寒の内の恒例イベント「森林の市」に出品したのだが、そのブースに両親と男の子がやってきて「頂いたトーマスで楽しく遊ばせてもらっています。ほんの気持ちだけですが…」と写真プリントと包装紙に包まれたプレゼントを出され頭を下げられた。
突然の事で飲み込めなかったものの昨年のイベントで木製の「機関車トーマス」を手にしてから片時も離さず良く遊んでくれているのでお礼なのだと言う。小生的には「そんな事でお礼されても…」と言う戸惑いもあったけれど、ご厚意なので頂戴した。
しかしながら脳裏に「そんな事があったのか…」とも思いつつ「そんなに良く遊んでくれるなら玩具も本望ですね」なんて言いながら展示していた恐竜のプルトイをお返しに渡した。これは促されてパパが選んだ玩具だ。
その時はそれだけでそっけなく別れたのだが、自宅で写真プリントを眺めていたら記憶が蘇えってくる。その二歳前後のボクちゃんは展示してあるトーマスを両手で挟みつつ左右に動かして離れようとしない子だった。ママは後ろに立って「他もあるから…」と声をかけるのだが、その子は聞く耳を持たないし無表情のままだ。ママと話すると「トーマスが大好きで、どこへ行くにも一緒です」とバックの中からソフトフェギアを出して見せてくれた。
ママが移動を促そうと肩に手を掛けても動じない。「欲しい欲しい!」と駄々っ子する訳でもなかった。ママの言動を見ていて「偉い」と思ったのは待つ姿勢を崩さなかった事である。実際は途方に暮れていたのだろうけれど、既に小生は状況を理解していたから、ほとほと困った様子のママへの援護射撃「持ってけ持ってけ」とお子さんに手渡し背中を押した。
写真プリントを見ても様々の場所時間帯でトーマスと一緒に「これでもか」と言うような表情ばかりだった。ブログに写真を載せる訳にはいかないから隠したけれど本当に生き生きとして写っている。ブースで出会った時は硬い表情で一言も発せず、まるで別人だ。
小生の作った木の玩具でこれほど喜ばれたのは初めてであるが、こういうことは対価では得られない「値千金」の出来事で、まさしく玩具もお子さんも両親も小生も「一期一会」に相当する事なのであろう。
しかしながら頂いたカステラを頬張りながら脳裏に浮かんだのは「家族三人で見えたのに当人がいなかった」と言う事実だ。両親と1人男児がいたが年齢的に明らかに兄さんに間違いないのである。もう確かめる術はないけれど写真の笑顔で癒されるしかない小生なのである。
小生、世間並以上に子ども達をお見送りしている。当人が不在の家族でのお礼の来場は「良かったですね」では済まない枝葉が出てくる。「何か話したいことがあったのではないのか…」と沸き上がるものがある。邂逅は後悔を残し疾風のごとく去ってしまった。
「どこのだれかか知らないけれど疾風の様に現れて疾風の様に去っていく…」一期一会で万人共通なのはたった二つだけ。その間にどれだけの一期一会があるのか小生は知らない。
写真プリントは若葉の季節まで机に飾る。それにしても本当に素晴らしい表情で、両親があえて我が子の写真をプリントし、どこの誰だか判らない全く赤の他人のお爺に渡しに来た気持ちは分かりすぎる程分かるのが何とも複雑だ。
文中の一節は「月光仮面」の主題歌歌詞であるが、小生をそのように呼ぶなら、さしずめ「頭光仮面」に違いない。写真に目が行くたびに「いい表情だ!」と思う一方では霧が湧く。この霧は太陽光に負けない我が頭光でも晴れに持っていく力は無い「爺爺心中の霧」なのである…。