラミは既に結実して付着する状態になっている株もあるから遅い!に違いないけれど刈り倒して置けば拡散散布される機会は減るだろう。刈り払い機の刈り刃を根元に掬うように入れ次々と手あたり次第見つけ次第に刈り払う。遠目には刈り払い作業に見えるけれど近くで観察すればめちゃくちゃ刈り刃を躍らせているとしか見えないし、ましてや終わった跡は踏み荒らした感じでしかない・

 それに比べれば水際の泥上げ場の確保のためにカサスゲを刈り倒した後は明確で「作業しましたね!」と言ってもらえる風だけれどだーれも居らんフイールドではホトトギスとウグイスがが「許可許可・・・」と鳴いているだけである、愛である。とは言えわが身には辛抱努力の泥上げが待っていて哀は否応なく訪れるわい。作業の跡をやぶにらみして見ていれば我が体内外からあいが満ちているのが理解できる。そう、我が人生はあいに満たされているのだった。


今日のトンボ「大型種はまだクロスジギンヤンマだけ」

2024-05-25 | 小父のお隣さん

 ギンヤンマやオニヤンマなどの大型種は6月以降にならないと出現しないのだがクロスジギンヤンマだけは早い時期から出現して楽しませてくれる。ギンヤンマやオニヤンマなどはクロスジギンヤンマほどの適応性が無いのかどうか個体数も少ないから見れば魅せられる存在でもある。クロスジギンヤンマは今のところ普通に観察できる種になって目新しさは無いのだが飛翔はともかく産卵の現場はその習性から気付く人は少ない。今回の撮影は泥上げする近くで産卵していて、デジタルズーム部を使用したくないので泥に脚を捕られながら接近したのだがどういう訳か逃げなかった。しかしながら飛び立つのが恐ろしくて已む無くデジタルズーム域での撮影で、やはりシャープさに欠ける。

 タフカメラを購入する時に「お勧めしません…」と言われた理由も理解していたが、何せ鏡胴式カメラの繰り出しが1台2台と故障し次機種のタフカメラのズーム性能が悪いのに寒中泥田にわが身もろとも沈したりしたあげくなので「沈怖い、鏡胴式壊れる…」でタフカメラでホントお粗末・・・。


孤爺さんが夜鍋をして甚平を縫ってみた・・・1

2024-05-24 | 何よりの楽しみ

 次姉から小千谷ちぢみと紬の反物を頂いた。「使い道が有るなら役立てて」と言う事なのだが金額にすればン万円にもなるので低年金高年齢では手出しが出来ない商品でもある。既に切り取り使われた形跡の有る生地は宗匠帽を取りそろえて作ってみたが被ると宗匠風とは大きく異なるイスラム風になってしまった小生であるのが理解できて飾り帽子に成り下がった。しかしこの型の帽子は折り返しをしなければヘルメットをかぶった折りの汗取り帽に最適なのが判り木綿布で重宝している。市販の汗取りキャップもあるけれど化繊で気に入らない。

 さて、筋を本題に戻すと夏の衣服に最適な甚平をこの生地で作る事にしたのだ。と言うのも市販のサイズは子ども用は120どまり、その上は大人用のMサイズで伸長170cmくらいからしか店頭にないのである。まあ、考えてみれば小学校高学年から成人の頃までの世代は甚平なんて着たいとも思わないだろうし親だって着せて「可愛いわあ!」と思わない頃合いでもある。てなもんで仕方が無いので手作りするしか無し。高級和服地が手に入ったから使わずしてどうするのだ、という感覚だ。しかし大きな問題がある。製図をするにモデルが無い。図書館に行き、書店に行き、ようやく一冊づつ用意出来たけれど記載に統一感は無く、それを消化しながら製図をしなければならなかった。目指すはサイズ140女子用とサイズ150男子用である。

 まずは女子用から作成したのだが反物の幅が僅かに不足するので別生地を足してデザインしてみた。これで紬やちぢみの地味さから少年少女期に着ても映える甚平となるだろう。上着は難なく仕上げれたのだったがパンツが難物だった。寸法表通りに製図して生地をカットし縫い合わせた一回目はどういう訳か小生でも有り余る大きさのサイズになって多大な時間を浪費して糸目を切り開く羽目に陥った。まあ、仮縫いとでも言おうか、そんな手順を省いた結果でもあるからしょうもないと言ってしまえば「けんもほろろ」の扱い、身も蓋も無いのだけれどその間違えた理由すら不明のままなのだった。

 再度、型紙を代え気を取り直して縫った物もお釈迦の扱いで、もう男子意気に感ず、で意固地で通すだけが突破口なのであったが、そのために夜鍋して早く目覚めるから未明から作業して小雨模様を幸いに夕食後までまた夜鍋して漸く陽の目、いいえ星の目、その上涙目、糸目を見続けた結果は乱視老眼に多大な負担を掛けたようで眼鏡の新調が必要になった。あーあ、銭金は思わぬところから漏れていく…。

