トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

胴突きを新調する

2024-11-22 | 今日は真面目に

 新調!と言ったところで実態はお古の寄せ集めなのだ。使い続けてきた胴突きは腐食が進み持ち手も外れてしまい使えなくなっている。これでは土固めが出来ず、当然の如く水域の保全作業は滞るのであった。「新調しなくては…」と思いつつも延び延びになってしまいこの日、ようやくマキの幹材と外れた取手を合わせようやく取り換える事が出来たのだった。

 マキノキは杉やヒノキのように凹凸の少ないすっきりした外観をしておらず、チェーンソーで外観を修正してから取手を取り付けたのだ。縦寸法は旧来の物よりやや短めだけれど重さはそんなに変わっていない感触である。まあ、密度が異なるから当然と言えば当然なのだが、それが理由で杉材よりも腐朽が遅い感じがする。当座五年程度は使えるだろうが、これが朽ちる頃には小生の体力も朽ち気味になっているだろうし、何より隣り沢の取水升を掘り出せない以上はおっつけ断水となって水域は消滅するだろう。この復旧は喫緊の課題であるけれど孤爺の馬力では難しい作業になった。

 だから胴突きを新調して水域の保全を進められるようにしたと言ったところで、一方では断水は必至の状況も続いているし「卵が先か⁉、鶏が先か⁉」とまあ、しょうもない立場でもありど突かれてもしょうもない・・・。と言ってみたところで姥捨て山に人はおらずど突かれる相手もおらず枯れ枝を脚に絡ませオットットーが落ちであるか、それとも胴突きの制御おぼつかず足に落とすか…そんなところかぁ・・・。話は飛ぶが急に寒くなって最低気温が一桁台になった。


止められない、止められない、遂には杭棒

2024-11-12 | 今日は真面目に

 幾何回転体の加工素材を板材でなくムク材で作ってみようとまずは垂木の端材で作ってみたのが先日の事だ。角材なので二面に投影図を描いて鋸で荒取りしサンダーで形を整えオービタルサンダーで曲面を仕上げたのだった。これはこれで思っていたよりスムーズに終わって、こうなると何時もの如く暴走が始まる。出来が悪ければ今度は「もう一度」となるのがお約束だから、どちらにしても面倒な性向なのである。

 一夜明けない丑三つ時「そうだ丸棒から作ってみよう!」と「ビビビッ」と覚醒してしまい、その手順を考えつつ朝を迎えてしまったのだった。丸棒は杭の断材を使う事にしたのだが角材のように平面では無いので罫書き線をどうして描くかが難題だった。工場ではVブロックとトースカンで中心線を書き出せるのだが生憎そのような道具は無い。つらつら考えて杭棒の外周面を用紙に展開し、そこに四等分線と円弧の頂点を書き込んで移す事にした。これは上手くいってさっそく加工に入る。

 この日の予報は「昼間は曇り、夕刻から雨」だったけれど朝には路面が濡れていたからフイールドは休みにして朝食後から直ちに工作を開始する。まずはオロイドの中心間を√2×Rの物を製図して鋸で荒取りしサンダーで大まかな外形を削りだした。仕上げはオービタルサンダーを平面に見立て、そこに未完成の部材を転がすようにして研磨を進める。この方法だと実際に転がり運動をさせながら仕上げていくので齟齬が少なくなるはずだ。表面仕上げはスポンジブロックで磨き荏胡麻油で塗装して一丁上がり。転がしてみればそこそこ転がるけれどやはり薄板仕立ての様な「おいおい、止まらんかい!」と言うほど転がらない。木目や加工精度、あるいは木質部の密度差などで微妙なバランスの乱れは生じるから気持ちよく転がらせるには微調整が必要なのだろう。ここまで仕上げて間違いに気が付いたのだった。

 もう「あっれまあ!・・・」なのである。その間違いは円弧の中心間寸法が何故か不足していたのだった。正確な数字は書き出してあったのだが材の長さが短くなっていたのである。結局、新たに正しい寸法で作り直しになり、再度同じ工作を行う。正午ギリギリに完成して漸く一段落したのだが材料の残りはあるし道具も広げたままだったし軒下工作が出来ないほどの雨では無いのでスフェリコンも試作する事にした。必要な材の長さが短くなるだけで加工方法は同じだから意外に早く完成する。転がしてみればそつなく転がるけれど薄板作りより動きは不足だ。しかし木目の美しさと握った感覚のほっこり感は薄板仕立てには無い良さがある。で結局「むくの回転体は見本に用意して置き、量産には薄板仕立て」にするのが妥当と判断したのだった。

