一休さん「どくろをかついで」Skull Bearer 福娘童話集Aminated.avi
ガイコツが担いだ駕籠を見よ
実は、この18日(土)に老人クラブの総会があって、その後懇親会がある。最年少会員としてデビューしなくちゃならなかったのだが、欠席の連絡をした。懇親会という名前の宴会である。ちょっと宴会は遠慮したいのである。ちょっとどころか、アルコールは永遠に呑みたくない。それにおかずをついつい喰ってしまう。
まるで餓鬼道である。
呑みたい、喰いたい、むさぼりたい。
これじゃぁ、アカン。もともと無かったが、知性のかけらも無いからだ。知性で「呑みたい、喰いたい、むさぼりたい」という欲望を上手にコントロールすることの方が重要である。実にそう思う。
とくに最後の「むさぼりたい」というのが、一番いけない。こいつは、まさに自己コントロールしなければ、餓鬼道どころかワンコにも劣る。犬畜生にも劣るとはいうが、そのワンコにも呆れられるほど、欲望をコントロールできないのでは、もう人間を捨てているようなものだ。
「むさぼりたい」というのは、しかし、ある意味生きる源泉にもなり得るものかも知れない。
どんどんエラクなって出世をむさぼりたい、カネに執着して金持ちという境涯をむさぼりたい、イケメンになって大いにモテルことをむさぼりたい、高級車を所有することの喜びをむさぼりたい等々でもむさぼりたいということは該当する。
つまり、執着ということである。
執着するってぇことが、人生を誤る元になる。ある意味滑稽でもある。落語でもこういうのが多いではないか。執着するからいろいろ失敗する。
だから落語を聞いている私のような庶民は、執着している武士(高級官僚)や、とんちんかんな知ったかぶりの長屋の隠居をせせら笑ってきたのである。落語はそういうストレスの解消に実にいい。執着している他者をみて、我がふりを直すことができるからである。訂正である。間違った道に踏み込んだとわかったら、即訂正することである。後退と言ってもいい。迷子にならないコツである。迷子になったら、(その前にならない方が一番いいが)最初に立ち返ることである。
原点といってもいい。
そこで原点というのは何かということを書いてみたい。
私にとっての原点とは、「身体」である。最近になってそう思った。その前までは、それこそ知ったかぶりで唯心論的な、こころのあり方を一番重要だとしていた。
ちょっとだけ武道をかじったからである。
柔道四段をもう32年間やっている素人の柔道マンであったからである。いかに強くなりたいかということがテーマであったからである。技の鍛錬と、さらにこころのあり方、つまり気持ちをいかに強く持つかということでもって、ナント、私は禅にまで興味を持ってしまったのだ。禅をして、無の境地になって・・・とマジに考えていたのである。
笑ってしまう。
なんといううぬぼれであったのだろうということである。剣の流派にもある。最後は技ではない、こころのあり方であるというのが。流派の名前を挙げることはしない。知っているけど。
技を鍛錬するのではなく、最後は無の境地だというのである。技も最後は、上から下に振り下ろすだけというのが最高の境地だとしているのだ。これに実は憧れた。
禅の影響を受けた流派でもあるからだ。
でも、よく考えたら、技を否定した柔道はあり得ない。単調な動きでは技にならない。ましてやこころのあり方であるというのは、理屈としてはわかるが、戦いとしてはいかがなものか。
あまりにも心的な武道というものは、哲学ならばわかるが、方法論としてはちょっとまずい。
勝負にならない。
執着という勝負に関してはである。
むしろ、身体的な動きや、円滑に身体をいかに動かすかということの方が現実的である。あまりにも理想を求めると、それこそとらわれてしまう。どうもその辺りが、よく理解できなかったことである。
一休和尚は、そのことを皮肉っぽく語ってくださっている。
こころが無になるなんてできねぇだろう?って。(私だけの理解である)
わははははっははである。
一休和尚は実にシニカルである。現代人みたいだ。ありもしない夢をみて、世間をさ迷い歩いている私のようなバカを、上手に導いてくれる。現代のインテリと一緒である。学者センセのようなものだ。
もっとも最近は、執着のあまり、いろいろ問題を起こしている学者センセとか、センセ稼業の方々も多い。昨日もニュースで世間を騒がしていたセンセがたくさんいた。某政党を除名された女性政治家もそう。買春をしたセンセ。ねつ造論文を書いたうら若きセンセもそう。
しかし、オレにはそんなの関係ねぇって高見の見物をしている方にも執着はある。断ち切れないからである。例えば出世にしてもそう。出世できなかったからといって、出世した奴を居酒屋で罵倒しているのも執着である。本音は、オレも出世したかったのであるからだ。
そういう意味では、こころのあり方というのは大事なのかもしれない。
それでも、私は身体の方を大事だとする。
なぜか。
健康が一番基本にあるということを知ったからである。今更である。今更。こんなことすら知らなかったのかと言われてもいい。本当にそう思うからである。
一休和尚の書いたものにこんなのがある。
駕籠に乗った人間のことを描いているのであるが、なんとその駕籠はガイコツが担いでいるのである。
そして駕籠の旅は、最後に焼却される運命にある。
いかにも一休和尚らしい。
身体が大事だといっても、最後はみんなこうなる。焼かれておしまい。みんな同じ運命でござんすよん。
わはははははっはである。
さ、今日もあっち行ったり、こっちに来たりとクルマで移動をする。バイト三昧の一日になる。某大学で授業、夜は塾である。楽しいから、実にやりがいがある。それだけである。どうせ最後は焼かれてしまうだけであるが。私の場合。
じゃぁ、これにて。
(^_^)ノ””””
リタイアしたから、なにかをやりたいと言っても、事前準備なしにはなにも出来ない
朝から寒いですなぁ~。
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