ことしも、バイト三昧の日々を過ごしていく・・・・忍土の中を、試練と闘いながら
年賀状をいただいて、返事を書いて、午前中は過ごした。
そして、それを郵便局に出しに徒歩で行った。往復40分くらいかけて。わざわざ遠回りして。
新年早々、もの好きなジジイである。健康のためであるから致し方なし。孫たちは、僕らも連れて行ってくれぇ~と言っていたが、所詮無理。
私一人で行った。
商店街も閑散としている。スーパーもやっているところがあるから、正月と言っても私の子ども時代とは様変わりである。従業員はたまったものではないだろう。特に管理職はもっと大変であろう。店が終わっても金銭管理があるだろうから。
年賀状では、高校以来の友人から来たのがあって、あと一年勤務しなくてはならないと書いてあった。山形のテレビ放送局の管理職なんかやっているらしい。タノシミだと書いてあった。
私の年賀状は、海外への旅が写真でついているから、ちょっと気が引けた。こんなんでいいのかね?と思ったからである。
まだまだ定年になっていない輩から、ひんしゅくを買いそうだったからである。でももういいか。どうせひんしゅくばかりの人生だったからなぁ。
なにしろこっちには、しがらみというもんがまったくない。
前の仕事について聞かれても、「忘れた」の一点張りである。忘れたのだから、説明もしない。今、何をやっているしか友人たちには報告しない。
年賀状も2種類作っている。
いわゆる親しい友人への年賀状と、ちょっと改まった年賀状の二つである。
親しい人への年賀状は、実に愉快である。写真で私が万歳をしているからである。ナイアガラの滝の前で。あるいは台湾の少数民族観劇の舞台の前で。
こういうのをずっと続けるつもりである。
元気ならばである。
元気で、健康で、明るく旅から旅へと今年も連続していきたいものである。
なぜか。
それは、この世が「忍土」であるからだ。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、家康の言ったように(諸説あるが)、重荷を背負うて生きていくしかないのである。まさに、「試練」の連続が人生である。
そして、「試練」とは闘うしかない。「試練」とは、我が人生を阻害するものである(例えば病気)。あるいは、私を試しているのである。だったら、闘うしかないのである。のんべんだらりと過ごしているわけではないのだ。私だって。マジに。
ことしも、バイト三昧の日々を過ごしていく。
幸い、雇用されるようだからだ。
ありがたいもんである。
感謝のみある。
(;_;)/~~~