 ネットの関連記事を検索すると「角材から削り出し」が丁寧に解説してあったけれど小生には削り出す部材のイメージが作り難く、結局はこの方法にした。この方法なら最初からナイフで削り出しして指の豆を潰す事も無いし出来上がりも想起し易く二辺ある円弧部には3カ所の目印を打つし、これを結べば円弧の先端になるので削り過ぎも防げるだろう。ただ手持ちで電動工具を使うから慣れていないと危ない。

 出来栄え点も加工満足度も合格点だったから祝着至極・執着地獄の両方を味わったのだが「越後の生まれか⁉、それはそれはまずは寿司喰いねえ…」なんて石松さんもおらん孤爺ではスーパーの助六寿司を買って食べるのが関の山だなあ。今日は寒空だし出かける気にもならず「そうだ!ソーイングにしよう」。何を目論んでいるかと言うとキルトでローブカーディガンの大作に挑戦するのだ。

 


木aワーカーの面目があって・・・

2024-11-10 | 今日は真面目に

 1月の「森の市」出品物の製作を行わねばならない時期に入ったのだが量産品の加工が進まない。今まで多くを作ってきて新鮮味が無くなっている事もあるけれど一番の遅れの理由は「他に作りたい物がある」からなのだった。

 木製玩具の幾何回転体は三種類を製作しているが今回はより手数を省略するためにヘキサ・スフェリコンは塩ビ管で試作してみた。これの記事は別掲したが更にポリエチレン送水管の残り物で、この肉厚の管なら接着面の強度を高められそうだと試作をしてみたいのだ。でも今回の記事はオロイドとスフェリコンを今までの様な薄板仕立てではなく「むく」で試作してみたくなったのであった。まあ、ひとつは興味本位なのであるけれど「これくらいなら小生でも加工できそう・・・」と浮気の虫がムズムズし始めた結果なのであった。これくらいできなくては「木aワーカー」としての沽券にかかわる。

 こうなると「待てない性格」の孤爺としては全て他の事はストップとなって、とにもかくにも掻くところが無く人知れず行う工作だから恥をかく事も無いのだが、せいぜい「頭を掻く」程度の顛末は覚悟の上なのだった。いつものように突発的「ビビビッ!」なので材料はありあわせの角材を必要な寸法に切断し四面に投影図を書き込んで鋸で大まかに不要部分を切り取りサンダーで粗削りし大まかな外形を整えてからオービタルサンダーで仕上げた。

 最初はオロイドだけで済ますつもりだったのに一夜明ければスフェリコンも削り出す欲求が止まず沈静化するためには試行させねば終わらない。で、てなもんや三度笠の結果はオーライだった。さすがにタイプは異なるものの加工方法の勘所は同じ回転体で二作目の方がやはり早く済んだのである。一作目を作ってみて二作目の加工を容易にする方法を思いついたのだが「あるはずの竹ひご」が見当たらなくて目印の点を頼りに削ったのだった。この竹ひごの使用は二カ所ある円弧の両末端に竹ひごを埋め込んで置けば削る時の目印になって外形のラインの見当がつきやすくなるはずなのである。

 加工の現実は全て出来上がりラインを想定しつつ削り出していくので目安があると安心でもあるし削り過ぎも防げるはずだ。今回、二種類を加工してみて意外に上手くいくのが判ったから次回は少し硬めのヒノキ材で作ってみたい。今回は洋材だったので加工は楽だったけれど軟らかく、加工中に度々落としてその度に冷や冷やしたのだ。デザイン的に持ちにくい外観なので左手での保持は注意を払ったけれど、それでも時折は落下させてしまう。怪我も無い様に気を使う加工だった。

 下の写真、右側がオロイドで左側がスフェリコンだ。上側が従来製作してきたプレートタイプで下側が今回の試作品になるけれど写真では鮮明さが無く良く分からないものの上側のプレートタイプに肉付けした「むく」の物と考えればその通りなのである。プレートタイプは「こんなんでなんで転がるの⁉」と言う様な不思議な面白さ、むくタイプは「握っても気持ちが良い」一品になった。


チェーンソーの整備

2024-11-03 | 今日は真面目に

 先日の事、代表から「チェーンソーが始動しないので整備をお願いします」と言われていてこの日、朝方まで降雨で9時ごろには上がったから整備に拠点の小屋まで上った。この頃は拠点小屋まで行って道具の出し入れをしなくても済むようにしたし定例会も「サービス業」を行うほど暇でも無いので拠点小屋にはほとんど行かなくなったのだ。まずは雑然と物置になっているベランダを片付けて作業場所を確保する。

