トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

アサギマダラ初見!

2020-09-30 | 小父のお隣さん
 郊外のプレハブ小屋での芳香蒸留水ワークショップに出かけてきた。レモングラスとヒノキ葉で二種作ったんだが、蒸留中に息抜きで小屋から出たところでアサギマダラの飛翔に出くわした。ゆったりと優雅な飛翔では無く上下動の多いせっかちな飛翔では撮影は無理だ。
 その後も1回飛翔を観たから終了後に史跡指定になっている古墳周辺を歩いてみたけれど発見は出来なかった。飛翔を確認できたからおっつけフイールドや庭にも期待が持てるというもので、今期の重要点はシタキリソウに産卵するかどうかで、巻き付いていた枯れた桜ともども倒れたから確認しやすくなった。
 昨季、食痕としてみていた葉は手に取って観察できるだろう。近々、立ち寄ってみるつもりだ。

久しぶりのツルニンジン

2020-09-30 | 小父のお隣さん
 本当に久しぶりの出会いだった。過日、と言っても遥か彼方になってしまったが「ツルニンジンの薬効が朝鮮人参よりも凄い」なんて報道があってから周辺のツルニンジンは瞬く間に姿を消した。林道沿いの袖群落の中、ポツポツと開花している風景は心癒されたものだが、そんな風景はとうに消えて思い出す事さえなかったのだった。
 その頃の冬だったが、落葉して蔓だけのツルニンジンを何本も掘っていた御仁がいた。それとなく話しかけると「テレビで朝鮮人参より効き目があると言っていたから…」との話だったが、素人が葉のないツルニンジンを見分けられるはずも無いだろうと思ったものだ。かくして消えていったのだった。

 今回の出会いは伐採作業近くの林床だった。巻き付いて立ち上がる立木が無く枯れ枝にクチャクチャと絡みこじんまりしていた株だった。まあ、良くぞ生き残っていたと思うばかりだが、誰も注目さえしないような斜面だったからだろう。これも踏み跡近くだったから立ち上がっていたら消えていただろう株である。「平家の落人が逃げ込んだ山奥」みたいなもんだろうて。

         

本日も抜去なり…二日目

2020-09-30 | 水辺環境の保全
 前日終了時   ➡    №1終了
 前日の抜去作業で終わらなかった泥水池1、ほぼ半分を手早く片付けた。水際で植生が陸地と入り組んでいなければ抜くだけなので比較的容易なのだ。それでも泥付き根茎を四本鍬で引き上げるのは楽ではない。腹圧がかかるためか就寝時には鼠径ヘルニア術部がチクチクする時がある。気を付けなければならない。

 思っていたより早く№1の抜去場外搬出が終了したから№2も抜去作業を行う。こんな作業が続くといささかゲンナリして大雑把になってしまうけれど「やらないよりは良い」のである。今期、何回か除草し集積したのを場外搬出できなかったから、そこを狙って威之志士様の蹂躙が酷くなった。一度はレーキで綺麗に搔き集めて場外搬出しておかないと冬季に散々な手太楽を味わうことになりかねない。次は場外搬出だ。

 やり始めたらやり続けるしかない自転車操業なのがこれらの活動なのだろう。表向きでも内輪向きでも「保全活動」と表現してはいるが、そんな雲を掴む様な茫漠たる広がりは無く、小生的には「生物保全」である。
 まあ、やらなくても良い事を行っていながら、ぼやいてみても始まらないけれど未来永劫やる訳で無し、後は野となれ山となれで今のフイールド環境もエントロピーの増大に埋もれ消えゆく運命なのだろうて。色即是空空即是色・・・。

               №2の除草開始 ➡   大雑把だが終了させた

今日のトンボ「オニヤンマ」

2020-09-29 | 小父のお隣さん
 季節も秋に入ると比較的オニヤンマの撮影機会が増える。盛夏の頃は飛翔姿ばかりで撮影などとんでもないのだが、この時期になると翅を休める姿を拝めるのだ。この個体も立ち話の近くで翅を休めてしまったから撮影できた。オニヤンマの止まり方は「ぶら下がり」型で番記者みたいに思えるけれど、なかなかどうして華奢ではない堂々たる体つきである。
 しかしこの個体。ぶら下がらずに支柱に沿って止まってしまった。ちょっと異質な感じがしたけれど撮影機会には違いない。腰のベルトに備えたカメラで数枚撮って、その中の1枚だけが使える品質だった。まあ、数打ちゃ当たるを実践している訳・・・。

           

