天候不順で通水作業が出来ない。それでも排砂バルブは開放しておいたので「事に寄ったら自然排砂出来たかも・・・」の狙った大穴見事に外れ、心ガクッときた最終決戦日になった。機材一式は車載済なので林道終点まで入る前に排砂バルブでの通水状態を確認する。「あわよくば、バルブ操作だけで帰れるかも・・・」の甘い期待は見事に外れたのであった。今まで排砂のために一週間も開放していたことが無かったから淡い期待はあって当然とはいえ当然に思える。
メモによれば前回の強制排砂は2023年6月6日で台風2号の増水に因る断水だった。それからほぼ8カ月、特段の手間もかからずに通水出来ていたのはある意味、奇跡的なのだった。ところが長期間、排砂しなくても基準水量を維持できていたのが裏目になったとも言える。長い間、管内の砂泥は安定した状態に置かれていた結果、沈殿結束力が高まったはずである。別の表現をすれば締まって固くなったのだ。ですから下り管路の末端を開放しても水圧に崩される軟弱な管内砂泥では無かったと言う事に尽きよう。
その証拠に、エンジンポンプで強制排砂を始めた第一段階では沈殿した砂泥を崩せなかった。最初から水圧を掛けるとポンプ自体に被害が及びかねないからアイドリング状態で注水を行いつつ、確認のためにくだんの護国神社、いいえ、くだんの排砂バルブまで確認しに行ったのだ。この朝、現場へ行く途上で確認した水量とさほど変わらない澄んだ水が排水されているだけで沈殿堆積して固化してしまった砂泥を崩す力は無かった事になる。
2/20 開放時➡ 2/24 四日後 ➡ アイドリング加圧時
アイドリング圧では強制排砂不可能な事が判明したからエンジンの出力を少しだけ上げ、再び排砂バルブまで確認に降りた。現場に到着するとボコボコと音を立てながら濁った水が溢れている。これで漸く排砂の目途が立って、吐水される水が澄むまで待ってからバルブを閉じた。これで管路の水源地側1/3の排砂が完了したことになり、バルブを閉じた事で尾根越えの部分2/3の排砂が開始される事になる。今回はフイールド側の排砂バルブも開放しておいたので尾根越えをして状況を確認に行った。到着時点ではここも濁り水を吐き出し中、澄むまで待ってからバルブ操作で通常の送水状態に戻した。これで終点の吐末口まで圧の掛かった水流が届くことになり管内の排砂を終える事になるのだ。このような手間暇を好き好んで行っている訳も無く、送水が無くなればフイールド環境は元の木阿弥、間違いないのであって、これだけは少しでも遠ざけたい。
出力アップで通水出来た ➡ 尾根を越えた地点のバルブも排砂完了
一旦、水源地に戻り駄目押しの通水を更に少しだけ出力を上げ10分間行って撤収する。吐末口の流量確認はバケツの用意がしてなく出来なかったが翌日でも支障はないのだ。今回の作業開始当初、取水升付近の整備清掃も行っておいたのだが4日間の降雨出水でフイルターは埋もれていたから改めて取水升周辺の砂泥を排除してポンプを据え付け稼働させたのだった。1月は思わぬ腰痛で全滅、2月になっての本格的作業はエンジンポンプを抱えて河床を運ばねばならず再発は御免なので出かける前に念入りにストレッチを行い腰痛ベルトも装着しての作業になったのだが、とにもかくにも無事終了した事は何とも祝着至極、いいえ執着地獄にならず良かったよかった・・・。とは言え執着地獄であることは疑い様の無い現実なのは認識しているが、フイールドの環境はこの水源により成り立っているから送水を止めれば水域の生物は全滅するし、その結果は周辺の野山と変わらない貧相な生物層に成り下がる。であるからこそ執着地獄であることは承知しつつ水商売・自転車操業を続けなければならないのが孤爺の晩年の運命なのである。
膝が痛い、腰が痛い、肩が痛い、頭頂部に毛が無い、等々不平不満は限りなくあるものの朝露に等しい我が身のささやかな希望は阿弥陀三尊の来迎があるかどうかであって、若き日のみぎり、ジャンボ宝くじを10年ほど購入し続け100万円は投入したものの当選金額は3000円が2回だった運命を振り返れば阿弥陀三尊ではなく牛頭馬頭等の獄卒の可能性が高い。いやはやいやはや、水源地が三途の河原に見えて来る…。けだしその通り!と言いたいところなれど毛無きその頭、では沈黙すべえ。
※ 作業翌日は降雨で吐水量測定は出来ず一日開けた翌々日に測定したら28ℓ/分だった。この量だと最大吐水量に相当する。送水管路を1/3づつ排砂した結果なのであろう。沢を下ったり昇ったり尾根越えして第二バルブの操作をしたりと、久しぶりの排砂作業でいつもより綿密に行ったので難儀で大儀ではあったのだがそれなりの結果が吐水量に出た。祝着至極、執着地獄・・・・・。