 小屋からチェーンソー3台を出してオイルと燃料を確認し始動を試みたがなかなか始動しない。そこで一旦残っている燃料を全て排出しバージポンプをポコポコ押して残っているガソリンを気化器に圧送して気化器内の燃料を更新してから始動を試みた。何度かスターターを引き続けてようやく発火音がして「ヤレヤレ…」である。3台とも同じ症状だった。適宜の期間を置きながら使う人員が無くなったので、どうしても気化器内の燃料が通り難くなる。使い終わった後は燃料を抜きエンジンを始動させパイプ内の燃料を使い切っておけば始動困難には至らないのだが「たまに使う」程度だと後始末はしないのである。結局は後始末が小生に回って来るのだった。どこでもそうなのだろうが「共用品」を使う場合「使って終わり」がほとんどなのだろう。

     


水源地埋没から二カ月目

2024-11-01 | 今日は真面目に

 八月末に水源地が埋没して取水堰も取水升も砂礫の下、おそらく地下1mほどの処にあるはずだ。それでも泥土でなく砂礫での埋没なので伏流水が取水升に届いて幸いにも断水の事態にはなっていない。しかし砂礫の隙間に微粒子が入り込めばじわじわと減水し断水になるのは目に見えているのだ。10月初め掛け合った担当課職員が雨をおして視察に来たけれど未だに返事も無く、取水堰が破壊された以前の危機の時でさえ「金がない!」の一言で災害復旧には至らなかった事を思うと今回も自助努力になるのだろう、と腹をくくらねばならない。

 今の処、作業の詰まった水域の手入れもしなくてはならない事情もあるので水源地での作業は先送りだけれど、スコップ一杯分でも砂礫を排除する意思を持たねば水域は春までに干あがる可能性が高いのだ。時折は吐水量をチェックしているが大きな変動も無くホッとした。毎分24リットルを吐水しているので量から見れば通常に見えるのだが水源地は目も当てられない惨状なのである。

 孤爺が膝小僧、腰娘、肩倅に無理を言いつつ参加してもらっても微々たる上の微力だ。取水し送水している管路の途中二カ所に簡易トイレの手洗い水用として分岐させてあるから公共性の点では遜色は無いと孤爺は思うけれど…ついつい愚痴になる。愚痴は言うまいこぼすまい、これが孤爺の活きる道。


今日のトンボ「オニヤンマもそろそろ残暑疲労気味!」

2024-10-04 | 今日は真面目に

 10月ともなると頭上を舞うウスバキトンボは別にしてトンボ類を見られるのは日当たり良好なトンボ池周辺と三日月池に連なる草地だけになってしまう。この日はトンボ池でコナギの抜去を行っていたのだがオニヤンマは二頭飛翔している。オス同士と言う事もあり休んでいる近くを通ればさっそく追いかけっこになるのだが、ひとしきり追いかけっこをして直ぐ近くの枝先にぶら下がって来る。

 翅を良く観察しないまでも透明度は薄れくたびれた感じは伝わって来るから「暑い盛りご苦労様でした!」とねぎらいの言葉でもかけてやりたくなるというものである。盛期にはまず止まった姿などを撮影できる機会は少なく、大方が晩秋になり「そろそろ姿を消す頃か…」という時期になってようやく撮影が出来る。今期の大型トンボの視認機会は少なく、ギンヤンマは確認無しでマルタンヤンマは数回どまりだった。まあ、実際には飛翔していたのかも知れないけれど、7月8月は猛暑で大幅に出勤減少し9月は隣り沢の水源地への災害復旧で手を取られたから「観察できる日々」そのものも極端に減ったのだ。

     


猛暑の中にも恵みあり⁉

2024-09-28 | 今日は真面目に

 とんでもない猛暑が続き「熱中症警戒アラート」も「危険」の日々では自宅自主軟禁するしかなかったのだがさて、日々をどう過ごそうか考えてもいなかったのだ。今期は初めて室温30℃を超えるあたりからクーラーのお世話になってリビング住まいをしてみたけれどテレビ番組など見るに値しないし録りためた映画なども全て見たい訳でも無いし、読書だって睡眠誘導剤だから日中は使用しない。さて、そうなると別の何かを探さねばならぬ。「孤爺殺すに刃物は要らぬ、猛暑三日も続けば良い!」てなもんや三度笠、であっても一日たっぷり残りはチョッピリではそうそう甘えてもおれないし「死んでも命があるように!」が人生唯一の望みなのだから清廉潔白で生きていたい。間違えても裏金などには手を出さぬし染まらぬし知らんぷりもしない。とまあ、こういう訳で有り余る日々を資料作成に費やしたのである。久しぶりに朝食後から就寝時までほぼキーボードと遊んだのだった。こんな由緒あり正しい老後の時間の使い方はお裁縫で目がショボショボしてしまった初夏のころ以来で、だから眼科にいかなくっちゃ。

