東北カブツーリング2014 第2話
スーパーカブで行く原付の旅四国1200キロ最終章大歩危&高野山
原付バイクあたりで、また旅に出たいなぁ~~~~
旅が好きだ。
しかも、歩く旅がいい。新幹線とか、自動車に乗ってあっというまに行き着く旅は、昔から苦手であった。
あったというのは、ずいぶん便利なものが出てきて地図も要らなくなったからである。つまりナビのことである。
あれは要らない。
でも、同行者がいれば使ってしまう。時間が短縮できるからである。
私は嫌な気分になる。
なんでそんなに急ぐ必要があろうかと思うからである。
50歳くらいまで、オートバイをこよなく愛した。大型にも乗ってみた。
目的はツーリングである。
時間短縮のために乗っていたのではない。あくまで趣味。そしてあちこちと放浪しながら、民宿に泊まって、宿の亭主に昔話を聞いていた。たまに、ノートにも取っていた。それがなにより楽しみであったからである。
さらに、温泉がついていれば、こよなく幸せであった。
食事なんかなんでもよかった。なんでも喰った。なんでも見てみた。
そういう貪欲さが私もあったのである。
東北地方の村々をバイクでふらふら歩いているのが良かった。
妙な男が、ボロボロの格好をして古ぼけたバイクに乗っているというだけで、田んぼのあぜ道で話し込んだ人もいたっけ。
だから東北地方の田舎道に行くと今でも胸がときめく。
これは自家用車であってはダメである。
できれば、バイクも原付がいい。せめて110cc程度。郵便配達のバイクみたなものが最高である。むろんナビも不要である。地図帳片手に、どこまでも行くのである。
しかしである。
健康を損ねてからは、できなくなった。
寒くてしょうがない。
いくら厚着をしても、体温が奪われていく。
情けない状態になってしまったものである。夜も、冷え性になってしまったし、足先が冷たくてたまらんのである。
一番の趣味が奪われてしまったのだ。
田舎道で、たまに神社・仏閣を見ると、バイクならば駐車場の心配も一切ない。好きな場所に止めて、好きなように見学できる。
それなりの格好をしているから、貧乏人のツーリストだとわかるらしい。いろんな人と話をしてきた。
バイクは単なる移動手段ではないからである。
それに、行き着いたところで、村人達と会話をするのにもコツがある。
それは、村人たちと同じ目線で話をすることである。間違っても、以前私は******の仕事をしていたとか、言ってはならない。
そんなもん、まったく無関係であるからだ。
今の老人大学での交友関係と似ている。前歴なんか何の関係があろうか。
そんなくだらないことをしゃべっているよりも、昔のこと、村のこと、住んでいる人のこと、地元の神社や寺のことを聞いていた方がずっといい。だいいち気楽ではないか。
バイクだからスーツも着なくていい。
手袋も軍手である。
ゴム長靴を履いていったこともある。
ズボンは作業ズボンで十分である。
つまり金持ちのぜーたくライダーとはおおいに違っているのである。
しかし、もうそういう放浪の旅もだんだんできなくなってしまった。
体力がモタナイからである。
油断大敵であった。酒ばかり呑んで、動かないでいたらこうなってしまった。
計画を変更したが。
寂しいかぎりである。
わはははっははっははっはははは(笑っている場合か・・・トホホ)
今日は、午前中古文書講座に行く。むろん教えてもらいにいく。生徒だからである。だいぶ読めるようになってきたし、学習法が確立してきたからでもある。
専門のホンばかり読んでいると、基地外になっちまう。
あまり専門のホンも所有していないし、専門と言ってもなにが専門で、どれが専門以外であるかとなるとだいぶ怪しいから、そんなことは言わない。
そんなことよりも、楽しく読書していればいいのである。
木村治美センセの「自分をつくる生涯学習」という著書にも書いてあるが、生涯学習はなにも範囲を限定して考える必要はないのであって、気負うとろくなことはない。
あらゆる機会が生涯学習であって、なにも通信教育で大学に入って勉強することだけが生涯学習ではないからである。
カルチャーセンターでもいいではないか。
気負ったらアカン。
そういう意味で、専門書を読み、メモやノートをとっているとあまりにも目的化しすぎてしまっていけない。
さらにそのメモでもって、論文を書いてみたいとなると病気になってしまう。
論文にすると、必ず批判されるからである。褒める人なんでありゃしない。体験上。
しかも、こっちは素人である。素人だから、書いた論文にアラが見える。自分でも見えるんだから、話にならない。
でも、それでもチャレンジすることが大事だ。
