トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

やっぱり病気じゃぁ・・・の顛末天国の末路

2021-05-31 | 何よりの楽しみ
 偏執狂とでも言われるのだろうか、それとも「病膏肓に入る」とさげすまれるのか、しかし当人は満面の笑みで上げ澄ましている。その上「泳ぐコブダイ」が完成もしないうちの「ビビビッ!」とテラノサウルスが脚を運びながら尾を振り振り頭部も振り振り口パクパクのアイデアが降臨してしまったのである。あの大好きなテレビアニメの主題歌にある「幸せの予感」が充満してしまった。こうなると姥捨て山へセルフデイサービスなどそっちのけでコブダイを始末せなばならない。やはり病気なのだった。しばらくは封印し自粛しないと姥捨て山が崩壊しかねない。
 この日、刈り払いの心づもりはあったのだが曇天で午後から降雨の予報を幸いに朝食もそこそこで完成を目指してようやく午後五時前に全てを終えたので祝着至極である。で今日も粗食だった。

 コブダイの材料が無くて古いバタ板を切断してみたら表面は劣化しているものの使えそうなので拠点で材の大きさに切って用意できた板材にまずは形を写さねばならない。下絵の下にカーボン紙を挟んで切断線を入れた。軸穴を穿ってから糸のこ盤でピースに分離し軸を通してからサンダーで背と腹の成形をする。この作業は粉塵が多く発生するので自宅縁台では行い難い。出来るだけ拠点道具小屋の発電機を利用しての粉塵発生作業を心掛ける。体型が安堵すれば蝶番の調整であるがここまで電動サンダーの出番で更に細かい調整は自宅縁台でもOKである。

 軸は百均の竹の箸であ。この工作には重宝しているのだ。軸を入れて左右の動きを出していく。最初は電動サンダーで粗取りしてからヤスリと回転の遅い刃研ぎサンダーで修正するのだが「これで良いだろう」まで達したらカーボン紙を挟んで動かし「当たり」を削る。この手間も半端無いものの、これを行うのと行わないのでは動きの滑らかさが格段に異なる。
 このやり方は機械摺動部の仕上げ作業の模倣だ。ベンガラを塗った定盤を基準に仕上げる部分を擦り当ててベンガラが付着した部分をキサゲと言う工具で削り取る。一回で百分の1mm程度なのだが仕上がった摺動面はこの模様で大変美しい。研磨仕上げより好きである。

 厚板からピースにした段階と成形し動きが仕上がった段階の二回、ボンド溶液を筆で全体に塗布した。と言うのも杉の古材なので、それでなくとも割れやすい杉材の弱点を解消するためである。ボンド溶液を吸わせ乾燥させておけば木目がパリパリと割れていく弱点はいくらか克服可能だ。写真、ピースの市松模様に見える部材の上下を繋ぐ肉厚は10mm未満で、構造上「裂く力」は常時負荷となっているし、新材でもスギではおっつけ木目から裂ける羽目になるのだ。

 台座も新しく作成した。今回の台座で二桁目になるだろうがそれなりに小さな変更をしてきた。前回分は左利き用の台座を作ったのだが、考えてみれば操作台の長さを座板いっぱいに広げれば右利き左利き関係なく使えるのだった。このための用材が無く廃材の活かせる部分から切り出したから凸型になって、その分ハンドルを下げねばならず少し窮屈になってしまったのはしょうもない。

 今回の魚体はアクリル絵の具で塗装した。木工ボンドを滲み込ませた魚体なので荏胡麻油仕上げでは浸透性が阻害されるし多少は遊んでみたくての色付けなのだ。色彩を観れば「やっぱり病気じゃぁ!」と言われるだろうが武士の一分、覚悟の上である。急いだ結果「やってしまった!」と後悔先に立たずの点が出た。ヒレの線を入れるのに油性ペンで描けば綺麗に仕上がっただろうに彩色を急ぎドライヤーで乾燥させつつそのまま面相筆で線引きしたのだ。その上、背びれの半分は筋の入れ方が逆だった。組み上がってから気が付いたのだが既に「わっぱか気分」で無修正。面相筆で細い線を綺麗に引くのは難しく「辛抱も筆の誤り」で一件破綻。クソクソ空疎。

