トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

一穴潰せば二穴が参上!我が身は腰痛・ひじ痛・歯痛の惨状

2021-09-30 | 小人閑居して憮然
 このところ二つ池の水位が低いままだった。漏水による事は想定できても場所を絞り切れない。それでも底を見せて干あがる事は無かったので「いつかは視認できるだろう・・・」と水見回りの度に観察は怠らなかった。ところが腰痛に加え歯茎の痛みで急遽受診休日とした翌日の水見回りでは池の底が全て見えるほどの涸れ様で慌てた事、この上もない。
 全面枯渇  ➡    瘻孔二カ所

 池の底が露わになってカワニナやタニシばかりが目立ち、既にメダカ一匹姿も無くなっていたのだ。しかし流入する水路をたどれば漏水孔は一目瞭然、それも二カ所双子の漏水孔だった。
 その上、皮肉なことに先般、漏水部を外すために陸化させた用土を採ったエコトーン跡の漏水だった。漏水部を潰した行為が新たな漏水部を造ってしまったのだ。骨折り損、無駄骨、マーフィの法則、とまあ、何とでも罵詈雑言は出てくるけれど、そんな事は何の役にも立ちはしない。

 しかし、今の我が身は腰痛回復途上、右腕テニス肘状態で、土木作業など行いたくないどころか禁忌行為に近いのだが、そうも言ってはおれない状況でもあった。聴くところによれば行い正しい人柄は「我が身に鞭打つ」行為とか「釘板の上に座す」行為とか「五体投地で長距離移動」とか「寒中水垢離」とか「五穀絶ち」等々行うのだそうで、そういう視点からは「小生も行い正しい、人品卑しからず」の人間なのはずなので我と我が身への苦行は避けられないのだった。
 故に止むを得ないと言うより忖度と言う世間体に負けスコップと唐鍬を用意して池に入った。人生「そうあらねばならぬ」矜持は大切なのである。決して「昼寝欲」」や「白飯欲」「強炭酸水欲」などの誘惑に負けない打ち勝つ強い意志が必要なのだった。

 水があると作業がやり難い。そこで流入部の導管を塞ぎ水が引くのを待ってから漏水孔潰しを行う。干上がった底から40cmほどを掘り抜き埋め戻し鎮圧して二件落着。スコップで掘り取るたびに切断面には小指の入るほどの漏水孔が現れてくる。その下に更に太い漏水孔があって集合して下棚の漏水出口に出てくるのだ。この棚は農耕牛耕作時代、作業中の牛が陥没孔に落ち、それからは田に入るのを嫌がった、と言う話を土地の古老から聞いている。その場所は度々大きな陥没孔が現れて、ある出水時にすべての流入水を呑みこんでいたことがあった。土嚢を用意して投入しつつ保守作業をやっていた折に足元が崩れて小生も太腿まで落ち込んだ事があった。この時ばかりは人知れず行方不明者となりお陀仏か、と一瞬思ったものだ。それに懲りてから水域を狭めて陸地化させ、そこの範囲から突き出させ安全率を高めたのがエコトーンだったから、まあ、「いつかは露見する」場所「向こう三間両隣」でもあるのだった。
                 瘻孔潰した   ➡    流入水が回り始めた

 腰痛の腰には無理な動作をさせず二つの瘻孔を潰し、水止めを切った。現在20ℓ/分、程度の流入水があるので一晩で満水位に達するだろうが、メダカの回復は流下体に頼るしかなく、この池に居た群れは全滅と言って良いだろう。ヤゴの生存も気になるけれど、これも運を天に任せるしかなく、小生の出来る範囲は湛水させていく事だけに尽きる。「水切れ・水断ち」は食物連鎖をも断ち切る事の最大要因なので「腰が痛い・腕が、肩が・・・」なんて事は言えない非常事態で、かくして我が身体髪膚、癒える時は来ないのだろうて…。
 「善行・功徳を積めば極楽・天国」なんて台詞は信じるに足りず、果ては無機物となり宇宙の深淵に存在しつつ次の生命や物質へ輪廻転生を続けるだけの時空なのである。故にだからこそ「水溜り」の維持に執念を燃やす価値がある。そこは小さな宇宙でもあり始まりでもあるのであって、これは信じるに足りる。

