ホント「マーフィーの法則」通りだと思う時がある。「失敗する可能性のあるものは失敗する」と言われれば納得するけれど、植え付けた食草がそれなりに育ったところで完膚なきまでにいたぶられてはチコちゃんでなくとも頭から蒸気が噴出するだろう。
食草として植え付けたホトトギスとアシタバ、どちらもチョウの食草にと大株にして植え付けたのだが、猛暑の夏を乗り切り活着もして更に育ち始めたところで一夜にして跡形もなく消え失せてしまった。残ったのは掘り返した跡形だけで威之志士さまの御蹂躙なのだ。
もうホント、豚熱が入ってきて全滅・御臨終を希望・要望・切望・渇望するし、にわか宗徒でも転びオットットーでも構わん神仏やキリスト、アッラーはてまたビシュヌ神、鰯の頭でも良い、願いを聞き届けてもらえたらお布施はかならず出します宗徒になりますと困った時の神頼み、藁にもすがる糞害ぶり。いーや、憤慨で糞害はどっかの街路樹下だった。
ここで新しい諺「街路樹したのクソたくさん」お粗末…
さて流路の脇に植え付けた明日葉の10株は活着を待たず全滅させられたから「いずれはこっちも」の恐れはあったけれど忌避剤まで使うとなると「食草」としての役割を捨てなければならず、結局は全滅となった。まあ、ハムレットの有名な台詞を持ち出すまでもなく少ない可能性に賭けてみる事も必要なのだ。「荒らされるからやーめた」では物事は進まない。
それにしてもフイールド野生のホトトギスが荒らされることは無く、丹精込めて育成した株が狙われるのは植え付け場所とは異なるポットの用土が誘うのに間違いないのだが、植え付け場所の土壌を用土にすると育ちが悪く、どちらを選択しても結果は悪いのだったろう。それが嫌で毎年、採取種子の直播をしているのだが育たない。
自生株を移植しても荒らされるから微妙な臭いの差が誘惑するのは間違いないのだ。人間の恋愛行動も気付かずとも「臭い」が発端になっていると学説にあるほどだから嗅覚の役割は大きいのだろう。
こうやって「イノシシごっこ遊び」にアオスジタテタを飛翔させる二度童なのだった。まあ、ここは「チョウの食草園」なのだしアオスジタテタが飛来してもおかしくは無い、か…。
煮いたった煮いたった 誰の頭が煮いたった お爺の頭が煮いたった 煮いたかどうだか食べてみよ まーだ煮えない !
ヤケたったヤケたった 誰の頭がヤケたった お爺の頭がヤケたった ヤケだかどうだか突いてみよ まーだヤケない !
ハゲだったハゲだった 誰の頭がハゲだった お爺の頭がハゲだった ハゲだかどうだか見てみよう まーっ眩しい !