本日も抜去なり…

2020-09-29 | 水辺環境の保全
 今期、何回目になるのか泥水池1と2の抜去除草をしなくてはならない状態になっている。棚田のコナギは3回目の除草が必要な状態だけれど、泥付きで重くなる泥水池の除草が先だ。
 4本鍬を軽く打ち込みグシグシ揺すって根を緩め、そのまま掘り取っては一旦は池の中に積み上げておく。最後に鍬に引っ掛けて引き上げるのだが、これが結構な労働強度なのだ。その上、斜面に道があるわけでも無く引きずり上げて窪地へ集積して1サイクルである。

 引き上げ運べば即、泥の通路が出来上がる。スリップ注意の作業でもあるのだ。涼しくなったからはかどると思ったものの汗が噴き出る作業はそのままで、結局はやり残しになった。もう1日泥にまみれなくてはならない。№1が終われば№2が控えていて、そのあと棚田のコナギ抜去で水域の除草は終わりとなる。残るは下草刈りで、一通り済ませれば季節の大仕事は一段落だ。

      ➡    半分残った。写真下部、泥の道が引き上げ路

9月定例会

2020-09-28 | 月例会
2020,09,19(土)9:30~13:00

会員 7人
活動 間伐材の撤去集積

 盛夏の頃、林床に届く日照の程度を確認しながら間伐したままになっていた材を頭数で片付けた。間伐した小生が折々にに集積すれば良いのだが、なにせ細かい手間暇は気が進まない。こういう事は塵芥戦術、いいえ人海戦術に限る。
 竹はハザ用に駐車場まで運び他の間伐材は窪地に集積した。あらかた片が付くと周囲の孟宗竹の集積場所が目立った。数年前に伐採し集積したのだが足場の良い手直な部分に重ねたから、それ以降の刈り払いの邪魔になって林床の荒れ模様を更に進めてしまった。人は手間暇を惜しむ動物なのだ。
 普段、利用価値の少ない窪地や法面に集積すれば邪魔にならないのだが、どうしても易きに流れる。これは後々、その場所で刈り払い作業など行わない立場であれば気が付くはずも無いのかもしれない。時間が余ったので崩れ始めた古竹を移動させてすっきりした。

           
 

それが悶題だ・・・

2020-09-27 | 蝶の食草園
 S先生からイチゴパックで発芽させた実生苗を頂いてポットに植え替え、ようやく活着して成長が目に見える頃にGoToトラベル第一陣がやってきて坊主にしてしまった。かろうじて難を逃れたポット苗に第二陣が住まわっていた。
 朝から霧雨模様で午後には止むかと思いつつ鉢替えを予定していた文旦とキンカンの残った葉に幼虫が何匹も居たのだ。キアゲハの姿はリビングから見ていたし三つ葉もフェンネルも食い尽くされてしまったから残りは柑橘しかない。しかも背丈10cmにも満たない小苗だし、この葉の量で終齢まで育つわけでも無い。

 幼虫は生かしたいし幼樹も育てたいが両者共存共生は相反する実相なのだ。町内の一画にミカン樹があるが食痕などは無く農薬散布の結果であろうと知りつつも、こんな幼樹を食い尽くされるのも不本意極まりない。ネットで覆って被害防止を図れば育つのは判っていても、一方の育つ場所を失わせる結果になる。「為すべきか為さざるべきか、それが悶題だ!」。下の写真に幼虫、何匹何匹わかるかな!。
 かくして我が頭頂部は殺生を避けた仏心ゆえ後光が射し光輝いておる。まあ、小生に関しては「四十にして惑わず」は適用外である。子守歌にある「おどまふんぎりふんぎり ふんぎりつかず こまるぅ」てなもんや三度笠。

           

 写真を撮り終わり何気にヘンルーダをみたら何齢になるのか40mmほどの幼虫がいる。柑橘もヘンルーダも食草として養成中なのだから産卵されても文句は言えない立場だけれど、このヘンルーダ、Sさんから頂いて10株ほどに株分し夏越しする間に一鉢しか残らなかった最後の一株なのである。これも蛹になるまでに食い尽くされてしまいそう。テレビのCMではないものの「どうなる?どうなる?ははあ、そう来たか…」とばかりはいかず丸坊主がオチなのだ。どうする…どうする…どうしよう。

 柑橘とヘンルーダの幼虫を並べた

美体のよろめき

2020-09-26 | 今日は真面目に
 水域の護岸用に丸太材が10本ほど必要なのだが作業が大事になるので先送りしていた。暑さも一段落しYさんも1本欲しいと言うので1日を間伐に充てた。まあ間伐と言うより放置林内から適径木を伐り出してくるのだ。下側から林内を見上げれば「あれが良さそう」と指させる樹はあっても、近寄ってみれば大きめの物ばかりで、周辺にはこれらより小さい径は無いから結局は伐採することになる。目当てとしては3.5m10本が欲しいけれど、今回とりあえず2本の伐採で済ました。