 さて斑痴呆は繋がってようやく話が普通になった。そもそも基になった版は2022年版だけれど可能な限り情報を書き込み新たな図版も数種類を組み入れた。特筆すべきは既存の「生態系指標種で観る環境健全度」表を姥捨て山に当てはめ作り直した事である。これをした事でS先生が常日頃おっしゃっていた「ここは小さいけれど貴重なフイールドです」と言う言葉が表を眺めれば一目瞭然で視覚的に納得できたのは大変大事な事であった。ただページ数が増えてしまい一冊につきA4用紙50枚必要になって12部だけ作っても試し刷りや校正確認などもあって使う用紙は千枚近いし、プリンターのインクセットも2セット必要で諸費用だけで2万円が飛んでしまった。単純計算で一冊1600円相当になる勘定だ。これを高い遊びと観るか安い遊びと思うかは人それぞれだろうけれど冊子の質としては公の出版物よりより現実を反映した出来栄えと言える。まあ、手前味噌、爺我自賛はほどほどにしても他に類を見ない、と言って良かろう。

 さて今回、製本するにあたり治具を作ってみた。たかだか12冊と言う莫れ、製本作業は根気のいる作業でもあるし和綴じなので「穴開け」が一番大変と思えた過去の印象から穴開け治具を用意したのだ。一枚はプラ版で表紙に合わせ穴にボールペンを挿せば穴開け位置が記される。もう一つはボール盤で糸穴を開けるための補助道具で一冊分を合わせて表紙の印にドリルを下ろせば穴が定位置に通ると言う治具だ。ネットなどで拝見すると千枚通しで加工する画像が多かったけれど数冊なら面倒は無いだろうが二桁ともなれば効率も大事になる。

 中身の一部はチェック不十分なのだが孤爺が出来るところは埋めたので残りはどうしてもS先生の情報量に頼らざるを得ないから「出来上がり見本」として試作した分をお渡しして情報を注入してもらう予定である。暑さ厳しき折、フイールドで出会う機会が少ないのでいつお渡し出来ていつ戻って来るかは判断も出来ないけれど「そのうちなんとかなるだろう~」てなもんや三度笠・・・。台風10号の超豪雨被害で未だに取水堰の位置さえ砂礫に埋もれ判明しない今日この頃、このまま断水ともなれば水系は全滅で生態系に大きな損傷がでるものの、誰もそんな事には関知しないのが浮世である。だからこの冊子は過去の栄光を留める事になりかねない一冊だ。個人的には「我が友であり先輩、おやじに捧ぐ」一冊として奥様に送り届けたい。

 


少しだけ杭作り

2024-09-22 | 今日は真面目に

 杭作りと言ったところで3尺の長さに切断しただけだ。ホームセンターで購入すればより簡単容易に入手できるけれど使える物があるのに使わない手はない。それと共に隣り沢での連日の復旧作業で疲労困憊感が出てきたから身体を休める必要もある。気分商品のドリンクの数本でも購入するかと思いつつドラッグストアに横道それるのも面倒に感じる今日この頃なのである。

 それでこの日は写真の杭を用意し車載、チェーンソーと掛け矢も積み込んで次の水源地での準備もしておく。これだけで後部座席と荷室は万歳する程混雑してしまった。この日も真夏日33℃を記録する。湿度が高いのでいっそう不快感があるが台風10号一過、少し涼しさに当たった身体には33℃は辛く感じる。とは言え真夏日だからと作業を後回しにすればフイールドの劣化が早まるだけなのである。(A)Cで言えば「エントロピーの増大」に抗わねばならないのが保全活動なのである。

 環境を損なえば生態系の打撃は計り知れない。風景・環境は目に見える部分が多いけれど生態系そのものを感じ取れることはまず無いのである。だからこそ自転車商売・水見回りになるのだが10号台風の豪雨で水源地も水域も大きな損傷を受けた。我が身と必要な労力を想起すればほとんどステージⅣである。水を確保できなければフイールドは終焉確定だが己のためにも水の確保は必須である。

     

 


取水堰の環境変化、既にステージⅣ!

