深夜便ニュースの度にトイレ便
深夜便ひる番組は三分がゆ
濃い中身昼こそ欲しい深夜便
深夜金早朝は銀昼ごまめ
耳にせばなお目は冴えし深夜便
肩疼く深夜便聴きなお覚す
丑三つやシルキーボイス耳に消ゆ
歌姫と言えど人生流れ星
深夜便ニュースの度にトイレ便
深夜便ひる番組は三分がゆ
濃い中身昼こそ欲しい深夜便
深夜金早朝は銀昼ごまめ
耳にせばなお目は冴えし深夜便
肩疼く深夜便聴きなお覚す
丑三つやシルキーボイス耳に消ゆ
歌姫と言えど人生流れ星
この日、大寒なのに暖かく穏やかな日になった。前日の作業は曇り空で作業を始めたらポツポツと落ちてきたのだ。シーツや包布を干したままなので大急ぎで帰ったから無駄もいいとこだった。この日は気合を入れなおし山側に添ってトレンチをする。もしかしたら透水壁や取水升のフイルターに当たるかもとの儚い希望はこの日も費えてしまったのである。探索棒に当たって探りの障害になる木質部、排除するために掘り始めたらことのほか長い流木だった。への字に曲っているがゆうに3mはあったのだ。その上、下側に枝が埋没しているようで上部だけを露出しても動きが悪い。この日はこの厄介者のせいで掘り上げは思ったほど進まない。
牽引器があれば一発で引きずり出して蹴とばし三発くらいは見舞ったのだが孤老のご老体、肩の痛みに耐えかねての作業なのに足を痛めては万事休す、緑茶も急須、てなもんや三度笠。ツッツモッツと進まない作業なので妄想も著しくなる。孤老の傷心を埋めるものなどあるのかどうか、つらつら考えてみてもご馳走に魅力は無し、スイーツも麩菓子くらいでよろしい。まあ、遊興飲食娯楽など癒しにもならず、読書も睡眠導入剤代わりでは肩は冷えるし本を持つ腕は固定されたままだから肩や腕の痛みを増長させるだけだ。であるから図書館からの借り出しは数年ぶりで全面禁止にしている。
で、テレサテンのCDを買ってみた。生誕70周年記念アルバムが出ているのだがスーパーのレジ前には置いてない。街に出かけるかネットで注文するか、まあ、とりあえずは傷心の孤爺をCD1枚で梃入れするのである。BGMにしながら聞きほれていると確かに「アジアの歌姫」と言える実力だけれど、音調が綺羅星の歌姫なのに何か哀しい。スターであっても心の深淵には寂しさや哀しさが満ち満ちていたように思えた。まあ、孤爺が流木一本で心を折ってしまうとは日本男児にあらざりき。頑張ろう!突き上げる空に…突きあがらない現実は痛いままである。フイールドのカラスさえ泣いてはくれなんだ・・・。
今日は鍼外出懐炉夜湿布
わび住まい温み感じし初日受く
餅ひとつ無きぞ新年節痛し
ああ疼く深夜動かす肩回り
三角筋乳房の如く揉む深夜
異常気症冬に笠雲ふじの嶺
初春や冷報不二は吹き曝し
不治の山大沢崩れや治山不可
へたれ嶺樹海に迷う不二の人
奢れ者久しからずや自滅なり
拠点、道具小屋横に生えているカシワ1本、日当たり良好だし周囲に枝葉を展開するのに邪魔になる立ち木もないので伸び伸び育ったのだ。周囲にカシワの自然樹は見当たらないから大方、往時の地主さんが柏餅用に植えたのかも知れないのだが現在は周囲を日陰で覆うだけの存在になっており「伐採して!」との話はあったのだ。しかし孤爺にとっては格段急いで処理しなければならない対象でも無く、ましてや右腕が痛くて使い難い現状では災の河原の砂礫掘り以外にすべき作業など無いのである。
そんな状況なのに代表から「伐採」の依頼が来た。他に男衆はおるけれど伐採の経験値は持ってはいない会の現状となった現在、斯様な作業は小生に回ってくるのである。まあ、よくよく経緯を思い出してみればむざむざ廃木にするのも資源としてもったいないから「榾木になるかもしれない…」と口を滑らせていたのは孤爺なのであった。そんな事があり年が明けての定例会時に榾木を作る活動となったのである。お偉い様達と異なり「秘書が、秘書が・・・」とか「記載漏れだから修正!」なんて習性の無い孤爺であれば泣く泣く砂礫掘りを先送りし、肩の痛みに耐えながら定例会前日に伐採する事にしたのだった。
