「広く、浅く、ふざけながら」
昨日もいい一日であった。今日もまたいい一日でありたいものである。
昨日は一日中自由であったからだ。市営のGymも休館であったから、自由気ままであったのである。ノルマもなにもない。趣味である。趣味で生きているようなものだから、のんびりとした時間が過ぎ去っていく。
定年後の世界は自由気まま。
ノルマも業績評価もない。ひまつぶしのつもりで趣味の勉強をしているだけである。
過去のことは語らないようにしている。現役時代のことである。しかし、過去を全面的に否定しているのではない。自分の過去の実績や業績、あるいは苦労を語っても、なんの意味もない。ましてや、過去の人脈と称するものにしがみついて、退職ナントカの会といったようなものにも私は参加しない。それでも、過去を全面否定したことはない。それはそれである。あるいは、この3月までお世話になった大学院も全面否定はしない。それはそれ、これはこれであるからだ。
なにもしないでぼーっとしているのも、本人の選択が働いているかぎりそれもまた勉強であると思っている。なにも退職したからと言って、趣味性の強いもの、釣りだとか、読書だとか、通信教育で大学に通うということを義務的に始めなくてもいいのであるというのが基本にある。
趣味性の高いものは、嗜好品と同じで身体に良くない。カラオケもそう。上手下手が当然出てくる。カネもねぇのに、お化けみたいなミニスカオネーチャンの店でふんだくられて財布が空になっても、オラ、知らねぇぜ!である。周囲から、「じーちゃん、気をつけなさいよ」って言われても懲りない爺もいる。
そんなに徹底的にやらなきゃいいのである。
定年後は「広く、浅く、ふざけながら」やっていればいいのである。それがある意味鉄則である。そこのところを勘違いすると、私のようになる。勘違いはいけない。なにを今更であったからである。先月まで大学院に通学していたが、博士になってみたいなんて、冗談もほどほどにしておいた方が良かった。マジに、健康を害してしまった。肺塞栓症という病気が、早期に発見されたからかえって良かったのかもしれない。それでもって、再度、趣味性の高い生涯学習にシフトしたからである。
つまり、「広く、浅く、ふざけながら」やる程度に、フィードバックしたからである。
挫折もまたいいもんである。
若い時から、挫折ばかりしてきたから、慣れっこであるけど。生き方の見直しにもいい。あるいは、書庫に溜まったゴミを処分するのにもなかなか良かった。今回も。大学院時代のゴミである。ただし、資料等はきちんとファイリングしてある。見事なくらいに。処分したのは雑書である。相変わらずである。
若い時からやっていた勉強法もずいぶん変化した。
カード方式から、ただのノート派に変わった。その代わり、ずいぶんノートはたまってきた。それなりにである。
それも趣味である。趣味だからできる。「広く、浅く、ふざけながら」やっているから、なんの気負いもない。
もう「死ぬまでのひまつぶし」である。
だからなんにも焦る必要はない。
本当にそう思っている。
こういう爺がいると許せないという方も多い。そういうのは現役時代の悪しき習慣でしか見ないからである。成果主義とか、なんとかとかと言って、定年退職してからもせっせと働くことを押しつけてくる。
まだまだ頑張れるではないか、もっと奉職せよ、組織に貢献せよと言ってくる。もう結構である。御免蒙る。
働くの反対語は、「休む」ではなく「遊ぶ」なんである。そこのところを勘違いしてはならない。
生涯学習というのは「晩学」の勧めでもある。まだ若い方でも生涯学習をしておられる方々も私の周囲には多いから、晩学というと勘違いするなと叱られそうだ。しかし、生涯学習はその本質に晩学がある。遊ぶということが本質であるからである。
伊能忠敬がそうではないか。かなり尊敬しているのだが。私は。
楽しむというとすぐ趣味と結びつけて考える人も多い。しかし、なにも高尚な趣味は要らない。費用のかかりすぎるのも良く無い。生活費を圧迫したら余計よくない。
暇をもてあましてはならないと言うような脅迫観念に陥ることはないのである。それは現役時代の論理である。暇人であっても良いではないか。趣味がなくてもいいのである。無趣味という趣味を持っていてもいい。おおいに結構。
現役時代は、自分が暇だと周囲に悟られると、罪悪だと感じたのだろう。能力が無いから、暇だと思われるのは、プライドが許さないからである。つまらないプライドである。そんなのは。上司の受けも悪くなる。出世に響くというわけであろう。
ご苦労様でございます(^_^)。
だから、もうそんなの関係ねぇ~って世界になったのだから、気にしなくておおいに結構なんである。それでも、高齢者に暇なんだから働け働けというのは、ほとんど病気である。まちがいない。病気になった私が言うのだから間違いない。
そこまで高齢者たちを追いこんではならない。
いつか君たちも来る道である。
高齢者になるのである。誰でもである。知らないだろうけど(^_^)。
あれか?
知っていても知らないふりをしているだけなのだろうかね。
わかんねぇけど。
さ、けふは、老人大学に行く。
ながら学習である。講師の話を聞いているフリをしながら、実は古文書読解作業をやる。あと、Kindleでもって、読書タイムである。内職は昔から得意だったからである。名人芸と言ってもいい。カルチャーセンターレベルの講座だし、試験もなんにもない。単位もない。行って聞けばいいだけである。半分居眠りしていようがなんにも関係が無い。
だから、お昼休みには、ちょっとwalkingもしてくる。でないと、また病気になる。午前中2時間、午後2時間の講座では身体に悪い。動かないからである。
よって、ジャージを着ていく。
あるいは持っていく。
運動靴もである。
正式な大学ではないからである。
老人クラブと一緒である。
隣の人と授業中だべっていたら叱られるかもしれないが。それもいろいろとやってみたい。
基本的におしゃべりだからである。
余計なことは言わないつもりだ。
むろん、退職前のことなんか。
病気したから、全部忘れてしまった。
もしかしたら、生年月日もである。
否。
忘れてしまったことにしようっと。
病気したので、全部忘れたのだということに。
都合のいいもんである。
ま、ふざけ半分だから。どうしようもないけど。
じゃぁ~ね~。
(^_^)ノ””””