2024-09-11 | 今日は真面目に

 WOWOW放送開始に先立ち設置した受信アンテナの寿命が来てしまった。見積もりの日・取り付けの日、やる事も無いので水源地の顛末を拾ってみた。消去した写真も多数だしブログ内のアルバムはサービス業者の移動を余儀なくされた段階で撮影日時のデーターは全て消えてしまい詳細不明になっている。それでも大方の推移は判明するだろう。

 さて隣り沢からの取水・送水路は江戸時代末期、現フイールド水域に新田開発を行いその用水調達のために水路と尾根を貫通させた用水トンネルで構成された。話によれば昭和の中頃まで田圃として使われていたそうだがその後は放棄されている。ただ送水路は活きていたらしく上の池(溜池として掘削された)には水が届いていたらしい。田んぼとして機能していた頃に取水堰とパイプによる送水管での水調達があったのかどうかまでは小生には不明だ。取水堰と送水管路の完成は平成14年度(2002)で、それ以前に用水トンネル両側で斜面の崩落があり埋まって「ポンプ車のホースで水圧を利用して穴を探したが発見できなかった」と事情通から話を聞いているので公による工事の必要性はあったのだろう。

 2002年度取水堰完成、送水管路約800mを沢沿いに下降させ尾根の末端を回し現吐水位置まで送った(高低差は3mと聞く)。小生らがこのフイールドで活動開始は2009年からで取水堰を構築して7年後だ。取水場所付近はまだ藪沢状態だった。写真で見る限りは小規模の工事で取水堰横幅は3m程度でしかない。最大水量はこれで間に合うと言う設計だったのだろう。水路幅を決めていた堰上部のコンクリート護岸は活動を開始して以来見かけていない。

 ステージ1。2013年ころの小規模崩落。取水升近くまで水路でなく2本の大径管を用いている。度々水路の埋没があったと思われ、それの影響を少なくするための通水菅敷設だったようだ。ただ管径で通水量制限があり増水時には奔流が別方向へ流路を形成してしまい、全体としてみれば管理上は厄介だった。奔流になると取水路を外れる流路を形成する。つまりは逸脱する癖を醸し出す。

 同時期の取水升掘り出し作業。樹木の堆積がみられるから斜面崩壊の結果であろう。崩れた土砂の上に新たな流路を作り水を流す。この繰り返しで溜まった土砂を流出させ河床の維持に努めたのは今も変わらない。2014年までこの程度の作業で送水を維持できていたことになる。河床全体にも及ぶ保全策は必要なかったのだ。2014年以降、大規模出水が頻発し当然断水も増えて通水作業にはエンジンポンプの力も借りなければやり切れない排砂作業が増えたのだ。それまではパイプレンチ2本を携行し40m毎の継手を外し水が通るのを待ち、更に次の継手に行き同様の作業を繰り返す事を延々と行わねばならなかった。

 ステージ2。2014/10/6 台風18号の豪雨350mm超で取水域の沢崩れ多数発生した。堰の右岸側上下も崩れたのだった。取水升への流路は流れ落ちた土砂の上に流路を穿ち取水。その流路の浸食で崩れた土砂を流すという長い戦いの始まりである。この時は担当課へ「取水堰の復旧工事」を相談したが「金が無い」で終わっている。この時の奔流と土砂崩れで堰本体の左岸側半分が消失し左岸側岸が大きく侵食されて取水不能の事態が目前になった。ここから10年にも及ぶ河床安定化作業が始まる。丸太を据え土砂を溜め、更に丸太を据え土砂を溜める事の繰り返しで河床を上げつつ右岸流の安定を図ったのだ。

 2016/4頃の1枚、堰の横幅が短いため奔流が左岸側を崩壊させて水路になった修復部分。浸食がすすむと取水不可能になるから段差工で「沢止め」を行っている途中。浸食堆積流を活かしながら河床を上げ右岸流の安定を図る、と言う作業が続く。この成り行き次第の現在進行形の現場内に寄生取水が発生して対応作業の障害になって迷惑この上も無い行為が続いた。信義則も持っていない小ずるく立ち回る輩には対処の仕様がない。まあ、端的に言うなれば「ひとでなし」である。写真中央部のタマアジサイの株あたりが破断され消失した取水堰の破断面である。この位置まで左岸河床面を上昇させておかないと取水不可能のリスクは消えない。

 取水堰上下の崩壊土砂は水流で浸食させ従前の流路を復活させた。左岸の段差工は更なる土砂流出で再構築を余儀なくさせられる。流路の右側の小山は左側からの沢崩れの残骸である。崩れた上に水路を穿ち浸食流でここまで河床を下げ本来の河床まで低下させた。左岸側の段差工の上に更なる段差工を施し増水時の砂礫で埋まる事を頼りに河床を上げる年月が続いていく。 