ところがである。伐採予定の朝、朝食が済んだ頃合いに代表からの電話で「定例会当日に皆の前で伐採してくれないか…⁉」との要望があった。喫緊の課題、災の河原の砂礫掘りを先送りしつつ痛い肩を抱え重心の変化が大きく難しい作業になる落葉樹の伐採をギャラリーの前で行って欲しい、なんて無理にもほどがある。三本の幹を持つカシワは一筋縄ではいかないし伐倒方向は重心方向には小屋やミカン樹があり避けなければならない。端的には「作業はどう展開するか成り行き次第」になりそうだし「枝掛かり」必至の環境ではギャラリーなんて危険なだけで役にも立たないのである。であるから断って予定通りの開始にする。
まずは低い位置からねじれて伸びた幹を切除する。これは難なく出来たのだが残った二本は難物である。使いたい牽引器はバンビーノガーデンへ日当たりを良くするための伐採に貸し出しており手元にない。そこでに荷締め用の牽引器を代用したのだが牽引距離は1メートル余りだし使うロープは麻ロープで効きが悪いはずだ。でもこの環境で伐採するしかないので、ここも粛々と進行にこれ努める孤爺なのであった。二本目は思った通りにクリの樹とヒノキに枝掛かりがして落ちてこない。ロープを曳きつつ齧ったままの切断面を修正しつつようやく地上に落とせたのだった。しかし幹は落ちても枝葉の部分で立ったままだ。ここで「行ってはならない掛かっている樹の元玉切り」をせざるを得なくなった。処理作業の安全のために「行ってはいけない方法」は幾つかあるのだが、これもその一つだけれど現状、これ以外で掛かり木処理は不可能だ。こういう作業をギャラリーの前で行うなんて愚の骨頂、年寄りの冷や水、悪法の刷り込み以外の何物でもなくなる。
2本目は案の定、掛かった ➡
ようやく地上に落とせた。3本目は余裕がなく撮影できなかった。
最後の1本は高さも高いし重心の外れも大きい。何もせずチェーンソーを入れれば道具小屋、ミカンの樹、キジョランが這い上って展開しているネズミモチを直撃する。荷締め器では役不足なのだが重心と反対方向に曳いてから伐採開始する。案の定、牽引距離が短いので伐倒位置まで曳けない。追い口に楔を打ち込み固定してから再度、荷締め器を設定しなおす。幸いにも再設定の間、立ち姿を維持できていた。こういう状態になる不安定な伐採現場にギャラリーなんて問題外である。見物する方は暇つぶしで面白いかも知れないけれど作業する側は見世物でしかなく、見物させれば微力と言えど里山保全に寄与するでも無いし、たまったものではない。で、ようやく地上部に落とす事が出来た。残った株元を綺麗に切断して昼前に作業は無事に終えたが定例会当日の処理作業には参加せず水源地の取水堰掘り出しに痛い肩をつぎ込む日々に戻れたのである。
古いフライパンの柄が緩んで使い難い。動く量は少ないのだがしっかりと締まっていないのがなんとも不愉快なのだ。新しい有名メーカー製のフライパンはあってフッ素樹脂加工もしっかりして軽いのだが、軽さは薄さに通じて加熱して薄さのせいで熱の不均等が気に食わない。その上熱で歪むのでこれはもっと気に入らない。
結果として古くて重いフライパンを多用するのだが柄の緩みを何とかしたくて六角を差し入れた見たが役立たず。プラスのドライバーもマイナスのドライバーも用立たずだった。大きめのマイナスドライバーはわざわざ購入したのに、である。結局、思い余ってメーカーのホームページを見たら「タフドライバー」が適用品とあった。「マイナスドライバーでも締め付けられます」とあり溝も見えるのだが小生、これを信用したばかりに無駄なドライバーを購入してしまったのである。再利用など全く無いであろう役立たずのドライバーに食費一日分相当を支出したのだった。