 3.5m10本にはならないけれど、すぐ着手でも無いので必要になったら再度林内作業をすればよい。最初の一本も2本目もまっすぐ立ち上がってはいたものの太れない環境なので上部で枝葉の重みでしなっている。そのため伐倒方向に制限があって1本目は掛かり木となってしまった。用意していた牽引器で曳いて落としたものの、この作業は汗が出る。レバーを往復させてもワイヤーロープを送れる長さは5cm程度なのだ。「セッセッセのヨイヨイヨイ!」とばかりハンドルを動かし、所定の長さで切断できる位置で切断、更に曳いて切断、と結構手間を喰う作業になった。もう息絶え絶えだ。

 この「掛かり木」状態で元から切断していく作業は危険で「厳禁」な作業なのだけれど、現場においては「危険で禁止作業」に類する内容でも「やらざるを得ない」のは多々あるのだ。「やってはいけない行為」であっても「掛かり木を放置」では長らく危険状態を温存する事になる。「やるべきか、やらざるべきか」なんて舞台の台詞では解決がつかない。

 そのあとは0.3馬力の曳き馬になって斜面を曳いて林道へ落とす。林道からは作業予定の水域まで曳き馬で、もうこれだけでヨレヨレなのだった。最高気温は久しぶりに30℃を下回ったとはいえ蒸し暑さは変わらず、水分補給をチビチビとやりながらの作業になった。
 泥浚いも林内作業も半日程度なら継続できる意欲はあるから作業は続けるものの、やはり「歳相応」の部分も認めなくてはならない。それが「美体のよろめき」になって表れている。まあ「媚態のよろめき」とは完全無縁な我が人生だ。

 邦画に「美徳のよろめき」なんてのがあったが主演は若尾文子だったか。修学旅行で日劇ミュージックホールで見た映画は「それ」ではなかったのだが宿で逢引するシーン、襖を開けた時の深紅の布団が強烈で今でも鮮明だ。題名も主演も今は記憶にないけれど真っ赤な寝具は覚えている。引率の先生方にしても田舎の中学生に逢引映画の上映は「オッタマゲー」だった事だろう。そのあとは名物のラインダンスで田舎の中学生には再び鼻血もんの舞台の追い打ちであった。これこそ「修学旅行」の真価であろうぞ。ここから吾輩は「思春期」に入ったのだった。

          1本目掛かり木  ➡   2本目は落ちた  ➡   林道へ搬出

葉唐辛子の佃煮

2020-09-25 | 何よりの楽しみ
 鷹の爪の種子を頂いて播種、苗8本を定植したのが6月、草取り1回だけした捨て作りでは収穫するほどにもならんかった。それは現実なのだが、採種した品種は「一代交配種」だから「まともな苗は出来ない」のが正解だったろう。まあ、種子を頂いたから苗を購入する訳にもいかず、手間暇かけて収穫ゼロと相成った訳である。これも小生が「NO、と言えない日本人」であったことに他ならない。

 そんな小生を見かねてか、会友のMさんが「収穫が終わったから全株抜いていいよ」と言ってくれた伏見甘長の株、抜き取って自宅に持ち帰った。抜き取る時は「頂戴!」と頼んでおいたのだ。
 葉をむしり採らねば使えないから、まずはむしり採ったのだ。一枚一枚と葉を取るなんて悠長な性格では無し、むしっていて気が付いた「山羊が葉をむしり食べている頭部の動きと手の動きが似ている」。山羊は少年時代のペットだったから記憶はあるのだ。葉の総量は350g、電子レンジで加熱、しんなりさせ冷水で冷やして絞ったら800g。意外と重さが増えている。

 レシピはお惣菜のレシピを参考にしたのだが、お酒も味醂も切れていて無かった。仕方が無いから砂糖とオリーブ油で誤魔化す。ゴマ油ならもっと誤魔化せただろうが、それでは葉唐辛子の香りが負ける。
 中火で10分ごとのタイマーを使い焦げ付かせないように煮詰めた。4回タイマーを使った後は更に火力を落して煮詰めて仕上げた。まあ、小一時間くらい煮詰めて夕食には出来たばっかりの「葉唐辛子の佃煮」を添えた。少し塩味が濃い目だったが直し様はあるし塩分過多にならないように留意すれば良いのだ。これでしばらくは大好きなお惣菜を楽しめる。