 2019/6 傾斜角を上げ再構築し谷止工完成。これで取水堰への流路が安定するだろう。取水不能を心配しなくても良くなったのだ。思えば2014年の大規模沢崩れ以来、水流浸食の助けも借りながらの長期間作業だった。黒い管は寄生取水管だ。河床安定化作業進行中の河床に取水升を設置され作業を行なえなくなる状態が続いた。話し合いも無く設置された構築物であっても撤去するのは水争いの種になる。河床の安定化作業は他人任せにして何食わぬ顔で取水升を設えてしまう輩はあの県知事の人格と似ているかも・・・。労力は出さないが私利には暴欲の典型であろう。

 ステージ3、2022年10月の豪雨で河床が1mほど上昇した。幸いにも段差工部は破壊されず右岸流は保たれている。さらに幸いなことは段差工上部の立ち木や流木が流路の抵抗となり河床を盛り上げてくれた事である。大規模奔流で期せず自然堤防が出来た。この時点での山腹の崩壊は少なかったのだが奔流で流出した土砂の量は莫大で水系に棲息していたトンボ種の大減少となってしまって数年で回復できる中身ではない。取水地としてはこれで安心していたものの2024年8月台風10号の余波700mmを越える雨量で重機でなければ復旧は無理の段階に至るのである。写真の河床は全て砂礫の下になった。河原幅も広がり取水堰の位置は判明しなくなる。  

 ステージ4。2024年8月末の台風10号による積算雨量740mm、1時間雨量100mmの豪雨災害で取水地の沢も河床が1mほど上昇して取水堰も埋まり位置不明になった。急速な取水升埋没で砂泥での閉塞に至らなかったのはさいわいだったがおっつけ、砂礫の隙間も砂泥で埋まれば断水である。その前に取水升を露わにしないとフイールドの水域は死ぬ。取水堰は胎盤に例えられるし送水管は臍の緒にあたる。取水地は子宮にも相当するから今回の豪雨被害はステージⅣの体癌に例えられよう。孤老奮闘しても土砂崩れに園芸スコップで対処する様なもんだな。風船潰しに屁をひって行おうとするにも近いか。まあ、取水升を掘り当てられるかどうかは九月上旬の段階では皆目判らん。

 写真の河原に目を転じれば小さな植生が見えるが、これは河床上昇前の段差工上部の植生である。段差工は既に破壊流出埋没したのだが奔流に抵抗出来た時間もあったので左岸水路を大きく作る破局的段階は避けられた。しかし水が引いた後、右岸から左岸への水流路が二筋出来ていてこれが侵食破壊流になる。この後さっそくに右岸側に水流を誘導する手当を行った。これ以降は「埋蔵金探索」あるいは「金鉱探し」としてお宝の取水堰をゲットしたい。それよりも宝くじで高額当選を果たし業者に復旧作業を行わせた方が確率は高いと思えるが・・・。1枚300円を連番で3枚買えば前後賞までゲットだが年金では買えんなあ。貧乏人は粛々と砂遊び、災の河原の砂遊び。水路を作ればまた埋められる。


一本でも堪忍、二本なら降参!

2024-09-10 | 今日は真面目に

 度々発生する奔流による埋没や流出には「堪忍どすえーっ!」と言いたいものの言ったところで何かの役に立つ訳も無し。気力体力が続く限りは働くのが姥捨て山災の河原のお勤めなのである。年明けから疲労困憊して設えた流路と河床の安定化構築作業は台風10号の影響で全て流出し埋没してしまった。ただ上流部に1本だけ流出を免れた大径木を次なる増水までに整流位置まで戻さねばならない。前日に6尺の金梃子で動かそうとしたのだがびくともせず牽引器を携行してこの日の作業になった。

 真夏日になる予報なので沢に日照が入るまでに作業を終えたくて6時前に自宅を出たから作業は7時前から開始である。まずは下流方向の端を流路方向に戻すための牽引が1回目、二回目は立ち木の大杉の根元に上流部の端を曳き寄せて奔流の圧力を支えてもらえるように決めた。ただこの作業は大杉に近すぎてしまい少し離す必要が出てきて下流方向に30cmほど曳いて据え付けは終わった。まだ杭打ちと番線での締結は出来ないけれど100mm程度の降雨なら奔流はここまで来ないだろうから時間的余裕はあるはずだ。