さてタフドライバー、ホームセンターには陳列されない「フランスの規格品」らしいのだがホームセンターでなく工具専門店に行ってみたら該当品が見つかった。早速、使ってみたのだが一向に効かない。「待てよ…」と潤滑剤をスプレーし、しばし待ってから反復回転させていたら動いてくれたのだった。これで漸く気持ちよく使用できる。このドライバーを使う前は「国際輸出商品のネジ類を自国の規格で輸出するもんではないだろう!」と思って憮然としていたのだが使ってみて考えが改まった。「ビスの溝が滑らない。潰れない」のである。周囲に氾濫するプラス・マイナスドライバーの窪みとはしっかり度が全く異なったのだ。形状を観察すればビスの頭に加工するのは難しそう、つまりコストが掛かりそうなのだ。捨てても良い様なフライパンなのだがこのメーカーを見直したのだった。さすがである座布団一枚チヂミは二枚三余のおやつに巻き卵・・・。
意を決して臨んだ災の河原の取水堰発掘作業だが一向にらちが明かない。拉致が明かないのは拉致被害者家族も同じだけれど小生の件は人権問題では無いので世間様も行政様も関心は皆無だ。そこで溜息粛々昼砂礫を掘るのだけれど単純重作業はつまらない事おびただしい。結局はちょくちょくと小休みを入れながら続けているけれど、その小休みに気分転換のために上流部の流木ダムに寄ってみた。ダムとは言え水は無く砂礫が満杯になった沢である。先端の狭小部は抜根され倒れた大木に多くの流木が絡まり高さは3mほどに積み上がっている。これは昨年8月末の台風10号による集中豪雨の結果だ。決壊によって被害が出るやもしれないので取水堰の掘り出しも含め行政に流木ダムの撤去をも伝え現場視察まで来たものの音沙汰無しで今に至る。
上流部に立って貯留された砂礫の河原を眺めると既に林の中に流入せんばかりの高さになってしまった。このまま放置すれば増水時には林内に濁流が流れ込み取水堰の在る河床を直撃する。こうなると流路のコントロール、河床安定化作業など意味をなさなく成ろうから砂礫掘りを中断して流木ダムからの水路を創造しなければならないと思えた。まあ、部分最適化の総体が全体最適化であろうと思えば、たとえ砂礫掘りにウンザリして浮気心を出したとて責められる理由は露ほども無いだろう。つまりは全て我が身で処理せねばならない範疇なのだ。
そうなるとチェーンソーを整備しなくてはならない。分解整備にエアーコンプレッサーは必需品なのだが拠点の発電機は燃料を抜かず使いっぱなしにされた結果、始動できなくなっているままだ。コンプレサーを拠点まで取りに行けば自宅で整備できるけれど帰路、立ち寄るのも面倒でエアーブラシ抜きで整備する事にした。しかしこれが間違いのもとで細かい部分まで入り込んだ油にまみれた切粉は排除し難い。それでも昼食前で日当たりのある時間だったから何とか根気よく清掃・整備出来たのだった。ソーチェーンを新品に変えようかと思ったけれど新品は立枯れの大径木伐採までお預けとして砂礫混じりの倒木ダムには研磨した古刃で対処する。室内や庭の掃除はやる気が無いけれど、こういう掃除は面白い。故にお化け屋敷と化す我が苫屋なのであった。
