ホント紛らわしい。嬉しがらせて泣かせて消えた…歌謡曲の一節ではないけれど水域から法面へと厚く這い上がっていた夜這い草を抜去したら現れたのである。「何でこんなところにカンアオイが?」と一瞬は思ったのだが環境的に紛れ込むはずも無し育つ場所でも無いのだ。で、しげしげと白いゲジゲジ眉を寄せて観察の結果はドクダミだった。それにしても一見ではそう思いたくなる姿なのだ。人為的にも人工的にも手を加えた草本ではないから個体や環境要因に起因し易い要素もあるのだろうと考えてみたけれど深くは追及しないのが村社会の掟でもありそうする事がストレスなく生きていく事に繋がる。
その反映のひとつが「みんなで行えば怖くない!」の傾向なのだろう。多くの少年たちを被害者として増産したシステムも然りなのだが誰も叱りも糾弾もせず野放しほぼ公認、暴利をむさぼって現在に至る。思うに越後獅子とか舵子などのような奴隷的児童労働と同種だ。筋は異なるがスマホやPCに日々送り込まれてくる大手や知人を装った偽メールの席巻も社会の根源悪のひとつなのだろう。ニューヨーク市の取り組みだったか「壁の落書きは犯罪を増大させる」との視点で落書きを消す活動が効を奏したと言う報道の記憶があるのだが前述の嘘情報の氾濫は「嘘つきは泥棒の始まり」どころか「犯罪」そのもののトラップである。取り締まりも規制もせず大っぴらに容認しているとしか思えない背景は一体何なのだろう。巡り巡って袖の下の効果かい⁉。
まあ、考えるまでも無く行政府の中もあの名優にしてナイスガイの鶴田浩二が歌った「傷だらけの人生」の一節「右を向いても左を見てもばかと阿呆のからみあい」して民草を煙に巻いている日常ではそもそも民草の健康や生活を守ろうとするより自らの利権と糊塗に忙しいのだろうね、と妄想するしかないのだ姥捨て山の棄民には…。そんな事だからドクダミ様の様子は人畜無害、コスプレと捉えて一見落着す。