「じいじ~、おたんじょうび、お・め・で・と・う」と孫が言うのでうれしがっていたのだが
また年をとった。昨日。
またまた、冥途への旅が近づいた。
またまたまた、オイラの人生の時間的なほころびが目立ち始めた。
正確な年齢は言わない。書かない。60数年たったらしいけど。それに小僧っ子であるからだ。あるいは、生まれた時が記憶にないからである。オフクロに聞いただけである。それと戸籍にそう書いてあるだけだ。
生まれた時を知らないのであるから、死ぬ時も知らない。いつ死ぬのかということをである。ま、生きている者は、100%死ななくちゃならないから、そういうもんだろう。死ぬ時がわからないから、生きてられるのかも知れない。
誕生日なんて、冥途の旅の一里塚である。時間がたったということであって、それだけである。
およそ、祝いの対象になるもんではないだろう。
しかしである。
孫から「じいじ~、おたんじょうび、お・め・で・と・う」と電話でたどたどしく言われたときは、さすがの変人ジジイでもうれしくなっちまった。
なんでか。
それは、孫から言われたからである。
孫に入れ知恵した我が長女の影がチラチラしていたが、ここは素直に孫から言われたから喜んだのである。
いいじゃないか。
孫というのは、それほどめろめろになるもんである。
一度持ってみればいい。孫を。持ってから私のようなジジイを笑うことである。マジに。
孫ができると人生観が変わる。確実に変わる。それはオノレの遺伝子が伝わるなんていうような理科系の得意分野での話題ではない。
感情なのである。
バカみたいなもんであるが、それが素直な気持ちなのである。
今年は、長男の嫁さんから祝いを受けることになった。今日の夜、招待されたから長男のアパートに行く。これもまた嬉しいもんである。
家族を持つということは、このような喜びがあるということなのである。
やはり基本的なものが、家族という単位なのである。
自滅型の文学者にはとうてい書けない分野である。そして、そういうささやかな喜びというものを決してバカにしないことを、私は基本的な認識として持っているのだ。
破滅とか、自滅とか、虚無とか、そういうものをかっこつけて書いたり、言ったりするのは容易い。
薬物中毒とか、アルコールとか、不倫とか、破壊とか、自滅とか・・・・そういう生き方を好んでやっているのもいるが、いかがなものかと思う。
思うから、私は実に健康的な生活を送っている。つまり、何のおもしろみもないジジイである。酒も呑まねぇし、当然洟垂らしのおバカなミニスカオネーチャンのいるような基地外スナックやキャバレー・パブにも行かない。カラオケもやらない。やり方を忘れてしまったよん(ウソだけど)。
堅物過ぎるのである。行動が。
挫折ばっかりしてきたしねぇ~。
臆病だったし。
慎重に生きてきたし。
(ホントか?)
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それで思ったことがある。
亡母の亡くなった年を超えたいということである。亡母に恩返しをしたいと思っている。それしかできないからである。
オロカな息子であったから。
今でもそうか。
オロカであるということに関しては。
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今日も雨である。
さ、これからショッピングセンターにでも行って、walkingをやってこようっと。
Bye-bye