意を決して腹を据えて掘り始めた砂礫の河原。「砂金掘りなら好いのになあ!」なんて鼻歌など出て来ない孤爺の腕・肩・腰・膝には酷い作業になる。スコップを握る左手は支点の役割が強いので負担は感じないけれど痛い右腕は操作する側になるので掘り上げる時点は特に痛みが増してくる。とは言え掘り続けなければ終わりは見えず掘り続ければ痛みでダウンする可能性もあるのだ。他力本願では解決しないのはフイールドを整備し始めた頃から骨身に滲みている事であるものの「天は自ら助くる者を助く」とおもえど「天は二物を与えず」もまた道理であって強靭な肉体と意志は高年齢低年金の孤爺には夢物語なのであった。
で、ボチボチ作業と相成っているけれどそこは災の河原の砂礫掘り、遅々として進まず先も見えてこない。この日、現場に到着すれば前日に掘り取ったすり鉢状の窪みは平らかになっている。つまりはまたスタート地点から開始するのである。とは言え予想の範囲内で、この日は流路を掘削部から離してから掘り下げを開始した。
流路からの流入水が無いので掘り下げは順調だけれど地下水位に達すれば水底を掘る事になるのは変わり無いもののすり鉢状の壁の崩れは少なくなるから掘り下げの結果は出やすくなった。ある程度まで掘り下げて更にスコップの剣先の肩まで刺し込んでも構築物には当たらなかった。勿論、掘り下げた付近にある可能性など不明な作業なので仕方がない。飛び出ている垂木周りをすり鉢状に掘り下げてはみたものの結果は出ず、垂木の先端部にも到達していないからまだ掘らねばならないのは明白だった。
結果の見えない災の河原の砂礫掘り、同じことに嫌気も出て山側をトレンチすれば取水堰端に当たり易いかと掘り下げてみたものの現状は手掛かりはなかった。元より堆積層の厚さだけでなく河原も広がってしまった結果は位置を推定するに根拠など無いに等しい。朝食を食べたかどうかも心もとないカンピューターでは手間暇投じる事だけが道を開く・・・。崩れても崩れてもお憑きの様に孤爺はゆがめてゆがめつ砂礫の穴の中・・・てなもんや三度笠。
「敵もさるもの地面を引っ搔くもの」とか「去る者は追わず来る者は拒みたい」やつら、威之志士様には豚熱の再流行を望んでいる孤爺であるけれどコロナ、エンフル、リンゴ熱等々、流行りは人間界様ばかりで跋扈蹂躙様は平安なのだった。街熊に大騒ぎが続く昨今であるが「処理しちゃアカン!」と能垂れる輩もいて関係者は頭が痛い事だろう。小生が出くわした事例は隣り沢の橋下で猪の解体中に入域して来たおばちゃま一行様の一人が「こんな酷い事を、子どもの教育に悪いでしょう!」と声高に喚いていた場面だ。「アホか、子どもには絶好の教育機会だろう」と小生は思って眺めていたけれど「正義の味方面」は何処にでもいるのである。まあ、担板漢は担板漢でしかないし薬は無いのである。
さて、奥の院で林床の刈り払いが済み斜面のネザサ刈りを行っていたら跋扈蹂躙様のお休み処が二カ所出て来た。草深くは成ってはいないはずなので「よもや!」と思っていたのだが辺縁部は人の立ち入りは無いので安心して拠点に出来るのである。そうさせないためにも見通しを良くするように心がけてはきたものの今期は度重なる豪雨や高温、肩の痛み等々連続して作業の遅れがこういう不始末に繋がった。相手も虎視眈々と、いいえ猪視眈々と侵出機会を狙って止まない輩であるから油断は禁物なのだが行き届かないのはどうしようもない。
以前、尾根の突端部にカヤネズミの生息を見出しススキの株を育てていたところ、ススキの大株の中央部にススキを倒して敷き込み寝床にしていたのを幾つも発見してから辺縁部にはススキさえも育てれないと刈り払った事がある。今回の場所はネザサの斜面でススキ程背丈はないのだが伏せてしまえば目に止まらない。野生生物は基本的にテリトリーの拡大を図るのであるから油断すればマウントされるのは間違いない。敷き草も厚く人間が野宿するにしても地面からの冷えを防ぐだけの効果はありそうに丹念に敷き詰めてある。これなら白日夢を見ながら放心状態で夜を待てるだろう。まあ、跋扈蹂躙様が涎を垂らしつつ白日夢に溺れている光景など孤爺が耄碌しつつ妄想に追いまくられている図柄とそうは変らんはずだ。ありがたやありがたや。