 古巣に収めての後日談、「泳ぐ魚」は既に錦鯉が渡っているのだが、コブダイは新作人気だとかで展示台に戻ってこないのだとか。それは良いとして今回の動く玩具のプレゼントで展示台の狭さが気になってきた。廃棄材を仕分けすれば台のひとつは出来そうな気もするし…さて、どうしよう。

         

 

今日のエッ!品「蘇と小豆の炊き込みご飯」

2021-05-30 | 何よりの楽しみ
 粕漬けにした蘇を頂戴しなければならない。そこで炊き込みご飯に入れ濃厚な旨味を味わう事にしたのだ。炊く量は最小限の1カップでこれに茹で小豆一袋分と蘇をマッチ箱ほど刻んで岩塩ひとつまみ加えた。
 後は所定の「炊き込み」でセットして炊きあがりを待つだけなので楽ちんこの上もない。

 炊き上がりは「小豆ご飯」並みで香りも特に変わりなく、終日降雨の一日なので少々早い昼餉、それも一膳めしである。期待した蘇の濃厚な味わいは殆ど感じる事が出来ず、口当たりも普段の炊き込みご飯と差も無くていささか気落ちしたのだった。結論から言えば「期待外れ」で蘇はそのまま食した方が美味しいのは間違いが無いだろう。
 となると残りの蘇をどう調理するかが雨天の日の大問題になるが、おやつ用に作るものは妄想で決まったしまった。こう言う事はよそうと思うのだが捲土重来、健闘従来。ほぼ脅迫的…。

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五月定例会

2021-05-30 | 月例会
2021/05/(土)9:30~13:00

会員 7名・幼児1名
活動 拠点周辺の刈り払い

 刈り払いの季節に入った。一斉作業で行う範囲は「全面刈り払い」で済ませれる場所にしてもらう。厄介だけれど「食料と住処を提供するエリア」は刈り払いをするにしても選択的刈り払いで行いたいからスルーしてもらったのだ。選択的刈り払いをするにしても「残す植物、衰退させたい植物、抑制するだけの植物」等々、刈り払いながら選択していくのは結構骨が折れるし、それなりに植物と生物の関係を承知していただかないと台無しになる危険が大きく、ここは負担だけれど小生の専用区みたいになった。

    全草刈り払いされると砂漠を連想してしまう。チョウやバッタ、トカゲなどは姿を消してしまった。

突端台地にバタフライガーデン…

2021-05-29 | 何よりの楽しみ
 突端台地は果樹を点在させ、地表は野草で埋める環境を目指してきたが、ネザサの根絶が出来ず年2回ほど地際から刈り払わないとネザサの繁茂で元の木阿弥になりかねない。それでも日照も土壌も環境的に良好な場所なので蝶々食堂を開設する事にしたのだ。
 中央部を耕転しネザサの根茎を取り払いフジバカマの養成ポット苗を植えたのは昨年の事。今期、萌芽してくれたものの育ちが悪い事甚だしく、秋まで養成しても開花は望めそうも無いし、庭の群落を掘り取り株分という形で半分を移植したのが早春の事だ。土壌の関係もあるのか庭植えより背丈は伸びず、それでも開花株だったから花は見られそうな大きさになってきた。

 そこにポット苗のヤグルマソウとカワラナデシコを定植したが、たまたま種子があったからで、そのあとに養成したフジバカマとオミナエシを定植し終えたのだ。
 前述したネザサの根茎は豆トラの耕転だけでは届かず排除できない地下茎もあったから、今回は耕転後にスコップで更に深く掘り起こし深いところの主根茎を掘り上げたのだ。これでいくばくかはネザサの跋扈は抑制できるだろう。今回、植えた苗で用意した耕転部は埋まったけれど、まだ多少は広げる余地があるので、庭の取り残したフジバカマなどをシーズン終了後に移植し、本格的にアサギマダラを誘惑する皮算用。
 ノアザミの種子を採種し箱蒔きしてあるから養成苗が育てばノアザミの群落も出現する目論見なのだが、植えても植えなくても植物は繁茂するのに、同様に根を持っている頭頂部の植物は若きみぎりより衰退中で、何でそうなるの!。