泥水池に来た水鳥

2021-09-29 | 小父のお隣さん
 泥水池にも水鳥は飛来する。カワセミは水鳥ではないけれど採餌場所として日常飛翔は散見される。飛来してほしくないのはアオサギなのだが、これは結構したたかで、その上に大食漢だろうから魚類の衰退につながる心配は尽きない。カワセミならいくら喰っても眉は顰めないのだが、こういうのは「差別」となるのだろうか。

 夜間にはタマシギが来ているらしいのだが小生は落ちている羽毛でしか知らない。それでもこれからは池の濁りが目立つようになるとコガモの群れが朝方までいる事もあってたまには群れと遭遇する。
 9月の後半になって池の濁りが見かけられるようになり、ただ濁りは薄く疎らだから群れで飛来しているとは思えず、種の見当もつかなかった。それがこの日の水見回りで姿を見る事が出来たのだ。

 見回り中、飛び立って隣りの池に降り立ったから撮影できた個体で、翼に隠れた部分の緑色が美しかった。一見して「水鳥のメス」までは難なく判明してもコガモなのかマガモなのか判断がつかない。小柄な体格だからコガモかもしれないと思っていても裏付けに乏しく図鑑参照しても無駄骨だった。羽毛の緑色が出ている図や写真が無かったからである。この個体一羽だけだったのが不思議と言えば不思議で「はぐれ鳥」だったのかもしれないが生態は知らないから妄想の産物である。

   

※ Sさんからのメールで「マガモの♀」とあった。♂は分かるが♀はこんなに小型なのかと言うのが印象。絵図に緑の羽さえ出ていれば小生でも判断で来たと思っている。

OH急だ!応急だ!お灸だ!

2021-09-29 | 小人閑居して憮然
 わが身の不始末で腰痛を再発させてから三日目、少しは動き回れるようになったと言いたいものの、座っていると痛みがぶり返してくるし立ち上がって歩いている方が少しは楽になってきた。床にしても椅子にしても座位は痛みに襲われやすいから仕方なく恫喝された気分で立っていてもしょうも無いのだった。小学五年生のある時、職員室で立たされ先生方の目を盗んで、と言うよりは笑いながら見逃していただいていたのだけれど逃げ出し用具室の天板を外してクラスの天井裏まで行ったことがあったが、もちろん校長室で立たされたのだった。
 まあ、今はそんな行為は出来ない構造だが家にいても所在が無し、で、フイールドにリハビリを兼ねて散歩に出かけた。足元にいつもより注意を払い水見回りすれば、隣接池ではタカネトンボを楽しめた。定着してきたようで今期はことのほか多く遭遇するのだ。

 トンボ池の減水が気になり調べると堰の脇からの漏水があった。カニやイモリなどの生物浸食も有るのだが、応急的に踵でこじ締めて止める。しかし池内の沈泥路がウシノヒタイやカサスゲに覆われているのが気になり長柄の貝掘りでウシノヒタイは根を引っ掛けて引き上げる。これはおぼつかず痛みのある腰に負担は少なかったもののカサスゲはそうはいかなかった。普段なら片手でヒョイと抜ける株でさえヒョイどころか「ヒョェー!」となってしまった。
 ただちに撤退、帰宅してお灸を据えた。子ども時代、お仕置きでお灸を据えられた事はあったものの、本物のお灸は自ら足三里にすえてもいた小生である。今では自分の腰にお灸を据える。「腰痛は危険でしょ!痛い痛い有らぬ迷惑は止めなさい!」と・・・。姥捨て山の孤老はかくのごとく語りきジャンジャン。