 据えた大径木の下流側にさらに並べて整流用の大径木を据えたいけれど今のところは用材が無く伐採をして曳き出さねばならない。とは言え、今回の据え付けで浅い奔流・突進流は防げて流路の位置は保てるはずなので次なる作業課題は取水堰より河床が下がらない手立ての沢止め工、ここでは段差工なのだが今の処、取水堰の位置が不明で、当然取水升の位置も分からないから段差工の位置も仮りになってしまい現在の河原が崩れない様に保つ事でしかないが、ここにも資材が無いので伐採から始めねばならないのだった。


人参は必要である

2024-08-25 | 今日は真面目に

 「夏草やお爺の庭で丈茫茫」と馬笑翁が吟じた如く、この猛暑でどうにも止まらなかった。23日未明までの集中豪雨で観測値では200mm/24Hを報じていたがそれはフイールドのある区域であった。となると断水の憂き目に遭っている可能性が高いのだが降雨の予報は続いているから水見回りは断念し、引きこもりするほどの高温にならない予報だったので意を決して庭の草削りをしたのだ。今期2回目であるけれど、一回目は6月初めの頃だから草取りをしていない場所の如く隆盛を、いいえ草勢を強めている。

 まずは草削りとチョンチョン鍬の刃を研ぎだししておく。これらも刃物なので爪に当てても滑らない程度に仕上げてから草抜きと草削りの両面作戦である。背丈があるのやランナーを出して広がった夏草は根元から抜き取り、そうでない草は草削りで削り取った。とは言え蚊取り線香を玄関前と縁台及び腰に装着しておいたので蚊の襲来に遭わずに済んだものの日差しが回復すると一挙に発汗が強まる。長袖長ズボン、イグサ帽子のいでたちなので蒸れて暑い。ましてや未明までの降雨で植物体は濡れているからゴム引き手袋も濡れて気色の悪い事、悪い事甚だしく、これは水辺の作業なら濡れた手袋は当たり前だけれど草取りでびしょ濡れの手袋は頂けなかった。

 であるからして何度「室内に逃げ込もう!」と思った事だろ。それをせずにがさつながらほぼ片付けたのはひとえに人参をぶら下げたからなのだ。まあ、午歳ではないので本物の人参は不要なのだが「冷たいシャワーとアイスキャンディー」は必須である。ざっと取り終え、片付ける間もなく自宅侵入して着ていたのはすぐさま洗濯に回しシャワーを浴びた。それでようやく小豆バーにあり付けたのである。一般論として「天にも昇る気持ち」と言えばお判りになるだろうが孤爺の年代になると禁句である。胸中に湧いてくるつぶやきをアイスで凍結させ「くわばらくわばら」とお祓いをしておく。

 さて抜き取った夏草は45ℓのゴミ袋4袋で、そのまま燃えるゴミに出そうか乾燥させて細断し庭のマルチに使おうか、今の処は判断しないで放置だ。しかしながら今回の作業中に一番使い易かった写真中央の草削りを紛失してしまった。最後に見た位置周辺を念入りに探したけれど発見できず、作業に先立って「柄の部分を派手な蛍光色で再塗装しておくべきだった」と悔やんでも遅かりし内蔵助・・・。

     

 


ヤマツツジの定植

2024-08-17 | 今日は真面目に

 代表から「ヤマツツジが届いた」との電話が入った。予定ではコナギの抜去をするつもりだったのだが前日に駐車場に運んでおいたとの事なので直ちに植え付けするしか無いのだった。連日の猛暑の中ではいかに根巻株で乾燥には強いヤマツツジと言えども待ったなしである。

 トンボ池のコナギも繁殖していて抜去対象で、上の池のオオカナダモも抜去して12日ほどしか経過しては居ないのに既にここかしこに株の成長が確認できる。この日はヤマツツジの植え付けで済ますけれど翌日はオオカナダモの抜去に泥沼にはまらねばならない。この暑さの中、胴長を装着しただけで蒸れる状態だから眩暈でも起こして倒れれば泥中窒息で一巻の終わりだ。胴長装着で倒れると足先が浮かぶ結果、頭部は泥の中になるのは目に見えている。

 まあ、それはさておき何を選択しても涼しさや爽やかさなど無いのがこの時期の作業で、とにもかくにもヤマツツジが弱り枯れないうちに植え付けを済ませなばならない。昨季に列植した場所に並べて二列としたけれど。添える真竹を取りに行く陽気でも無く泥決めをして覆土をし、さらに水決めして一件落着だ。お約束通り下着までビッショリで、作業開始間もなく眼鏡は曇るし汗は溜まるし全くの視界不良での作業となった。植え付けだけは念入りにして、手抜きは厳禁なので、これだけは手伝いすると言われても安易に頼めないのである。