 さて、別布はキャラクターデザインの生地を用意したがパンツならもう1本出来ると判ったので女子用はパンツ2枚にした。その時の前の型どりと修正した型との差が左上の写真である。まあ、初めての合わせ生地女子用甚平はかくして二昼夜にも及ぶ奮闘努力の末に大団円となった。しかし「仏作って魂入れず」の諺に似て「パンツ作ってゴム紐入れず」のままで、これは本人が居なければどうしようも無い事柄だが後の御愉しみ・・・。ちなみに女子用はちぢみでは無く紬地にしたのだがこれはちぢみだと涼やかだけれど透け感が有るからで男子用はちぢみで作る。ちぢみと紬は麻と正絹で5本残っているのだが小生用の作務衣は足りているし和服なんぞ要は無いし、何か良い使い道は無いだろうか。それには図書館や書店の縫物本コーナーにまた出没し情報漁りに行くべきだろうか。行くべきか行かざるべきか、それが難問だ。そしてもう一つの秘密、写真では判りかねるのだがキャラクターパンツの後身頃の図柄が逆さまになってしまったのである。修正しようにも生地は無いし後ろ側ならだれも気付かないだろうとだんまりを決める。

     


トンボ池の泥浚いと葦刈り

2024-05-23 | 水辺環境の保全

 「どこまで続く泥濘ぞ…」とまあ、大陸侵出の兵隊のような心持の泥浚いが続く。夏草が茂る前に泥浚いを終えてしまいたかったのだが寄る年波、腹の皮を眺めればそうもいかず必要な事は遅々として進まない。それでも「灯篭に斧」「原爆に竹槍」の大和魂は失ってはいかん。そうなれば全てが水泡にいいえ、薮と化すのだ。てなもんや三度笠で今日も泥浚いの始まり。ところがトンボ池の中島にはコガタスズメバチの巣が出来たので上陸して葦の切除も出来ない。ここを葦の巣窟にしてしまうと後々、水域に侵出を許す事になるけれど根茎までは退治できずモヤモヤ感がのこるのだった。まずはトックリ状の巣を処分してから安心して作業続行する。今の時期、蜂は攻撃的では無いと言えど、至近で葦を刈り取っていれば、いつ何時敵と判断されるか分からない。ここは女王様には申し訳ないけれど退去処分とする。

 巣は撤去した ➡  ➡  葦の切除終了  

 池の泥浚いは長柄のジョレンで行う。四辺形の池の二辺だけで泥浚いしてないので十分に浚ったとは言えないのだが残りの二辺部はフジバカマとミゾソバが育ってしまって時期を失して出来難い。敢て泥浚いに入れば育った植生をリセットする事になり、この時期でのリセットは環境に影響が大きく避けるしかないの判断である。

     


今日の薄幸食「搾汁残渣のパンケーキ風⁉」

2024-05-22 | 何よりの楽しみ

 「いやーん、意外に美味しいでないの…」が偽らざる第一印象だ。雨降りお憑きさんだと小生「閑居して不善を成す」タイプなので既に低年金高年齢の浮世の身ともなれば性の区別など言動からも判らなくなるのは致し方なし。さて、いわゆる大果実の晩柑類をあちこちから頂いたのだが温州ミカンとは異なり消費は遅い。既に賞味期限切れのサインでもある外皮の軟化が始った果実もあるので優先して食べているのだが、逆に貯蔵熟成を行ったとも言え酸味が減り甘味が増して美味しいのである。今回、中核の食材には発酵品はチーズだけなのでまあ、番外品とも言えようが、まっこと薄幸な孤爺のエッ!品でもある。とは言え薄幸な孤爺とは言え豪華一点は所有しており、それは我が人生に若きみぎりより燦然と頭頂で発光し続けている・・・。

 さてさて消費を早めるために搾汁して飲んでみたらこれがまたフレッシュ生ジュースで美味しいのだがしっかり搾汁しても1カップに満たないし食べる時より残渣物が多く出る。前夜は夜鍋をして未明には目覚めてしまい「雨だから…」と甚平を作っていたので朝食時間になっても手休めしたくない。とは言え「武士は喰わねど妻用事」に甘んじている事はフレイル予防上出来ないのでまずはビタミン補給に搾汁して…となったのだが残った残渣物でビビビッとレシピ降臨してしびれてしまったのである。

 ここだけの話、しびれには坐骨神経痛も混じっているんだろうなぁ。でもさあ、そうなると「待てない性格」の孤爺としては厄介な渦中に入ってしまうのだった。「きっと美味しいに違いない!」とバターを塗ったフライパンで両面を加熱しチーズを載せて再び加熱である。頃合いを見て小皿に取り蜂蜜が無かったのでオリゴ糖を滴下してご賞味となった。もうイヤーン、癖になっちゃうスイーツ!

