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越中富山いろいろ紹介

高山植物の花から身近な野草の可憐な花を。また野山でであった野鳥を含め又北陸の祭りや観光スポットなど紹介。

歴史の道《小原道(越)》⑤

2025-01-09 13:38:57 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》⑤】

臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往古より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波郡鎮座の荊波神社であると伝えられている。

また、臼谷の岡村遺跡は、縄文中・後期(4000年~5000年前)の集落跡といわれ、また、字岡ノ城の河岸段丘の上には、奈良時代より中世にかけての集落の跡が残されている。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月2日編集 富山県にて 写真15枚

★臼谷八幡宮・・・臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往昔より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波郡鎮座の荊波神社であると伝えられている。

階段の横の二つの案内板があります。

臼谷の地は古来より 八幡宮をはじめ、小白 山、臼谷砦、小原道、小原越等々 史跡多く、 また、ぶな、うらじろかしの混生林、或いは、 年中清冽な清水を湧出し、人びとに愛用された 大清水、あしつき等あり由緒の地である。

臼谷八幡宮・旧号 荊波(うばら)神社・・・境内入口に「八幡宮」と刻まれた社号標。当社の正式名は「八幡宮」だが、社前の案内板では臼谷八幡宮とあった。

平成十七年(2005年)四月二十四日、不審火のため焼失してしまったが、平成十九(2007年)年九月に再建されました。

現在の臼谷の大杉・・・拝殿の右後ろ、本殿の右にありますが、平成十七年(2005年4月)の火災の後、枯れてしまったので根元で切り取られていました。

万葉歌碑・・・「荊波の里に宿借り春雨に こもりつつむと妹につげつや(万葉集巻の十八)」

平成十七年(2005年4月)の火災の直後の撮った写真・・・以前の臼谷の大杉・一部熱により赤茶色になっています。(2005.6.5撮影)

案内板の左側も火災の折、黒く焦げていました。(2005.6.5撮影)

★人母シモヤマ遺跡・・・渋江川沿いの人母集落の東北の大地上に立地する旧石器時代及び縄文時代早期・中期・晩期の複合遺跡です。人母から渋江川をはさむ小矢部市の一帯には、埴生上野遺跡・松尾談義所遺跡・杉谷内床の山遺跡など、多くの旧石器時代の遺跡が発見されています。

★旧神明社古墳の石碑(小矢部フロンティアパーク)入口横

★内山集落にあったかわいいお地蔵様

 

 

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