肩が痛くて腕が上がらないと日常生活まで影響が出る。正確には姥捨て山喫緊の作業でも先送りしている現状なのだが洗面や着替えなど最たるもので頭部に被る頭巾さえ結べない有様では帽子着用するしかないのだった。しかし帽子を被って鏡を見れば似合わない事甚だしい。やはり姥捨て山の孤爺には手拭い頭巾が相応しい。
そんな中、奥の院の刈り払い二回目に行く途中で落ち葉に埋もれた枝に躓き転倒してしまったのである。右手に刈り払い機をぶら下げ、左手にはガソリン携行缶を持ち、この日は今期初の「初霜・初結氷」した日だった事もあり駐車場の温度計は8℃を示していた。そんな気温下では身体も固まっていただろうし痛い腕で仮払い機を握っている状態では反射的に腕を前に出し防衛体勢など無理だった。そのまま右の前頭部から地面に激突し被っていたヘルメットの庇は破損するし装着してあった防護メットも破断乖離したのである。
おまけに左ひざにも擦過傷を追ってしまった。頭部から落ちたのだし数分間は静かにしながら「作業か帰宅か」判断しかねたものの「せっかく出向いたのだから」と防護メット無しで奥の院の笹狩りを行ったのであるが途中でエンジンがストップしてしまい何度やっても始動しなくなった。点検すると気化器の取り付けが緩んでガスを吸い込めなくなったようで気化器自体がグラグラする。締め付け直そうとしても道具が無いのでそこで作業終了である。三隣亡などの厄日かと暦を見れば満月の「先勝」の日だ。まあ、「先勝」するものもいればその対に「先負」があるはずなので、さしずめ孤爺にとっては「先負」に当たったのであろう。防護メットもヘルメットも破損したから取り替えねばならないのだが、その前にコンビニでお煎餅を購入しバリバリと自棄食いして心の平安を取り戻した寒ーい寒ーい日であったわい。
風鈴の灯火であえなく撤退したり撤退させられたり居残ったりと全国津々浦々、風鈴の音色は様々であるけれど、番組復活を望んでいたかの御大の昆虫相手の会社から撤退すると言うニュースを見ると番組開催は絶望的だなあと思わざるを得ず、このタイトルでの記事もそうなると意味がない。なんてつらつら妄想しつつ遅まきながら庭で育成していたノアザミなどをフイールドに定植しに行ったのだが車から降ろす時、鉢の側面にお菊虫がついているのに気が付いた。今期の越冬体の発生は10頭ほどもいて数が二桁なんて久しぶりである。
蛹化するのは人工物を好む傾向があるけれど今期の蛹化は食草のウマノスズクサに付いて羽化していった個体もいた。これはこれで珍しい。さて鉢で越冬隊となった蛹様、地表から10cmほども無い低い部分での越冬体である。家の基礎部分や二階の窓枠など高さはまちまちなのだが雨の泥跳ねが当たるような位置に場所取りしたのは「お前、馬鹿か…」と言いたくなってしまう。とは言え既にアリなどの餌食になる季節では無いのでそう思っての事としたら「賢い馬鹿」なのだ。
さて、空になった鉢をそのまま積み置く訳にもいかず春先の羽化に支障のない場所で冬越しさせねばならない。ホント、世話が焼ける。このお菊さん、脱ぎ捨てた振袖をお尻にくっつけていた。炭化したように見えるけれどお菊さんは八百屋お七と異なるから振袖には火を付けない。こんなバカげた妄想を書いたところで判る人は居るんだろうか、それが問題だ・・・。
この国は税金盗人も外来種プレゼンターも誠におおらかで節操なく、だからこそわが青春のみぎりより頭頂部脱毛が進んだのはこのようなストレスによるであるから手の施しようもない。上の池のオオカナダモの抜去は今期7回目になった。前回は9月16日だったから一カ月を経過したものの気温水温の低下で繁殖速度は遅くなって足浴バケツに1/3程度の量であった。