 搾汁滓ではないれきっとした残差物 ➡  チーズを載せ焼く

 とは言え、こんなレシピは世界にたった独りの物、余人では手出しはしないだろうが生まれも育ちも由緒正しい南魚沼の水飲み百姓のおじ権坊であればこその口福なのであった。チーズがベビーチーズしか無くて摺り下ろして載せたのだが「溶けるチーズ」で両面を挟めば更に口福度急上昇間違いなし!、と読んでスーパーでチーズ棚を見たものの、たとえ試作用でもあの値段では手が伸びなかった。ベビーチーズで我慢するわね。そんな事とて雨の朝の手慰み、と言えども姥捨て山でもSDGs の一端に参与したのである愛である・・・。

 スイーツ感満載


ハンショウヅル、花消えた・・・

2024-05-21 | 小人閑居して憮然

 擁壁に垂れ下がり花をつけていたハンショウヅルの花も蕾もことごとく無くなっていた。有り体に言えば例年のお約束みたいな行為の結果ではあるものの今回は種子の元さえ盗られる徹底ぶりだった。また会婦人部が早春に定植した果樹苗も日を置かずして持ち去られているので言わば盗人昼行のフイールドでもあるのだ。

 タケノコのシーズンは終了したが頃合いともなれば早朝から車数台が駐車場に並ぶ。端的には窃盗行為であるけれどタケノコとそこにしかない植生とでは価値が大きく異なるだろう。「嘘つきは泥棒の始まり」とは、小生が子供の頃に常日頃耳にしていた諺だけれど、ネット上には嘘を承知で大量に送信をしている輩と許している管理者がいる。この頃、有名人のサギメールがニュースになっているが、一方、大手の企業を騙って大量に詐欺メールを送り付けを許している企業もその類いに違いない。フイルターを付けるのは簡単なはずなのに要は儲かれば良いのだろうて。商売繁盛、蔓は離すなが先生様に観倣っている社会、テヘ!。

     


今日のトンボ「漸く真っ赤っか…」

2024-05-21 | 小父のお隣さん

 羽化してまだ色ののらない個体を見たのが4月19日だったのだが、それ以来個体の確認は出来ずようやくショウジョウトンボらしい真っ赤な個体に出会ったのだ。まあ、出会ったところで特段の事も無し、赤い糸で結ばれている訳でも無し、「トンボの季節到来」の道筋でしかない。とは言え赤いトンボは大型のトンボに同じく気をひかされる魅力がある。これも歳とって二度童に還った事とも関係しているのだろう。しかし少年時代のようにトンボとりやトンボ釣りに興じることは無く眺めて終わりだ。

 郷里の水田地帯は田植えの真っ最中なのだろうが昔々、父母の法事で訪れた折りに圃場整備で既に消えてしまった「小鮒釣りしあの川」あたりを歩いたのだが水域に生物の姿は無く空にツバメも飛んでいない古里だった。少年時代、玄関土間上で育雛していたツバメの餌の大半はトンボだったのにお米の増産は成っても「沈黙の春」そのままの姿になっており、大方どこでもそうなっているのだろうなあ。コロナ前から帰省して無いから何年になるのかヒイ、フウ、ミイ、いっぱい、いっぱい・・・。

      

 


油断も隙もありゃあしない・・・

2024-05-20 | 小人閑居して憮然

 小雨模様が続いたり肩の疼痛に耐えきれず鍼治療に行かざるを得なくて三日ほどご無沙汰したのだがホトトギスの鳴き声を近くに聴きながら「良い季節になったなあ…」と思ったのも束の間・股の間で泥水池3に水が無い!。「油断も隙もありゃあしない」は世間様の常套句であるが「減水も穴も減りゃあしない!」がフイールド水域のお約束である。他の水域も送水管の吐出量も独断の変化は無かったので「漏水孔間違いなし」と泥浚いの予定を変更して漏水孔潰しをせざるを得なくなった。

 早速、池に入り漏水孔を探したのだが粘度の高い泥土は足の抜けが悪くて一歩一歩抜くのに気を使わざるを得なかった。動作や反応が悪ければ即、泥坊主になる。そうしてようやく発見した漏水孔は指二本分程度なのだが、もともと流入する水量が少ない水域では致命的でもあるのだった。まずは泥土を除き穴の位置を確かめる。寄せた泥土で堤を拵えて作業部への水を止めてから掘削である。

      これでも致命傷 ➡  掘り下げ体重を乗せて鎮圧する

 スコップで掘り下げた深さは50cmほどで、確実にするためには更に漏水孔を辿りつつ掘り進み潰すのが望ましいけれど際限がなくなるので何時もの手太楽で終える。掘り上げた土塊を掘り進めた穴に詰めつつ踏み潰して一件落着した。泥の堆積が進み水深が浅くなった結果、水溜りにはメダカやクチボソなどは見られず、生息していてもアオサギやコサギが採餌に来る現状では泥鰌とて数を増やすのは容易ではない。カワセミの採餌には許容100%でもアオサギの採餌には石を投げたくなるのは差別感の一種か・・・。孤爺ともなると偏屈さも頑固になり「生物草本皆兄弟」とは達観できない。