 ➡ 


*今日の一句

2021-09-28 | 小人閑居して憮然
                名月は見れず今日見た昼の月

今日のトンボ「眉には見えない、三角だったか⁉」

2021-09-28 | 小父のお隣さん
 マユタテアカネの未熟体に見えたトンボがわざわざ小生の近くに寄ってきたように見えた。それで気になってカメラを向けたのだがトンボは気にも苦にもしていなかった。
 「来てぇー来てぇーさんざんモニター」してぇーと訴えている様にも見えたしアップで撮ってやったものの、相変わらずの「豚鼻模様」かとまじまじと眺めたら山形ではないか。して「エーッ」と唸ってしまったのだ。丸くない、こうだったのかと確認したくても後の祭り。いかにいい加減な記憶なのか身に沁みて判った・・・。丸い豚鼻模様と信じて疑わなかったわ・た・し。

 どうしても釈然としなかったから後日、捕獲して顔面撮影して確認したらやはり丸形ではなかった。でもどーも釈然としない。記憶では丸二つはずだったのだが…。まあ、今が旬の耄碌恍惚者と言えど、記憶なんていかに曖昧模糊としているかの見本みたいだ。

  

今日のエッ!品「旬の栗ッキーで頬っぺた落ちた・・・」

2021-09-27 | 何よりの楽しみ
 台風14号のお蔭様、定例会も中止となって手持ち無沙汰だ。朝食を食べれば動かないから猛烈な睡魔が来る。スイマーでは無いカナヅチなので温泉プールに行くほどの興味はないが金鎚作業は得意である。
 それはともかく家で出来る事と言ったら台所で遊ぶ事ぐらいしか思い浮かばず、冷蔵庫にあった茹で栗を半分割にして中身をスプーンで取り出した。重量は丁度300g。これで栗100%のクッキーを焼いてみる事にしたのだ。もとより参考にするレシピも見当たらず「当たらずとも遠からず」「50歩100歩」「目糞鼻糞」の類、数学や化学の始末ではあるまいに、適当と言うよりテキトーに済ます事にした。ご進物やご馳走するわけでも無い遊びなのであるからしてレシピは以下の通り。

           栗     300g(フードプロセッサーで粉砕した)
           バター   40g
           砂糖    40g
           卵      1個

 フードプロセッサーを出したのでバター、砂糖、卵はこれで撹拌混合し、この中にクリ粉末を入れながらヘラで切り裂くように混ぜ込んだ。薄力粉300g相当のクッキーに比較すればバターも砂糖も半減以下になっているが、これは素材の栗の味を生かしたいからに他ならない。一方で栗が300gと多いので固くなりすぎるかと卵を1個増やしたのだが、これが緩くなる原因になってしまった。こういうところに経験値の薄さが顕在化する。

 型抜きクッキー仕立てのつもりだったものの型抜きには無理な緩さなので紙カップに入れて焼いた。焼き時間は170度で18分。焦げ目は淡いが中まで火は通っている。
 焼き上がりに試食。ホロッと崩れてバターも砂糖も控えた結果、栗の風味が口中にある。「これは美味しい!」と思ったけれど、栗拾いは既にしなくなった小生、今回の栗はYさんが譲ってくれた栗なのである。美味しいけれど次は無いかも・・・。まあ、作れば満足する「雨降りお憑きさん」なのだから一期一会が妥当だろう。

 ➡  完成

*今日の一苦

2021-09-26 | 小人閑居して憮然
             六灸もうもう お腰は痛イタ!
             お味噌も耄々 頭頂テカテカ!


 因みにではあるが六灸は腰部の阿是穴、委中、関元にすえた。今回は阿是穴のツボが感知し難い。毎度の事なのだが腰痛を再発させるとふくらはぎから足首のジンジンが酷くなるし、放屁さえゆっくり逃がすように行わないと尾骨周辺が割れるように痛くなる。朝、トイレでいきむなんて空恐ろしい。まあ、全ては神の御心のままに。身から出た錆なのだから。