昨季はグズグズしているうちに飛来した水鳥の胃袋に収まったようで「ヤレヤレ助かった!」と思ったけれど根は残っていたようで春になったらしっかりと発生していたから、今期は根ごと残さず抜去したのである。これで水鳥の餌を減じた事になるけれど、本来はありえない藻であるし残して置けばおっつけ池中がオオカナダモに乗っ取られ在来生物も生存不可能になる。11月になると水温も下がりオオカナダモ自体も水底に横たわるから抜去しずらくなるので早めに抜去となった。
今回の抜去で今期は終了だけれど今までの経験則から「根ごと抜去していても必ず多発する」ので根絶は厄介なオオカナダモなのだ。投入していった人物を丑の刻参りの対象にしたいけれど人物の特定が出来ないので新しい稲わらで人形を作ってみたところで役には立つまいて。陰陽師も近くに居ないしなあ・・・。
フイールドの駐車場に入ったとたん異常に気が付いた。稲架ニ掛が倒れているのである。前日は所用で休んだし時折立ち話している親父さんも「昨日は足を向けなかった」と言っているので二晩寝ていたのか一晩だったのか知る由も無いがまあ、降雨に合わなかったのは幸いだった。孤爺としては水域の草抜きをするために出かけたのであって、こんな始末に手間暇を掛けたくなかったけれど「見て見ぬふり」も出来ない。前日は多少は強い風も吹いた気象条件だから風で倒れた事も考えられるものの、人為的に竹の支え一本を蹴飛ばせば倒れる構造でもあるし威之志士様の猪突猛進ひっかけではさらに容易に倒れるはずだ。しかし稲穂の被害は無いので獣害ではないだろう。前日に倒れたと推測すると日曜日だったから入域した人による悪戯も考えられる。
理由や原因を推測しても稲架に掛かる訳も無く、やるべき水域の除草を後回しにして復旧させることにした。そんなに手間暇を掛けたくないし再び倒れさせるのも脱穀の日時が近づいている事もあり避けたい。とりあえずすぐ倒れてしまう三脚で稲架を構成し補強に中央部に前後からつっかえ棒、ここではつっかえ竹であるが固定して足払いを掛けられても全体が倒れ難いよう補強した。残りは稲束を掛けるだけで終わり。雨よけに頬かむりさせてあったものの固定してある紐を解いて結わえてまで行う気にもなれず終了とした。架け替えている間、湿っぽさが気にはなったが、ただでさえ日当たりの悪くなった沢内の広場の木陰に据えてあった稲架は同じ場所でなく周囲が開けて風通しの良いところに据えたから乾燥は早くなるはずだ。
泥水池内、チゴザサのコロニーに四本鍬を打ち引き上げた泥草塊を低い部分に埋めたてようと一歩、足を踏み出したら右足がすっぽり落ち込んでしまった。幸い怪我は無かったのだが場合によっては大腿骨骨折の憂き目になりかねない場面である。この場所は年々、窪みが顕在化してきた場所なので地下に漏水洞穴があるだろうとの推測はしていても、これほど大規模だったとは想像もしていなかった。
手元の四本鍬の柄は4尺あって、これを入れてみればすっぽり入ってしまう深さで洞内の広がりも孤爺が一人なら十分に収まる空間があった。早めに崩して土砂を投入し突き固めておかねば水域の崩壊にもつながりかねない空洞であるこの空洞の先、漏水の出口は活動当初から棚下の放水路脇にバケツ程度の穴があり降雨の度に土砂を排出していたのである。その元がこの日、我を呑み込まんとした陥没孔であるのは間違いないのだった。