 植樹イベントなどの一般参加型は特にそうなのだが、チョコッと植穴を穿ちポンと置き土寄せ、これにペットボトル1本ほどの水を与えて終わり。こういう植え方で半数以上が枯れるのを多々見て来た孤爺としては定植本数が少ないだけに「全数根付き定着」は自己脅迫的でもあるのだ。


ミソハギ満開

2024-08-03 | 今日は真面目に

 水域のミソハギが満開になっている。少年時代、郷里でのミソハギは「盆花」と呼ばれていて開花する頃には水田の用水路脇に野生状態の花を切り採りに行ったものだったがフイールドのミソハギは有用種として株分や移植を繰り返し増やした植物である。この開花の時期にはミツバチやクマバチの羽音が煩くなるほど集まる時もある。

 数年前からタイワンタケクマバチが訪れるようになって、これは外来種ではあるけれど真竹の間引き稈を束ね立てて巣箱代わりにしているのだが今の処は全く使用する形跡はない。新しい竹材でも無くなっているのでいつかは利用するだろうと思ってはいてもタイワンタケクマバチの好みや希望などは知らない小生なので「何か気に染まない環境か⁉」と思っている今日この頃だ。

 まあ、そんな親切で思いやりに溢れた孤爺の胸の内などにはお構いなく、この日もハチたちは忙しそうだった。この水域空間もトンボの、特に大型トンボが回遊し易い様にミソハギなどの間引きが必要だと思いつつ連日の猛暑振りで外出も控える状態であるから手入れは遅々として進まず自宅謹慎蟄居中と言えど自宅周りの草抜きも手抜き状態であるので草ぼうぼう苫屋となっている。まあ、この暑さであるからして暑さから逃亡しやるべきことも手につかずボーッとしている坊主頭の孤爺なのであった。

      


蜂満様境内の刈込み

2024-07-27 | 今日は真面目に

 トンボ池横の草地の繁茂が猛烈である。タイアザミやミソハギ、ノアザミやフジバカマなどの高生種が主体なのであたり前田のクラッカーではあるのだが、そうそう「自然のままに」だけでは環境が損なわれる。やはりある程度の介入と方向づけは必須なのだ。4枠ある囲いの中の植生は昨季までとは打って変わり竹や葦などの侵入が激しくノアザミなどは衰退している傾向にある。ノアザミ自体は宿根草と思って長期にわたり存在できるかと信じて疑わなかったのだが結果的には数年で衰弱して消えていく。多年生と言うより数年性なのかどうかは資料が無いので不明のままだ。

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 まずは刈り払い機で蜂満神社などのBeeホテル周辺を刈りだし囲いの脇も刈り進み観察通路としつつ囲い内の除草を容易にする準備もしておく。草地の部分は通路となる幅だけ刈り取り他は草藪のブロックとして残した。これで漸く数が増えて来たバッタ類の生息場所と食料を保全できるのだ。囲いの中は衰えたとはいえノアザミの株があるから低い姿勢で稲刈り鎌で地際から選択的刈り取りをしてスッキリさせた。株が失われた部分に今期発芽して保育中の苗を補植するかどうかは決めかねている・嫌地現象があるなら再定植はタブーだし他の草域にもノアザミを広げたいし、今のところは決めかねる。

        囲い内の刈りだし     カラスザンショウの刈りだし


エノキの定植

2024-07-24 | 今日は真面目に

 温水田の林道側、泥上げとカサスゲの抜去体の積み上げですっかり土手が出来てしまった。今はカサスゲの席巻凌駕するに任せている部分だけれど先々を見据えエノキの幼樹を植えた。エノキは食樹としても依存する昆虫は数種存在しているし結実すれば冬鳥の食料にもなるし、ホダ木としてヒラタケ栽培にも有用な樹でもある。

 今回、定植した幼樹は林道の泥の堆積物を搬出した中から芽生えたのを昨季にポットで養成した苗である。自宅で育てたけれど親樹はフイールドのどこかにあるはずであるから「里帰り」みたいなもんだろう。林道に添って列植してみたが日当たり良好な位置関係では無いのでどれだけしっかりと成長してくれるかどうかまでは心もとない。今回の位置は水域の南側であるが、日照は南側の尾根に遮られる位置関係でもある事からエノキが育っても水域に大きく日陰を作る可能性は少ない。多少は日陰になるだろうが日陰を好んで産卵する種もいるから差し引きトントンで、そうだよねえ、とんとんとん禿爺さん トントントントンボさん・・・。