ハイサイ散歩

2021-09-26 | 水辺環境の保全
 「ハイサイ沖縄」だったか歌う歌詞があったような気がするが小生的には「排砂沖縄」と漢字が浮かぶ。まあ、考えてみるまでも無くさぞかし砂を噛む、あるいは臍を嚙む思いで綴られてきたのが沖縄の現実史なのだ。それを想えばステイホームなぞは戦禍を避けてガマの中に避難した事と比べればどうってことは無いはずなのだが、耐えうるハードルは消石灰の白線程度になってしまい「線引き?ハードル?規制線⁉」みたいな受け止め方で、まあ、これが浮世の現実だろう。
 小生の郷里は豪雪地帯だったから集落の二階家さえ雪の下に埋もれ雪っ原にしか見えない積雪は普通だった。半年は暗い室内で冬籠り、娯楽と言えばラジオだけ、食べ物は漬物・煮物など限られた「ばっかり食」だった。こんな生活が半年続いても「ストレス」なんて思わなかったものだが・・・。

 さて先日の事、朝から雨模様で仕方なく座布団二枚重ねで壁に寄りかかり録画していた映画1本を早送りで見たのだが、そのあとがいけない腰痛が始まったのだ。昼にかけて段々と痛みが増す。湿布を貼りたくても手持ちがない。購入に出たくても腰をかがめた不自然な姿勢で店内を歩けば万引きの不審者に思われかねず断念して翌日まで我慢した。
 翌日は暑いくらいの快晴、痛みはあるも姿勢は我慢すれば平常姿勢をとれそうだからドラッグストア開店時間に合わせて自宅を出発し湿布を購入しフイールドへ行った。フイールド駐車場には会友のYさんだけだからズボンを下ろしシャツをたくし上げてまずは湿布貼り、こうでもしなければ動きが取れない。人目など気にするもんか!。

 もちろん腰痛の状態では作業は出来もしない。自宅で椅子に座しているよりは歩いている方が楽なので、この機会にしばらく行わなかった「排砂作業」をすることにしたのだ。強いて言わずとも「排砂散歩」である。作業前の吐水量計測では毎分18リットルで最大吐水量の7割弱だった。この数値では緊急事態でも無いけれど散歩がてらの排砂作業に出かけた。
 ショルダーバックに砂浚いの柄杓、携帯スコップ、菊ハンドル2種、それに飲料水1本を入れ、今まで使った事も無く死蔵していたステッキをついての歩行だ。下半身が不如意でとっさの動きが難しいと判断した安全策である。

 まず最初は尾根越えする道の分岐にあり吐水口まで上昇していく送水管の排砂バルブを開けた。この排砂バルブで尾根をまたぐ逆U字に敷設された範囲の排砂が出来る。バルブはそのままにして尾根越えし隣り沢まで歩くのである。道中ついでに尾根上端部にある溜め桶もチェックする。ここは昨季にアマゾンフロッグビットを投入され繁殖していたスポットで、しばらくぶりの道中なので確認に行った。あらぁ見た事か!、全面がアマゾンフロッグビットに覆われているではないか。
 春にも撤去しているが水草は細胞の一片でも残っていると復活するので厄介この上ない。それでもここは独立した溜め桶だから排除しておけば当座は安心である。それにしても盗掘する輩、導入する輩入り乱れての闊歩ぶりには憤りの持って行き場も無い。小網で水中を掬ってみたがボーフラやユスリカの幼虫1匹さえ見つからなかった。アマゾンフロッグビットの繁茂で暗黒の世界だったはずだ。食物連鎖にさえ悪影響を及ぼしている。
                      ➡   

 尾根を越え沢筋の標高最低部にある排砂バルブを開放する。ここもそのままにして取水部の手入を済ますのだ。久しぶりの取水部、取水升のフイルターは土砂で覆われて落水音だけが聞こえる有様だ。取水升満杯にはならずほとんどが流れ去っていく状態だった。
 とりあえず取水路を手入れして奔流時に流れを離れた枝水路を潰し本流1本にしてから取水升周辺の砂泥を取り除き、フイルターも外し取水升内の砂泥を柄杓で掬い取った。以前、設えた二重の透水壁が役立って、取水部が土砂で埋没するような事態は減ったもののフイルター部の手入は必要である。それでも豪雨さえ無ければ数カ月は手入不要になったし、断水でエンジンポンプを持ち込み「強制排砂」の回数も減ったから楽にはなったのだ。
                   ➡   清掃完了
           

