太田家の内部をもう少し
向こうの部屋とこちらの部屋の間に小さな庭があって、やぶ椿が点々と。
手水鉢
この雰囲気に惹かれて娘と二人で写真を撮りまくっていましたら、ボランティアガイドらしいおじさまに声をかけられました。
あれが何かわかりますか?
え? 亀? 瓶? どうも水を入れるものだとはわかりましたが・・・・
すると、おじさま、一般人が向こうへ行かないようにと立てられている衝立をひょいとよけてこっちへおいでと招いてくれます。 お言葉に甘えて、
よいしょ
廊下の板がギギ~、としなってひやりとしました。 体重減らさねば。
壺の下の方の出っ張ったところ、亀の頭のように見えたところを引っ張ると、勢いよく水が飛び出しました。 涼やかな水音です。 女性が厠に入るときこの栓を抜いて水を流しておくんだとか。 昔版「音姫」だったのです。 娘が
「ああ、おとひめか~。」とつぶやくと、おじさまは
「その言葉、ようしっとるね。」とほめてくれました。
どうも、みんなおひな様だけを見て回るのに、建物全体に興味を持っているらしいわたしたち母娘に大サービスしてくれたみたいです。 もちろん他の人は水を流したりしてはいけませんよ。
この家に住む女性たちはこんな奥ゆかしい習慣を持っていた、だからこそ京のお公家さん(長州征伐の際の三条実美らのことか) でも泊まることができたのだと解説してくれました。
実は、わたしは鞆の浦へ来るのは3回目です。 前回来たときは地元のガイドさんにいろいろ説明してもらったのですが、太田家の記憶がとんとありません。 もしかしたら、修復中で見られなかったのかも。 それで帰ってからネットでお勉強し直しました。(追記: よくよく考えたらやっぱりここへも来ていたような・・・・)
そうそう、きのう、押し入れの中のおひな様として紹介した写真、押し入れではなく、隠し階段のある廊下でした。
図面で見ると、蔵は東西南北の蔵と新倉と土蔵と、こんなにもたくさんあるんですよ。 東、南、北の蔵は一続きの建物のようです。 蔵でさえも趣のある魅力的な建物です。
18世紀後期に建てられたらしい蔵の内部。 酒を保存する瓶が並んでいます。 奥の方には天井から何かが下げられています。
近くで見ると、石の重りのようです。 が、何に使われたかがわかりません。
2階に上がってみると、この石の上には、大きな滑車がありました。 酒造りのためになにか大きな力が必要だったのでしょうか。
蔵の中には、朽ちかけた駕籠やら古い道具やらいろいろなタイプの石臼やら、おもしろい物がたくさんありました。 しかし、ここまで足を伸ばす人は少なく、ゆったりと見ることができました。
これで3つの見所は見終わりました。 あとはのんびり町でも歩いて、集合場所にもどるだけです。
地蔵院
これも高い場所にあります。 平地の少ない鞆の浦では、お寺や神社は山手の方にあるようです。
本堂に飾られたおひな様は、うちのとよく似ていました。
おみやげはもちろん保命酒です。
現代の保命酒やさんに展示されていた古い入れ物。 今でも備前焼などに入ったのが売られています。 が、わたしが買ったのはただの瓶詰めですよ。
鞆の浦は、坂本龍馬ゆかりの地でもあります。
海援隊を組織した龍馬は海上交易に取り組みますが、積み荷を積んだいろは丸が紀州の船に衝突され沈んでしまいます。 そのいろは丸が引き上げられ展示されているのがここです。
そして紀州との交渉のあいだ龍馬が滞在した家に飾られていたおひな様。 玄関だと思われますが、簡素な造りながら、古風なおひな様を飾るにふさわしい美しさ。 飾られているお花もすべて生花で、母は、町中どこにも造花がなかったと感心していました。
まだまだ見所はあるのですが、集合時刻が近づいてきました。 集合場所になっている鞆の浦観光情報センター前はテントの屋台も出てにぎわっていました。
もうこれだけでおしまいという清見タンゴールのジュース。 250円→200円。
目の前でぎゅっと絞ってくれます。 清見タンゴール1個半、添加物=氷だけの生ジュース。 おいしかったけどちょっとすっぱかった~。
ちょうど出発の朝、新聞でこんな記事を読みました。
「当たり前の景色 遺せ」
父親が愛媛県、現在の西条市河原津出身で、子どもの頃「鞆の祇園さん」の話を聞いて育ったという、岡山大学の準教授の方の一文でした。
昔河原津の漁師たちは、漁船を駆って鞆の祇園さん(沼名前神社)へお参りしていたというのです。 鞆の浦は「瀬戸の海に生き、交流を繰り広げてきた幾多の海人たちの営みを、この古い港はずっと見つめてきたのである。」
そして河原津の漁港も干拓される前は鞆の浦のような美しい漁港であったそうです。今は、使われることのない草ぼうぼうの干拓地の果てに漁港だけがあります。
「奈良や京都の有名な神社だけが、日本文化の語り手ではない。庶民が日々の暮らしを重ねることによって作り上げてきたごく当たり前の景色の中に、本当の日本文化があり、日本人の心が残っている。」 「」内の文は新聞記事より引用させていただきました。
しかし、こうした景色を保つことはむずかしくなった、と筆者は述べています。 たしかに、古いものは傍目には郷愁をかき立てる美しいものではありますが、そこに暮らし、維持していく人々はたいへんなエネルギーと忍耐とを必要とするのではないでしょうか。 観光客に溢れた町を歩きながらそう思いました。
振り返って、
柿畑の中にも遺すべきものはあるのではないだろうか、そんな目で自分の暮らす場所を見つめ直していきたい・・・・ わたしのブログもそうありたいなと、思っています。