      ➡    ➡    ➡  


棚田部の泥浚い

2020-09-24 | 水辺環境の保全
 泥水池1と2の最終回になる草抜きは終わった。これで今期の水商売は「自粛」かと思えど、泥の堆積が無視できない温水田と威之志士様に崩された堤法面の補修を兼ねて泥浚いを行った。水域から長柄のジョレンで泥を浚うには水際の植物が邪魔になる。刈り払いたくは無いのだが全域ではないので泥上げ区域と泥で補修する部分の刈り払いをする。
  ➡   刈り払う

 棚田の水際の損壊はひどくは無いけれど堤の法面がグダグダにされてしまった。度々被害を受ける場所なので泥浚いの度に堤の上面幅を増やし法面の傾斜も緩くするように作業してきた。だから通路として踏み固められていく部分の被害までには至らないものの際どい被害であるのは間違いない。
 今期の掘り返しは例年より酷く、梅雨の長雨、夏の高温続き等々で食べるに足りる餌が無いのだろうと推察しているが、推察したから被害が収まる訳ではなく「働けど働けど この堤安心ならず 今日も土盛る」なんちゃって・・・。
       足場板を使い泥浚い ➡   足場板を移動し泥浚い

 棚田部の水際補修は容易だったが温水田の泥浚いが大量だった。立ち込んで泥浚いだと移動が難渋する。そこで足場板を活用し立ち込まずとも泥浚いが出来るようにした。これで余計な労力は節約できたはずである。
 足場板の位置を変え、ようやく温水田の泥浚いが終わった。この泥土だけで崩された法面の補修が済むはずも無いけれど、
どちらにしても「数年がかりの」補修になっていく。
 だからお江戸の盗人のような「急ぎ働き」する理由も無く、少しはお茶も楽しみたいから間伐材でテーブルを設える場所に泥土を盛った。乾燥したら整地して丸太でテーブル作りである。冬場は全く日照が届かない場所だけれど桜の樹下だし夏は日陰になっているし、少しはくつろげる時間も作りたい。
           温水田、泥浚い終わり  ➡   泥土で埋め立て、春にはお休み処か⁉


今日のトンボ「共食いは珍しくは無い」

2020-09-23 | 今日は真面目に
 泥浚い中、飛翔してきたシオカラトンボが捕獲してきたのはトンボだった。当然、どこかに落ち着いて食事するだろうと目で追っていたらジュズダマに降りた。
 抜き足差し足忍び足しつつ動きもスローモーション風にクイックになりがちな「よろけ」に注意しつつ接近し撮影出来た。しかし、我がデジカメは合焦速度が遅く「ジコジコ」言いつつボケを繰り返すのだった。「このボケー!」気持ちは焦るし記憶に焼き付けてもアップは出来ないし、この千歳一遇の機会にデジカメという道具にはホント、イライラさせられるものの、それでは血圧も上がるし免疫系も弱まるし、結果は「自分を喰っちゃう」ボケ進行では哀れだから押さえよう。そこで吸って吐ーいて吸って吐ーいて呼吸法、呼吸法、お静かに穏やかに…だ。

 捕食シーンはシーズンに何回か出会うけれど撮影できる機会は少ない。今回は食べられる側が同じトンボなので余計に撮りたかった。トンボだけでなくカマキリなどもそうだったけれど、概ね頭部から齧るのは共通している習性なのか、そこには捕食者の合理的行動として成り立っているに過ぎないからなのか、小生に分かるはずも無し・・・。

             

*晩夏、晩蚊、バン蚊、バー蚊!

2020-09-23 | 小人閑居して憮然
                  眠気消ゆ たった一匹 寝もやらず

                  済ます耳 翅音に覚める 長き夜

                  パンパンと 撃って仕損じ 脈速し

                  手も足も 包めどハゲは また痒い

                  丑三つや カベ天井と 起き探す

                  疲老体 深夜に起こす くそったれ

                  堪らんわ 足底吸われて 座位で月

                  かゆ痒い スキンヘッドや 月清明

                  陰に消ゆ 痒き悔しき 討ち損じ

                  太き蚊に 報い一発 彼岸花

                  お彼岸や 彼岸に送り 悲願なる 

                  安眠や 彼岸は避けて おはようさん 


ようやく集草出来た

2020-09-22 | 今日は真面目に
 刈り払いの直後に集草し場外搬出しておけば威之志士様の掘り返しは多少とも緩和されるのだが、判っていても今回は出来なかった。結局は水域の湛水構造が大きく崩されてしまった。この時に刈り払った草本は掘り返しで偏ったまま集まっている。これをそのままにしておくと更に、この下の地表が掘り返され被害は広がってしまう。