 帰路は順路とは逆に最低部のバルブを閉めてから尾根の向こう側、上昇部のバルブを締めなけらばならない。この間の時間差で尾根をまたぐ送水管部の排砂が進むという塩梅予測である。
 帰路は尾根を越える道を通らず沢の接続するY川沿いを歩いた。フイールドとは異なるトンボ相があるからだが三面張りの川いっぱいにツルヨシが密生して流路は見えなくなっていた。これではカワトンボは寄り付かない。仕方が無いから休耕畑の上を舞うウスバキトンボを眺めていたら一匹だけ大型トンボが混じって盛んに採餌飛翔をしているではないか。胸のグリーンが鮮やかだからクロスジギンヤンマだと思って眺めていたのだが、近くに寄った折りに腹部の小豆色を確認できた。ギンヤンマのメスに間違いないだろう。産卵時ではない採餌行動のメスは恐らく初の観察だ。腰痛に悩んでいても楽しみは向こうから来てくれた。腰痛でも歩けばトンボに出会う・・・。

 翌朝、流量測定を行う。毎分22ℓなので2割増しと言うところで最大吐水量26ℓ/分の8割程度だ。これ以上の増量を望むにはエンジンポンプを運び強制送水を小一時間ほど行わなばならない。流速と水圧を高める事で送水管内壁で成長したバイオフイルムが除去出来て初めて可能になる量なのだ。しかしながら腰痛状態ではこの作業は不可能で年内に実施する程度のつもり。
 まあ、自業自得と言うべきなのだが、悪い姿勢と認識していてもこの手太楽で、10日間くらいはブラブラ病状態だ。やりたいことは多多あるのにも関わらず…我が身の不始末わが身で始末、ため息になる。

シェルター水路と沈泥池の抜去除草終わる

2021-09-25 | 水辺環境の保全
 ようやく泥水池1~3と沈泥池、シェルター水路の抜去除草が終わった。泥水池4は先般の除草でヒシのみ残したままでキシュウズズメノヒエとカサスゲの抜去の必要はなく、泥水池5は最終段なので水底で刈り取って終わっている。ここはキシュウズズメノヒエでは無くてイネ科には違いはないものの密生大型の種だ。イネ科大型種にはイヌビエがあり、これも繁殖力旺盛なものの株は抜きやすい。
 しかし泥水池5や沈泥池に繁殖したこのイネ科の野草は抜き取り難いだけでなく厄介な性質がある。それは細い葉の両端に目に見えないのこぎり状の刃があって、不用意に顔や腕が触れると切り傷になるほど切れ味が鋭いのだ。写真の株は沈泥池で抜いた大株なのだがここまで育つと両腕でも曳き抜けない。鍬を打ち込んで抜くしかないほど根張りは強固になる。

 シェルター水路の除草は水域内はキシュウズズメノヒエとウシノヒタイが主で、ウシノヒタイは泥中に根を張らないから一カ所を引けば一株一挙に回収できて楽である。東側の法面からジュズダマが倒れ込んで水域を覆っている部分もあって、最初はその部分を刈り取ってからの水域内除草になった。
  日当たり良好部が繁茂する  ➡    除草完了

 沈泥池も周囲の法面から覆われてしまった部分が多かったものの、これは堤の上端面に送り返して抜去した根株で押さえつけて済ました。植物質は分解されるし泥は堤の嵩上げになってくれる。
                    除草終わり   ➡   泥上げして終了
   

今日のトンボ「クロイトトンボの産卵」

2021-09-24 | 小父のお隣さん
 既に日常茶飯事になっているクロイトトンボの産卵なのだが明るい水面で産卵していたので撮影してみた。それに加え「アジアイトトンボか⁉」と結論を出せないままの小さなイトトンボとクロイトトンボのメスを写真対照するためでもあった。まあ、結局は「おてもやん」で終わった。いつも通りの顛末・・・。

