小生の「恋の季節」なんてものは、あったとしても半世紀も前の事象だから記憶は既に朧月夜であるけれど、それはそれとしても毎期やって来るのは「来い」の季節で、トンボが出るまでの束の間の相手でもあるから、寂しーい老後である。
昨季、設えた給餌籠は朽ちもせず使用可能だったから再度のお役目を与えたが、出来栄えはともかく風化でしっくりした雰囲気になっている。左右にある国光とフジの樹はフジに袋掛けした果実が10個ほどあるだけだけれど、袋掛けしたためヒヨドリはやってこない。
昨季の給餌籠にはヒヨドリがやってきては餌をついばもうと必死の様相を見せ、最後は酷い声を上げ去って行くのが通例だった。リンゴも袋掛けしなかったから穴だらけにされ、その穴をメジロやシジュウカラがついばんでいた。ヒヨドリにとっては、これも気に入らない様子で威嚇や警告音を発していたが、学習したのだろう今期は静かなものである。平安朝時代、ヒヨドリは愛でられていたと記憶にあるけれど、小生には理由が分からない事で「山のヒヨドリは穏やかなのに…」とつい愚痴が出る。
今のところ給餌籠に入るのはメジロだけで、スズメは首を伸ばして玄米を食べるものの籠には入らない、人の生活圏と密着しているスズメが警戒怠らず、山野で天敵に囲まれ生きているメジロがくつろいで行くのも可笑しさがある。メジロなどは、ミカンがある間は10分でも15分でも居続けるし、炬燵から見ているとミカンに止まってしばし目を閉じている時間もある。そんなことなら「泊まれば…」と思うけれどメジロにはメジロの事情があるのだろう。当たり前の事だろうが、鳥たちの行動もピンからキリまであるものだ。
今のところカーテンを開け炬燵で見ている限りではメジロは採餌してくれるがスズメは無理だ。撮影するにはカーテンの隙間から盗み撮りするしかないのが画質の悪さにつながる。ガラスを通すと視認しているよりクリアさが格段に落ちるのである。
メジロ スズメ