幸いにも怪我には繋がらなかったものの、泥草塊を搔き集め引きずり出して集積するという一連の作業はことのほか膝に負担がかかるようで床に入って安静状態になると痛みには感じない軽い火照り感と言うか違和感を知る。「これはあかん!」と両ひざに湿布を貼るようになったけれど、湿布はともかく作業を減らさなくてはならないのは体に見えている。とは言え二者択一出来る程の関係性でも無いのが現実である。両立させ双方とも維持させる状態はありえない事も耄碌発展途上の身でさえ理解していてもすべて先送りで有耶無耶のまま成り行き任せかあ・・・が現実。
折に触れて記載していたがこの周辺の地盤は地下漏水トンネルが縦横に走っているようで、山の斜面にも軽自動車を投棄できるほどのすり鉢状の貫入穴が幾つもある。棚田耕作時代は農耕牛が落ちて、それ以降、農耕牛が田に入るのを嫌がった話は聞いているし、同じ貫入部なのだが小生も土嚢投入していた折りに縁が崩れて奔流と共に下半身を埋もれさせた危険な場面も体験している。危険は思わぬ場所に潜んでいるのがまたまた実体験となった。数日前は代表が急斜面の竹の除伐に入りスリップして転落し右顔面に大きな傷を負ってしまったし、泥田の中でも陸に上がっても危険は潜んでいるのが野生というものであろう。
あのクソ暑い頃、この現場を見れば更に熱くなる!。フイールドでは概ねそうなのだが威之志士様の跋扈蹂躙は作業と関わっている場所で多発する。広い山林原野「他にあるだろう!他でどうぞ」で済む訳も無いのだが人の手の入っていない場所は概ね静謐であって、作業をした跡を狙われる。特に夏場は刈り払ってある作業道そのものを掘り消される事になるので通行の邪魔になる前にこめかみに青筋が出る。
写真は二つ池の見回り路だが刈り払って通りやすくしてある部分を掘り返される。横の広い面積である草原には獣道だけしか見当たらない。理由は簡単で刈り払った場所は刈り草が腐食して虫たちが集まる事に理由があるのは推測出来るものの、現実には腹が立つ仕業であることは間違いないのだ。基本的に刈り草は場外搬出し集積するのがベターだけれど、猛暑下の少ない作業時間の中では始末が追い付かないのも事実である。まあ、とかなんとかグタグタと御託を並べつつボトボトと熱中症警戒アラート下の隙間を縫ってだらだら作業をせねばならん。学の有る所を披露すれば「エントロピーの増大を破綻に至る前に少しでも減らそうと行うのが環境保全である」。
それにしても血圧が上がる風景なのだが家で逼塞していても血圧もコレステロールも腹囲も上昇し生活醜閑病、間違いないし…エチゴサッテモウシタモウシタ・・・。
九月も終わりとなる。尾根突端部の秋草開花しているであろう園地に行ってみた。八月は地獄の猛暑続きで九月はこの日が初めての訪問だから二カ月間以上、足を運ばなかった事になり、それだけ手入れが遠のいたと言う事になった。
あーあ!、一見して草ぼうぼうの園地である。期待していたオミナエシやフジバカマの満開などどこにもなかった。本来の植生に席巻されるがまま、為すがまま、と言って良い。まあ、悔し紛れに言えばこれが本来の野生の姿なのであって自然な姿なのであるけれど、これでアサギマダラの飛来と鑑賞はまず望めなくなったと言って良い。ノアザミ、オミナエシ、フジバカマの吸蜜園を形成していたのだが今期の熱中症警戒アラート「危険」出っ放し、その間にゲリラ豪雨度々で数少なくなった作業日も自転車操業・水商売に向けねばならず、水を届ける必要のないフイールドには足を向ける余裕はないのは必然だったのだ。
もうすでに「遅かりし由良之助!」状態で花園には戻らないけれど威之志士様の跋扈蹂躙を防ぐためには草藪を見通し良くしておかないと根茎までも失ってしまうのは必定、一日を刈り払いに当てねばならない。まあ、とんだ手太楽ではあるがフジザクラとツバキの根元に定植したキジョランは威之志士様の抜根被害にあったものの元気が良くてそれだけが救いだ。