 クロイトトンボのメスは普段は全く目に留まらない。連結し産卵しているのだから存在しているはずなのだがオスばかり水面近くを飛翔しているのが印象である。

                       

移植に賭けたキジョラン

2021-09-24 | 蝶の食草園
 A株   B株 食草園内に植えたキジョランの生育が思わしくない。既に5年は経過していると思うのだが本葉2~3枚のままなのである。自宅に植えたキジョランも10年経過しても1m未満で花は咲けども結実せず、思い余って食草園内に移植したのだが、翌年には生育はしなかったものの結実したのだった。これは小生が手掛けたキジョランの文字通り最初の結果なのだった。しかしながら9月には全ての葉を落し枯れてしまった。お初の莢の扱いに困りS先生に相談したら「ツルの中の養分を種子の方に送る機能は残っている可能性もあるからそのまま観察」という判断で12月に莢が割れ種子が見えた段階で採種したのだ。
 その種を今春播種して二桁の発芽を得たのだったが「角を矯めて牛を殺す」「御母日傘」の結果、移植時期の誤りで全て水泡に帰してしまったのだ。
 斯様な前科があるので躊躇に躊躇はあったのだが、育たない場所で待っていても何も得られず、ここは移植して復活に賭けてみようと掘り取り・移植を決断したのだ。決行日は「翌日降雨」を選んで実施である。9月も後半でも34℃近い気温の日も出たから植え傷みは極力避けたい。

 移植場所は現在地より日当たりも土壌も良いエノキ林の端にした。エノキには既にS先生養成の苗を定植済みで比較のためカラスザンショウの根元に植え付ける。カラスザンショウも独特の強い香りを出す樹木なので誘蝶するに拮抗する可能性もあるのだが、それはそれとしてまずは活着を確実に行わなばならない。
 植穴を掘ったものの樹木の太根があって広く深くは出来なかったものの、とりあえずの植え付け穴には不足の無い大きさを穿つことが出来た。これに先立ち、孟宗竹の細断粉と昨年の落ち葉堆肥を半々づつ一輪車で運び植穴の土壌と混合し植え付け終了。当然ながら「水決め」して根を落ち着かせておく。

 掘り上げた二本の蔓を見れば一目瞭然、5年以上経っているにもかかわらず根張りが本当に少なかった。これでは日照不足もあり通常の生育は無理だったのだ。移植した位置は、まだ直射光が厳しいしポット養成しない植え付けなので北側の木陰にした。活着し生育を始めれば日当たりの良い方でも日陰の部分でも好きに蔓を伸ばせばよい。ただ今は光を求めて移植はさせたが半月程度は日陰が必要であろう。移植させられた上に直射光に晒されたのでは満身創痍の身には堪ったものではない。
 小生が払うべき注意は払ったから後は運を天に任せる、キジョランの生命力に委ねるしかない。

          

今日のトンボ「喰って喰われてお山は安泰・・・」

2021-09-23 | 小父のお隣さん
 泥水池3の抜去除草中、法面の草むらに張られたコガネグモの巣にバッタとシオカラトンボが絡まっていた。どちらが最初か不明なもののトンボを覆った糸を見れば顔面がぐるぐる巻きである。このやり方はクロスジギンヤンマが捕獲された時にも観察しているので通常普通の対処法なのだろう。トンボの危険な部分は大顎に他ならないからだ。
 飛翔能力に優れた肉食性昆虫であるトンボも場面を変えれば捕食される立場であって、コガネグモでさえそうなのだ。いつだったか種類も忘れてしまったけれど野鳥がホバリングしながらクモを捕捉しようと巣と対面していた場面に遭遇したことがある。喰う者も喰われる者も相互に切ってはいけないリングの中で生きている事をまざまざと見せてくれる。
             

