今日から、図書館も、gymも、ゴミ出しも始まる。一緒に、と~ま君も捨ててしまえって?・・・・・・トホホ
妙なプライドが諸悪の根源である。
プライドがあるっていうと、金持ちとか真のエリートが持っていると勘違いしがちである。しかしそうではない。私の見ている範囲では。老人大学にもいるからである。金持ちが。社長とか、そのご婦人が。それも、そろいにそろってくだらない妙なプライドなんかない。金持ちらしいし、エリートらしい行動ぶりである。そういう方々と交流ができるから楽しいのである。マジである。マジ。
たとえばショッピングにしてもそうである。
金持ちは、「高いからまけてくれ」と言えるのである。これは笑ってしまうくらいである。つまり金の使い方がうまいのである。たいしたもんである。
あまりにも経済優先だと、いかがなものかとは思うから、賞賛ばかりしているわけにはいかない。
しかしである。
妙なというか、へんてこりんなプライドを持っている人は、高いとも言えないし、そもそも金に妙なコンプレックスを持っている。さらに勉強もしない。学歴コンプレックスと一緒で、勉強していないのに、他人の学歴ばかり気になって自分では勉強しない。
結局、「迷って」いるのである。
変なプライドがあるから、迷いの世界にまっしぐらに落ち込んでいる。
生涯学習的には、妙な・変なプライドを捨てることである。
できなくてもいいではないか。
やることに意味があるんであって、英語も中国語もできなければできなくてもいい。要はやることに意味があるんであって、やり続けることが最も大事である。継続である。少なくとも、一年間はおなじことをやってみることであると、私は思っている。
だから成果主義ではないと思っているのだ。
あくまで、やりたいからやっているだけである。
それに、長年一つのことを勉強してきた方というのは、自分で自分のことを「これまで、プロとして50年間勉強してきた」とか「私はこれと、このことについては素人ではない」というようなことは絶対に言わない。
むしろ、素人だと言われる方々が多い。
謙虚なんである。
結局。
結局30年やってきたって、「いやぁ~、ど素人ですよん」とか「三ヶ月くらいしかやっていないんで」とか言うのが、本当のプロである。だから信用しちゃいけないんだよと自戒している。プロは、修行年月なんか絶対に言わないからである。信じちゃいけない。プロはしたたかである。オノレの修行に自信があるから、嘘をつく。それを簡単に信用して、へ、そんなもんでできるのかと思っちゃいけない。
血のにじむような修行があるのだ。
それは隠されているのだ。
逆から言えば、下手なプライドがある人ほど、捨てられないのである。捨てられないから、さ迷うことになる。
捨てるプライドなんか山ほどあってもいいのである。捨てて、捨てて、捨てまくっていくことである。
捨てた後に何が残るか。
そっちの方が大事なような気がするのだ。
ともかく実践である。
今日から、県立図書館が始まる。バイト先の大学にシラバスを提出しなくてはならないから、図書館で打鍵してくる。シラバスの書式が全面改定されたからである。
それと、学事出版からの原稿依頼があるから、そっちも書く。
午後からは、gymに行く。
市営のgymである。こっちも今日からスタートである。
ありがたいもんである。
あ、その前に、ゴミも今日から回収が始まる。だから、ゴミを出してこなくちゃ。孫が来ていて、家中ゴミだらけであるから。いっぱい、たまっているのだ。ゴミ袋が。ゴミで満載されているから。
?
と~ま君も一緒に捨ててしまえって?
それだけはご勘弁を。
わははっははっははっははっはははは。
Bye-bye