論文にしてみてはじめてわかることがあるからである。
それは、知の体系というものがわかるようになるからである。くだらない私の論文でも、鬼来迎なんていう房総の一部地域でしか演じられていない民俗芸能であってもそうなのである。膨大な知の体系が組み込まれていることが、やればやるほどわかるようになってくる。
これが唯一の収穫であったのだ。
それで自己満足しているのだが、それでもよかったと思っている。
こんな程度の素人だ。
おもしろおかしくやっているだけである。
それが楽しみなんだから、それでいいのだ。
社会に害悪を垂れ流しているわけではあるまいし。
だから、楽しみで読書しているのも、これで良いのである。楽しいからである。
ジジイから楽しみを奪っちゃならない。
孫と遊んでいるのと一緒である。
今日は、午前中古文書講座に行く。むろん教えてもらいにいく。生徒だからである。だいぶ読めるようになってきたし、学習法が確立してきたからでもある。
崩し字を家にある複合機でコピーして、それをノートに貼り付けて、辞書を片手に読解していくのである。ノートだから、傍線方式で赤ペンでドンドン書き込んでいく。
古典文法も思い出したりして、実に楽しい。高等学校の古典の授業は実に厳しいものであったから、そのおかげで今がある。進学校に学んだということを感謝しているのだ。だから塾でも、古典ができる。まことにありがたいことである。
ありがたくて、ありがたくてナミダが出て参りますよん。
(^_^)ノ””””
今日から、図書館も、gymも、ゴミ出しも始まる。一緒に、と~ま君も捨ててしまえって?・・・・・・トホホ
妙なプライドが諸悪の根源である。
プライドがあるっていうと... goo.gl/XqhBcw
濡れ落ち葉族→枯れ葉族・ワシも族→オレオレ族だねぇ・・・・アタシャ。
図書館にいる。
あれこれとやっていた。バイトとはいえども、責任はあるから、真剣にやっていた。... goo.gl/xNL4J8
がん闘病を諦め自宅売却、大橋巨泉の終活を事務所社長が証言 #ldnews news.livedoor.com/article/detail…
【熊本・アトゼキ】出入りのために開けたドアをちゃんと閉めること。後を堰く(塞ぐ)が語源と考えられる。熊本限定の言い方でドアをきちんと閉めないと「あとぜき!」と声をかけられる。公共機関の張り紙でも「解放厳禁・あとぜき」などと書かれる。 pic.twitter.com/KhPg0Cu6np
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モーツァルトはデーモン以外のなにものでもないでしょう。ゲーテが、人間と神をからかうために生まれた、こよなく美しい、デーモン以外にはつくれない音楽だ、と。仏教もそうだものね、神をからかうために……。~『ブッダの方舟』
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【福井・じじぐれ祭り】<5月5日>約900年の伝統を持つ住吉神社の祭り。ブナやシデを使い、中央に菖蒲、コブシ、ヤマブキの花束を差し込んでご神体とした柴みこしを造り、練り歩く。担ぎおわると神輿は解体され、御神体の争奪が行われる。 pic.twitter.com/9UFTJIfUTd
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ナーガルジュナなんかほとんど全部くり返しでしょう。あれ読んでると、なんかフィリップ・グラスの音楽みたいな感じがしてきちゃう。~『ブッダの方舟』
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ナーガルジュナなんかほとんど全部くり返しでしょう。あれ読んでると、なんかフィリップ・グラスの音楽みたいな感じがしてきちゃう。~『ブッダの方舟』
ぼくが修士課程に入って得たものは、「専門家の知見は素人には到底及ばない量の思考と考察に担保されていること」と、「過去の専門家達によって作られてきた体系というものは、素人の洞察力ではとても認識しきれない規模の整合性を内部に保っていること」の2つを知ったこと、に集約されると思っている
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文庫本三冊全部持っていると思っていたら、無かった。もう惚けがきているんかいのぉ~
桃尻語訳「枕草子」をさっきAmazonに注文した。
河出文庫になっているもんだが... goo.gl/uqZSKW