 次に見たのは竹の支柱の先端での捕食だった。「多分オオカマキリでしょう」とS先生はこともなげにおっしゃったのだが、確定するには下翅を観るのが良いのだとか。小生にはそこまでして種の確認は出来かねる。カマキリも数種が観察されるものの「カマキリ」ですまして丁度身の丈に合致しているのであった。
 カマキリが捕捉したトンボは竹の支柱に止まっていたところか止まりに来たところでバッサリと大鎌を出されたのに違いない。昔の話になるけれど、トノサマバッタを捕捉したカマキリが頭部から齧り始めて「ガリガリ」と音を立てる様は「さすが肉食系」とネコ科やイヌ科の骨を食む音に通じるものがあった。

 喰いつ喰われつが糞断、いいえ、ふんだんに見られるうちはお山も安泰と言うものである。喰う者も喰われる者も姿を消せばThe ENDである。そう、糞が絶たれるとはまさしくEND、終末の場面・位置、そうなのだ。つい昔の飢餓のアフリカに於いて肛門にゴム栓をした子ども等の写真を見た記憶があるが、現在も同じだろうと思わずにはいられない。出るものが無くなれば腸さえ出てくる飢餓状態とは「開放区のアウシュヴィッツ」に同じなのであろう。
             

泥水池2、3の除草

2021-09-23 | 水辺環境の保全
 今期は既に二回の抜去除草を行なっているのだが晩夏の暑さで瞬く間に繁殖し席巻してしまったキシュウズズメノヒエである。別名「夜這い草」と忌み嫌われているいわゆる水田雑草なのだが繁殖力は半端ない。ランナーはどんどん伸長させ節々からはすぐ発根させ根付く。元株も分蘖(ぶんげつ)著しく一握りするほどに分蘖すると両手で引き抜こうとしても固い土壌だと抜けないほど強固に育つ。
 この抜去作業を続けていると握力は下がるしテニス肘状態の肘近くにも痛みが続くようになって治りにくくなる。時折は左手を主役に交代させてはみるものの利き腕にはかなわない。鍬を打ち込んでもスルリと抜けるし貝掘り熊手は多少は役に立つものの握るわけでも無いので取り残しが多くなり、結局は「手抜き」しかなく手抜きは出来ない作業なのだった。
 クワや長柄の貝掘り熊手が活躍するのは水域に盛り集めた抜去体を引きずる時に役立ってくれる、という事だ。抱えて運ぶ訳にはいかない代物だから鍬を打ち込み引きずる事で水域から排除できる。

 長らく「分蘖」を「ぶんけつ」と言っていた。少年時代からの言い方なので親がそういっていたかどうかまでは記憶にないけれど、まあ、「分蘖」という用語そのものが日常会話に出てくる単語でもない以上、修正するまでには幾多の時間と機会が必要だったのだろう。

 泥水池2の抜去除草は最初の日はカメラを忘れ、スマホだと縦横対比が不快なので撮影せず事後の写真だけになった。手前、倒れているミゾハギは水域内から抜去したもので、これはミソハギの無い法面へ移植する。
 水域内にミソハギがあるとキシュウズズメノヒエ抜去の妨げにもなるし、これがキシュウズズメノヒエの席巻を許す一因にもなるのだ。このイネ科の植物、長らく「一年草」とばかり思っていたのだが「多年草」だった。そうなると根まで除かないと駆除は難しくなり苦慮しなければならない羽目になる。既に羽目になっておる…。

 泥水池3もキシュウズズメノヒエが覆ってきた。これが繁茂すると水面が隠れてトンボの飛翔が極端に無くなる。抜去搬出すれば「待ってました!」とばかりオスが集まってくる。拙者としてはメスが集まって欲しい。池の中央に立てば「大奥状態」に思えるだろう。「苦しゅうない、もそっと近こう近こう!」なんてね大妄想大暴走、とまあ、下衆の考え、勘繰らなくてもわかる、てなもんや三度笠。

       抜去前 ➡   一日目は北側半分 ➡   二日目で終了

今日のエッ!品「なんじゃもんじゃオカッキー」

2021-09-22 | 何よりの楽しみ
 先日、試作した玄米乳甘酒とサツマイモの餡。田舎饅頭に包んで食してみたものの改めて食べたいと言うほどの魅力は無し。で、500gも冷凍庫に残ってしまった。SDGsが言われている昨今では廃棄食品とするのでは逆行する。そこでない毛、いいえ無い知恵を絞りだして「クッキーにはなるだろう⁉」と台風接近前の蟄居憮然を解消するために立ち上がったのであった。ゴレンジャーならぬ「御膳者ー」である。