 この日、ようやく造林鎌で集草した。ガーデンレーキでは非力で片付かない。造林鎌で手前に引き寄せるように捲り寄せて移動させ場外に出す。最終的には一輪車で集積場所まで運ぶけれど、この日は林道まで移動させただけだ。それでも見ていたYさんが小生が帰宅する時間帯から一輪車で移動させ始めたから次に行った日にはかたがついているだろう。だいぶ楽をさせてもらったことになる。
 棚田部と泥水地の集草を終えて帰宅時間になったが、この日も33℃まで上がった。衣類も頸のタオルもぐっしょりで、小生はぐったりで、作業は中途半端の愚っ処理だった。

              集草作業   ➡    とりあえずの仮置き

タマシギの羽毛

2020-09-21 | 小父のお隣さん
 多摩市議に知り合いはいないしタマシギは見た事も無い。けれど泥水池に立ち寄っていたのはS先生らが夜間燈火採集を行った時に鳴き声を聞いて確認していたのだった。普段でも日中に姿を見せる水鳥では無いのだそうで、そうなれば図鑑で見るだけの水鳥である。

 水域の抜去除草中に水際の葉に付着していた羽毛が、なんとも見慣れない羽毛だったから拾っておいた。S先生がいらっしゃったときに鑑別していただいたら「タマシギの羽毛」だった。これでフイールドにタマシギが飛来している事の証拠となる羽毛である。「その証拠であり標本になるから大事にしなさい」と言われたものの、小生にとっては羽毛の持ち腐れでしかないからS先生に委ねた。小生は写真1枚で十分なのだった。カケスの羽毛も綺麗だったがタマシギの小さな羽毛は不思議な感じのする模様だ。

       

ヤレヤレと思った矢先の掘り崩し…

2020-09-21 | 小人閑居して憮然
 ホント「マーフィーの法則」通りだと思う時がある。「失敗する可能性のあるものは失敗する」と言われれば納得するけれど、植え付けた食草がそれなりに育ったところで完膚なきまでにいたぶられてはチコちゃんでなくとも頭から蒸気が噴出するだろう。
 食草として植え付けたホトトギスとアシタバ、どちらもチョウの食草にと大株にして植え付けたのだが、猛暑の夏を乗り切り活着もして更に育ち始めたところで一夜にして跡形もなく消え失せてしまった。残ったのは掘り返した跡形だけで威之志士さまの御蹂躙なのだ。
 もうホント、豚熱が入ってきて全滅・御臨終を希望・要望・切望・渇望するし、にわか宗徒でも転びオットットーでも構わん神仏やキリスト、アッラーはてまたビシュヌ神、鰯の頭でも良い、願いを聞き届けてもらえたらお布施はかならず出します宗徒になりますと困った時の神頼み、藁にもすがる糞害ぶり。いーや、憤慨で糞害はどっかの街路樹下だった。
 ここで新しい諺「街路樹したのクソたくさん」お粗末…

 さて流路の脇に植え付けた明日葉の10株は活着を待たず全滅させられたから「いずれはこっちも」の恐れはあったけれど忌避剤まで使うとなると「食草」としての役割を捨てなければならず、結局は全滅となった。まあ、ハムレットの有名な台詞を持ち出すまでもなく少ない可能性に賭けてみる事も必要なのだ。「荒らされるからやーめた」では物事は進まない。
 それにしてもフイールド野生のホトトギスが荒らされることは無く、丹精込めて育成した株が狙われるのは植え付け場所とは異なるポットの用土が誘うのに間違いないのだが、植え付け場所の土壌を用土にすると育ちが悪く、どちらを選択しても結果は悪いのだったろう。それが嫌で毎年、採取種子の直播をしているのだが育たない。
 自生株を移植しても荒らされるから微妙な臭いの差が誘惑するのは間違いないのだ。人間の恋愛行動も気付かずとも「臭い」が発端になっていると学説にあるほどだから嗅覚の役割は大きいのだろう。

 こうやって「イノシシごっこ遊び」にアオスジタテタを飛翔させる二度童なのだった。まあ、ここは「チョウの食草園」なのだしアオスジタテタが飛来してもおかしくは無い、か…。
 煮いたった煮いたった 誰の頭が煮いたった お爺の頭が煮いたった 煮いたかどうだか食べてみよ まーだ煮えない !
 ヤケたったヤケたった 誰の頭がヤケたった お爺の頭がヤケたった ヤケだかどうだか突いてみよ まーだヤケない !
 ハゲだったハゲだった 誰の頭がハゲだった お爺の頭がハゲだった ハゲだかどうだか見てみよう まーっ眩しい  !