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谷間の賑わい

2021-05-28 | 感じるままの回り道
 今年も棚田の田植えの時期になった。昨年はコロナ禍の影響でイベントは中止となったものの今期は実施できたのだ。コロナの蔓延は変異株が席巻したことで昨年以上に油断は出来ないけれど予防のために見える様になった事もあるのだった。

 ボーイスカウトの屋外活動に位置づけてくれて田植えと稲刈り、少しばかりの新米の分配を楽しみに今期も隊員20人弱、付き添いの引率者・保護者がほぼ同数で総勢40人ほどが集まった。普段は小鳥の鳴き声しか聞こえない谷地の奥もこの時ばかりは賑わうのだ。
 今回はサンコウチョウを聴く事は出来なかったのだがホトトギスは近くで鳴いていたしモリアオガエルやシュレーゲルアオガエルの卵塊もあって、思い起こせば棚田を復元してから何年もモリアオガエルやシュレーゲルアオガエルは見かけなんだ。生息範囲を広げる助けにはなっているのだろ。

 長く続けている活動なので小生ら会友は見守るだけの存在でしかないものの何回か田植えを経験している子どもたちは慣れた手つきで植え付けていく。それを見るより見ごたえがあるのが「初めての参加児」の田植えで何が起こるか分からない楽しみと見ごたえがあって飽きない。まあ、こんな視点で観ていようとは思ってもいないだろうけれど、こんなところに偏屈爺さん、意地悪爺さんの片鱗が出てしまうのだった。
 田植えなどそっちのけでアカハライモリやオタマジャクシ、はてまたヤゴを追っかけているだけの子どももいるし、田んぼに投げ込まれた餓鬼ども達は様々であった。

          

変った小鳥に出会う今日この頃…

2021-05-27 | 感じるままの回り道
 先日、体色は墨染色かあるいは濃紺の腰回りがキビタキの黄色様の色をした体型はスズメ状の小鳥、この個体はミュージアムの職員Aさんも鳴き声と視認もしていたので表現は間違いないが、S先生でも見当がつかなかった。大方、飼育下から離脱した小鳥なのかもしれない。
 その数日後、やはりスズメ大の小鳥で嘴が太く丸みを帯びていた小鳥、嘴は妙に赤っぽかったから印象に残ったのだが、この頃定着してきたというソウシチョウなのかどうか、撮影できなかったので確かめようもない。この嘴の赤を頼りに図鑑を探したがすっきりしなかった。記憶にある赤い嘴は「ミヤコドリ」だけなのだ。

 そして播種のためノアザミの冠毛を外していた目前に舞い降り急ブレーキで舞い上がった小鳥は瑠璃色だったのだがコルリなのかルリビタキなのか視認情報が少なく図鑑を見ても「こっち」とは言い難い。何で目の前1mほどの地面に舞い降りようとしたのかは推定でしかないけれど、外されて地面で蠢いていた冠毛が虫に見えたのではないかと思っている。小生は階段に腰かけ膝上の容器の中で冠毛と種外しに集中していたから指先以外の動きは全く無かったはずで警戒せずに突っ込んだら羽音で小生の直視を受けびっくり、となったのだろう。

 さて、今日見たのは栗林での一羽、20mほど先の竹杭に居た。見た目は「派手な小鳥だなあ…」てな印象で、その時は「派手だからヤイロチョウか?」と思いつつ撮影したのだが姿をくらまして更に近くに来てくれたのが2枚目の写真で慌ててピンボケ、気を取り直し次のシャッターを押したときには消えていた。
 さらに近づいて横の栗の木に止まったから1枚撮った。どうも最初の小鳥と違うような印象もあるし栗の木の向こうでつがいらしき小鳥が飛びながらいちゃいちゃ感を送ってくるし「さーて、どっちだ…」と迷い地獄。まあ、写真はキビタキかぁ。

  

 小生、愛鳥家でも撮影趣味人でも無いので偶然の出会いだけのシャッターチャンスだけなのだけれど、それでもたまには遭遇して「それとおぼしき」姿は撮る事はあるのだ。越後一映、いいえ一期一会でしょう。
 S先生やSさんから鳴き声や飛翔する個体で名前を教えられるのだけれど記憶には一向とどまらず、教え甲斐のない生徒なのである。それはともかく小生の感覚からではかくも様々な野鳥が近くに御座しますのは生活圏として認めてもらえたのだろうとしか思えない。こういう事一つでも爺我自賛、人知れずほくそ笑むのであった。あの「人知れず微笑まん」とは天地ほどの隔たりがあるが、そこには触れない。