 もとより餡として作った材料をクッキーに改造する策など承知はしていないけれど、ネットに溢れる大同小異のレシピを眺めれば「多少のことなどどうでも良い」と喝破できる。そんな事からクッキー仕立てが第一案だったのだが500gもある餡をベースにクッキーを作るとなると一回では済まない。結局、一回で終了させたいので今まで作ってみたパンともケーキともカステラとも呼べない「なんじゃもんじゃ風」になってしまった。予定ではおかきのようにやや厚めでバリッと割って食するイメージだったのだが量が多くて一回では済まない。仕方なくカステラもどき、ロールケーキスポンジもどきのエッ!品になってしまった。

 ところがである。これが意外に美味しかったのだ。材料のほとんどが餡であった事もあり砂糖は加えず薄力粉とバター、卵を加えただけの代物である。本来ならば各々の材料を量って加えるべきなのだろうが、参考になるレシピもスイーツも存在しないのであって、今回は「固さ」だけを勘所として薄力粉で調整したのだった。
 焼き上がっての試食、砂糖を加えなかった事で「甘いお菓子」とはならず、その意味では口寂しい味わいなのだったものの、二口三口と食べ勧めていくうちに甘酒由来の甘味がホンワリと感じられてくる。口当たりも溶けるような感覚で玄米紛がベースのスイーツとは思えない。最初の一口目は「蜂蜜を掛けたい!」と一瞬は思ったものの、淡白な甘みである事から「糖分取り過ぎ」の心配は少なそうだった。原材料だった「甘酒とサツマイモの餡」の癖のある味を越えた味わい深い穏やかな一品となったのであった。これで苦心惨憺した餡を廃棄せず「美味しい一品」に仕上げた小生の技能、この職人技、見上げたものである。

 まあ、毎度の事なのだが「おかき」にも「クッキー」にもならないエッ!品になった。まあまあ、好く御似合いであろうぞ。

 卵とバターに加える ➡  ➡  ➡  焼き上がり

水面が明けばトンボもやってくる…

2021-09-22 | 水辺環境の保全
 泥水池1の除草、と言うより繁茂植物の抜去と言った方が正確だろう。春、初夏に続き3回目の抜去だ。しかし日照も気温も豊かなこの時期は繁茂のスピードがとても速く、一週遅らせれば見かけはガラッと変わってくる。今回もその結果、水面が見えないほどに繁茂させてしまったイネ科の植物、キシュウズズメノヒエだったかなんだか忘れはしたが良く分蘖するしランナーを長く伸ばす厄介な野草だ。

 四つ這い姿勢は腰に負担が大きいから四本鍬で摺動し根土を緩めて抜去する体勢が楽なのだが、これだと引っ掛かりだけなので抜け落ちてしまう機会が増える。結局は四つ這いになり泥中の根の広がりを確認し握りしめて抜去する事に戻ってしまう。毎年、繰り返しており、最後は手抜きしかない結論に至るのは重々承知なのであるけれど、吾輩は易きに流れたーい、のであった。つまりは横着したのでもあった。人生、そうそう達観など至る訳もない。

 何とか二日掛かりで抜去を終えた。水面が明いてくるたびに、全く姿の無かったトンボがやってくる。ほとんどはシオカラトンボとオオシオカラトンボなのだが、水面近くではクロイトトンボが結構飛翔している。オニヤンマも姿を見せたりするから、植生も大事だけれど水面を明ける事の大事さを改めて実感することになった。
 池の中の植物体は抜去し集積したものである。この後、鍬を打ち込み引きずって陸に上げる。泥付きなので流出部の埋め立て補修に回す。泥と植物体が半々程度なのだが長期的には土の埋め立てをしたように嵩高になってくれる。この方法を採用してからは「泥浚い」をしなくてもよくなったのだが、まあ、一長一短というところである。

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