「人間は誰でも骸骨からできている」
久しぶりに晴れた。朝からである。
毎日家にいるだけであるから、関係ないといえば関係ない。たまにバイトに行くだけである。後は、毎日読書をしているだけだ。そしてゴミ論文をあいも変わらず書いている。母校(学部時代)の歴史学会にも入会したし、これでまた楽しみが増える。
それに、9日に老人大学の入学式があったが、そちらは非常勤講師をしている某大学のバイトで行けなかった。老人大学の事務局に電話したら、入学式の資料は郵送をしてくれるそうだ。ありがたい。
ま、爺になればいろいろあらぁな。
晴れたから、午前中から歩いてくる。午後は、市営のGymに行く。間で、塾の教材研究をやる。でないとバイトが辛くなる。教える以上、こっちもやらんと教えられない。数学と英語ができないからだ。
趣味でやっているというと塾の経営者や大学理事長に叱られてしまうが、事実である。楽しいからやっている。だから、可能な限りバイトはやらせていただくつもりである。健康不安や、もう経営効率的に不要であると言われない限りは。
さらに、先日大学生にも申し上げたが、私は一応「ふれあいの手法」に関しては、プロである。長年、教育現場でやってきたことはそれだ。受験テクニックではない。そんなもん、教えたって結局自分で学ぶしかない。それよりも「ふれあい」が大切である。問題を抱えた生徒にいかに対応するかということでは、若い時から実践をやってきた。そういうことを若い大学生たちに教えていきたい。そう思っている。教師としての基礎基本である。ま、現役時代のことはこれくらいにしたい。守秘義務があるからである。
昨日書いていた一休のことを、今朝からまたやっている。
資料も5冊用意してやっている。さらに居住地の大図書館から借りてきて、またやる。Amazonからも、昨日の夜来た。一休さん関連の古書である。借りた本に、なんと書き込みがたくさんあって、嫌になったからである。そんなことをやっちゃいけない。書き込みを見るとけっこうまともなことが書いてあった。もしかしたら、常識のない研究家であったのかもしれない。
こうなると私は本に触る気もしなくなる。
本は清純であって欲しい。いかな借りた本でも、書き込みがあったらもうダメである。いじられた証拠があるのでは、気持ちが悪くなる。いじられた証拠が無いほうがいい。他人のことまで配慮しながら、読書をするのは耐えられない。
他人の評価を気にしながらゴミ論文を書いているようなものだ。
だから、書き込みの甚だしい図書館のホンと同じもんをAmazonから買ったのである。こっちは書き込みはまったく無かった。だから、昨日の夜は楽しく読んでいた。自分の本だから、堂々と今度は自分の書き込みをすることができる。そうなのだ。私は、古書店に売ることを前提にしていないからである。
特に柳田聖山先生の本がいい。ウキペディアより以下に引用してみる。
>柳田 聖山(やなぎだ せいざん、旧姓:横井(よこい)、1922年12月19日 - 2006年11月8日)は日本の中国禅宗史研究の第一人者。義父は柳田謙十郎。西田幾太郎門下出身の哲学者、妻は茶道家の柳田宗葩。1922年に滋賀県愛知郡稲枝村(現在の彦根市)の延寿寺(臨済宗)に生まれる。臨済学院専門学校(現在の花園大学)、大谷大学、京都大学に学び、久松真一に師事してFAS禅運動に共鳴。中国禅宗史研究に於いて批判的資料研究を進め、資料が史実ではなく、その時代の要請によって製作されたことを見抜いた。また、博覧強記なことで知られ、不勉強な後輩を一言の下に教化し、大正大学教授を務めた天台教学の関口眞大と共に「東の関口、西の柳田」と称された。
>略歴
1922年 滋賀県稲枝村(彦根市)にて誕生
1940年 滋賀県立彦根中学校を卒業
1942年 臨済学院専門学校(現在の花園大学)を卒業、永源寺僧堂で修行
1948年 大谷大学を卒業、京都大学文学部聴講生となる
1949年 花園大学仏教学部の助手に就任
1950年 講師に昇格
1954年 助教授に昇格、柳田姓に改姓
1960年 教授に昇格
1968年 文学部長に昇格
1976年 京都大学人文科学研究所教授に就任
1985年 人文科学研究所所長に就任
1986年 所長を定年退官、京都大学名誉教授、中部大学教授に就任
1988年 花園大学文学部教授、国際禅学研究所所長に就任
1989年 蔵書14,000冊を花園大学禅学研究所へ寄贈、柳田文庫となる
1990年 峨眉山に良寛詩碑を建立
1992年 市民団体である環境市民の共同代表となる
1993年 自宅を禅学研究所へ寄贈、柴門館となる
1996年 所長を退任、没時まで終身研究所員
花園大学、京都大学、中部大学の教員を歴任し、1991年には紫綬褒章、1996年には勲三等瑞宝章を受章した。
すばらしい先生である。
本を買っているとこういう優れた先生との出会いがある。だから止められないのである。
感謝である。
すべてのことに。
病気ですらそうだ。
病気に感謝しても始まらないが、病気になって初めてわかることが多々ある。ゴミ論文を書いていて、自己満足をしていたバカな自分に初めて気がついたというのもそうである。
病気にならなかったら、こういうことに気がつかなかった。まさに、古女房ドノの言うとおりであった。なんのために大学院まで行ったのであろうか。退学した今になっては、もうテオクレである。
でも、死ななくて良かったよん。
死んだら、こんな垂れ流しのブログ文なんか書いている暇も無かった。
もっとも、このブログはオレのために書いている気もしているから、ま、いいか。
健康になって、それこそ一病息災で生きていくことである。
死ぬまでは生きているのだから。
誰でも。
さらに、「人間は誰でも骸骨からできている」ってぇことも、初めてしみじみ知ったしねぇ。
一休さん効果でございまするよ。
どんなに外見を飾ってみても、みんな中身はおんなじドクロだしねぇ~。
わははははっははははは。
じゃぁ~、これにして今朝は失礼しますぅ・・・。
(^_^)ノ””””