 まあ、姥捨て山のセルフデイサービス、高齢者自前介護場では「われと来て遊べや親の無い小鳥」が孤老の偽らざる心境で、で、てなもんや三度笠…。しかしなんだ、こうも度々至近でお目見えされると僻み根性が頭をもたげる。「人間と思われてはいない⁉」、斯様に年々偏屈になり行く自分を感じるのは情けないのだが姥捨て山のトロルなのに未練があるとは業とは辛い物でもある。

今日のトンボ「オオシオカラトンボ」出た!

2021-05-26 | 小父のお隣さん
 オオシオカラトンボが出た。初見日にオスとメスを見ることが出来て両方ともテネラルよりも成熟感があるから今日の羽化では無いだろうと思いながら、郷里では「兵隊トンボ」と言っていたなあ、としばし少年時代に想いをはせる。だから現在ではオオシオカラトンボと表現するものの本心はヘータイトンボなのである。
 どうして「ヘータイトンボ」と言っていたのかは定かではないし理由など知る気もない餓鬼大将でもあったのだ。

  

ササユリ開花した

2021-05-26 | 小父のお隣さん
 ササユリが開花していた。刈り払い中にも数株の蕾を付けた株を見たのだが刈り払いで刈り残せば目立って盗掘、草叢状態で温存しようとしても開花すれば盗掘、と年々その数を減少させているササユリである。人工授粉させ種子を採取する用途にしようと思っても蕾の時点で人工授粉も未熟で受精しえないだろうから盗掘されないために蕾を外せば、何のための野草か判らんことになる。ハムレットの心境が判る気もするのだった。

今日のエッ!品「蘇とヤマウドの粕漬け」

2021-05-26 | 何よりの楽しみ
 蘇と次兄が送ってくれた魚沼産ヤマウドの半分を粕床に入れて三週間たった。十日ほどで食してみるつもりでいたのだがお天気続きだったり「からくりクジラ」の製作でご賞味する気分でも無く3週間ぶりのご対面をした。ヤマウドは色あせて少しばかり透明感が増したような気がする。取り出して撮影する前に1本を口に入れてしまった。既に食べてしまった半分は茹で冷やし麺つゆと御酢・砂糖の溶液に浸した即席漬けで食べてしまっている。これはこれで副食にはならずつまみ食いで終わったのだ。

 さて、粕漬けとなったヤマウド、粕漬けの性質上、軟らかさが増したものの繊維のシャキシャキ感は健在だったしウドの風味も損なわれなかった。これも食卓の一品と言うよりお茶うけ、それ以上についつい冷蔵庫を開け「つまみ食い」したくなる一品となってしまった。
 今回のメーンイベント「蘇の粕漬け」は包丁を入れた時から今までの粕漬けとは感じ方が異なっている。表面は粕にまみれて判り難かったものの軟化はしていなかったのである。考えてみるまでも無く乳脂肪分が多い食品なので水分を吸い難いし酵素の働きも弱かったに違いない。

 それを裏付けるかのように一口食べても「蘇」そのままなのだった。食味と言い口当たりと言い出来立ての蘇に近い。それでも粕漬けならでの風味は出ていて「やっぱり美味しい,旨い!」一品になった。蘇の粕漬け自体はそうそう作ってみるほどの手間暇など無いものの、まずは作って食べて納得したのでご馳走様!。
 今回、三時のおやつにと期待を込め新茶を用意してから食したのだが、新茶など用意しなくてもパクパク食して終わりそうで、暮れから折々に漬けこんでいる粕漬け、出来上がりは食事時の一品と言うよりスイーツの範疇だと思うのが小生の感想である。

           

今日のトンボ「ようやく赤い個体だ」

2021-05-25 | 小父のお隣さん
 ショウジョウトンボの初見は5月4日だった。それ以来、体色が赤くなった個体を視認できずようやく23日になり赤い個体を見つけることが出来たのだ。赤くなるまでの日数は承知してはいないものの、やはりショウジョウトンボの実感は赤さが無いと無いのだ。ムギワラ色とでも言おうか黄色系の体色では同一種とはとても思えない小生なのだが、その都度Sさんは「背中に白い筋があるから判別できますよ」と言ってくれるもののシーズンが改まれば忘れている。
 今期、新たに覚えたと思われるのは「翅の付け根の網目模様」だけれど短期記憶は何時まで保持できるのかどうか心もとない。

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面目あらざり、メンツは立たない、沽券など無いも同然!

2021-05-25 | 小人閑居して憮然
 あーあ、やってしまった。大事にしていたのから失われるし損なわれる。それを自らやってしまったのだから憮然の矛先の持っていく場が無いのだった。しかし蔓は失われても小生のツルは輝いておる。反対なら良かったのにと恨めしい。

 タイワンアザミが繁茂し始めて葉先の鋭い棘は危険だし増殖させたくない植物でもあるからヤブジラミと合わせてチョコチョコと刈り払っていたのだ。大半はおおらかに刈り払い機を操作できる空間なのだったが食草園にも数株が育ってきたから刈り払いに行った。

 最後の株は竹筒に水を注すヤカン下に株元があったから刈り払い機のスロットルを戻し左手でヤカンを移動させたのだが、その時に軽いショックがあって何気に刈り刃の方を見たら大変な事態になっていたのだった。軽いショックどころではない晴天の霹靂とも言うべきまことに重大なるショックとなったのだ。

 十数年にわたり大事に大事に御母日傘で、いいえ御爺日傘で「棚田跡だから土壌が悪い」と客土し「石灰岩を好むから」と牡蠣殻化石を施す等々、慈しんで育成してきたキジョランの蔓を地上20cmほどのところから切断してしまったのだった。スロットルは戻したけれど即停止するわけでも無くユルユルと停止寸前の刈り刃で蔓を切ってしまったのだ。難多留痴吾・傪多留痴吾!。悔やんでも悔やみきれない大失敗なのだが、これも注意力散漫になっていく傾向を示しているようでダブルで泣きたくなるのだった。
 それでも「捨てるチリ紙あれば拾う千円札あり」で「あのブドウは酸っぱい」と納得したキツネのごとく「絡ませたクルミはおっつけ倒れる樹である。今は支えで保たれているが根元から倒れてしまえば繁茂しているキジョランも失われるのだし、新たな樹木に新蔓を誘導するのがベストである」とご宣託が降りたのだった。ウーッ、でも悔しい。

今日のトンボ「恐らくアジアイトトンボ」と勝手に喜ぶ

2021-05-24 | 小父のお隣さん
 水見回り中に飛翔した一匹、キイトトンボかと思ったのだが明らかに小さく細い。それでアジアイトトンボだろうと推定した。この種はキイトトンボほどの数も出ないし期間も短いし、赤色系の個体も数回観ただけでイトトンボの中では貴重種なのだ。
 とは言ってみたものの赤色系のイトトンボはモートンイトトンボにもベニイトトンボにも存在しているから、過去の赤色系のイトトンボが「アジアイトトンボ」であったという確証は無いのが小生の結果だろう。

               

苦渋ら、苦渋ら!も大団円…がコブダイもモササウルスも作りたい・・・

2021-05-24 | 何よりの楽しみ
 ここまで入れ込んだのは「ムーミンハウス」以来かも、なのだがいくら入れ込んだところでストーカー行為にはならず片思いでもお気軽であるが、とにかく姥捨て山セルフデイサービスを休んでまで工作しないと「お寺の引っ越し」なのだった。それも手芸材店へ目ん玉を買いに行って片を付ける事が出来た。いつもの事ながら店内に男子は居らず肩身の狭い思いをする買い物である。とにもかくにも目玉を入れなければ魂は入らないし古来、目玉は最後の最後に入れると決まっている。「それで目玉なのか!」なんて思っても遅きに失する。

 目玉の前にもう一度、表面を軽く研磨し特に黒ずみの酷い部分はモービルサンダーで削り落とした。古材も古材なので全ては落としきらないけれど少しだけ味わいのある雰囲気にはなっただろう。塗装はいつも通りの荏胡麻油塗布で済ませた。クジラの体色にちかいアクリル絵の具で色付けしても良かったのだが、油を塗られた材の色は深みのある色になるし、もともとが食用油であるから子ども達が触れる玩具には面倒がない。

  ➡  マッコウクジラタイプの跳ね上げ頂点姿勢

                         ➡  ヒゲクジラタイプの跳ね上げ頂点姿勢

 もとより跳ね上がった頂点は一瞬の事で跳ね上げた操作棒上に着地する。この時に腰砕け姿勢になって何とも情けない格好になるから枕を入れたのだ。枕を入れた効果はあって弓なりの姿勢を保持してくれるが操作棒への力を抜けば尾びれは下がるところまで下がり開口姿勢で止まるのだ。
 こんな動作は構想時には思いもしなかった事なので、それだけに千変万化、五里霧中で苦渋を味わい、ようやく解放されたのだ。魚の動きのように左右に振らない事が難しくなった要素なのだが出来上がってみればいつも通り「爺我自賛」で済ませられる。

 古巣の後輩に出世祝いで贈るつもりだった5体の動く玩具の内、2体は思わね因果で他人の手に渡してしまった結果、数合わせにクジラを加えなければならないと思うと少々もったいない。今後の製作用には見本があった方が取り掛かり易いからだ。譲ったサケとコブダイを再度作り加えても良いと思いつつ、材があるかどうか拠点の端材入れを探らないと判明しない。コブダイの良いデザインがあったので食指は動くのだ。まあ小生、喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプでもある。でも近いところから忘れるから認知症かもしれんが・・・。

    

今日のトンボ「キイトトンボ出た!」

2021-05-24 | 小父のお隣さん
 泥水地の草むらで虫を撮影していたSさんが呼ぶ。「キトトンボがいます!」と言うからおっとり刀で駆け付けた。カサスゲやミゾハギの繁茂した中に止まっていたキイトトンボはまだ成熟体では無かったが飛翔の仕方はテネラルと言えるほどの弱弱しさも無く、この日羽化した個体でもなさそうだった。前日はイベントの田植えで水見回りまでしなかったから、推定ではあるものの発生は22日前後なのだろうが今期の記録は23日とする。

 複数体飛翔していたし、これから数が増えれば水見回りの度ツンツンと周囲を飛び交うキイイトトンボは極楽と感んぼの感がする。

        

今日のトンボ「11年ぶりのサラサヤンマ」

2021-05-23 | 小父のお隣さん
 前回、撮影出来たのは2010年の7月で、それ以来お目にかかっていなかったサラサヤンマの実物を見て写真も撮ることが出来たのは祝着至極である。ノンアルコールビールで一杯ひっかけたかったのだがコンビニに寄るのを忘れてしまったので、先日に作っておいた「粕漬け蘇餡の草餅」をチンし祝ったのだ。伝統的にハレの祝い事には「餅」と決まっておるし梅雨の中の晴れ日だったし…。

 2010年に発見し同定していただいた折り、生息環境が絞り水で湿っている林床等とフイールドの適地候補も指摘されていたし、その場所では整備中に大ヤゴも見ているから段差工などを施して斜面安定化に努めたりしていたもののご無沙汰だったのだ。飛翔個体を指摘したのは勿論S先生で、小生にはどうして断定できたのか未だに謎なのだが、ともかく立ち話中の前を飛翔してくれたのだ。この時は「クロギン」に加え「コオニヤンマ」と指摘されたトンボも飛翔していて「写真を撮りたーい」欲望が高まった時だったのだ。

 小生の撮影は静止姿勢でなければ撮影出来ない技量なので是非とも撮影するとなると捕獲しかない。そこでS先生にお願いし確認のための捕獲をしてもらったのだった。11年ぶりの個体は「こんなに小さかったのだったか?」が第一印象なのだが、腹部末節が変っていて「サイボーグ」感のある末節だった。まあ、実物でないと判らん事もあるのだ。
 初回の確認は「たまたま飛来」の要素も強いし11年ぶりの確認も「似たり寄ったり」だろうけれど「複数回」に今回の二回目が相当するとは思ってはいないけれど嬉しいぞや嬉しいぞや!。S先生と興奮気味に話をしながら他のトンボを誘惑するためのバッドを設置する気になってきた。「初記録」が欲しい訳ではないのだが種とを数が増加させたいのが姥捨て山のテーマなのである。