と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

わくわく、ワクワク、wakuwaku!

2016年01月28日 18時10分27秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

わくわくしないと、なにをやっても面白くないのだ

 

 

わくわくすることがないと、なにかの専門分野に興味関心を持っていきながらあちこち資料を読みこなすこと、すくなくとも研究の維持発展はできないのだろうなぁと思う。学会誌には、そういうわくわく感があふれている。楽しいものである。書いている若手研究者が楽しんで書いているのがあきらかにわかるからだ。しかも、若い研究者がいくらでも出てくるから、そういうような学会誌を見ていると読んでいるこっちも楽しい。

だから無理をして、楽しくもないものを読んだり、見たりしないほうがいい。

たとえば、能である。千駄ヶ谷の国立能楽堂でつまんなそうにしている人もたまにいるが、寝ている人もいる。能楽には、精霊のパワーもあるから、寝たいときは寝てもいいと基本的に私は感じているのだが。

一番つまらないのが、能楽の解説書を見ながら席に着いている輩であろう。

解説書を見ていて、舞台を見ない。そりゃなんで?と思う。あらすじがないと理解できないというのなら、あらかじめ読んでくるべきである。

しかし、知識優先というのは能楽にふさわしいのであろうか。単純に楽しめばいいだけで、なにも格好をつけて知ったかぶりをしない方がいいとも思うのだが。

さらにその知識を周囲にまき散らさない方がいい。

迷惑なだけである。

私の好きな鬼舞でもそうだ。

知識優先で見ていると、面白くもなんともない。わくわくするようなものがないと、見る気もしない。

それでいいのである。それで。

で、考えたのが、去年の年末までに投稿しようとしたゴミ論文である。結論から言って、投稿を断念したのである。なぜか。わくわくするものがないのである。

書いてみたかったことは明確であったが、自分がわくわくしない。これは困った。いちおう15000字にはなったが、つまらないのだ。結局断念した。

面白くないからだ。書いていて。つまりオクラ入り。永久に浮上しない沈没船である。

人と会っていてもそうだ。

会って、あ、こいつはわくわくするだけの器を持っているな、話をしたらどれだけでかい話をするだろうかと期待してしまうような人間が、たま~にいるからだ。だから、そういう人間と会うのは実に楽しい。

立場とか、地位とか、金持ちかどうか、アタマがいいか悪いかなんていうことはまったく関係ない。

器である。器。

お、なんか違うぜこいつは、というのがあるのがいいのだ。マジに。男でも女でもである。

ふざけ半分でも、人と違った生き方をしてきた人は輝いているからだ。

小説もそうだ。

義理で読んでいる小説なんか、まったくつまらん。時間の無駄である。常識だから、文学部に入っているから、クラスメイトが読まないと恥だというから・・・というようなくだらない理由で仕方なしに読んでいると、空しくなっちまう。

面白いから・・・という理由だけでいいのである。それすら感じなければ、つきあっている必要はない。

女だってそうだろう。綺麗なだけで、中身がなかったら、クチをきく必要もない。化粧と服だけしか興味のなさそうな基地外みたいなアホとかいるからだ。

男だってそうだ。中身のない男もたくさんいるからである。仕事と学歴、愛車しか自慢するもののないアホとか、いっぱいいるではないか。

そういうおめぇはどうなんだ?と聞かれたら、アタシャ逃げるしかないけどねぇ~~~。

わははっはははっははは。

さ、今日はこれから塾がある。ボランティアみたいなもんである。

これも高望みして、経営陣に加わりたいとか考えないほうがいい。

所詮ボランティアみたいなものであるから。

 

では、これくらいにします。

 

Bye-bye

 

 

 

 

 

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死んだら、病院にあるボキのビッグデータは、露のごとく消えてしまうのだよ~ん

2016年01月28日 09時27分11秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

あばよ!って言って去っていくつもりである( ´▽`)←なんの話じゃ?

 

 

これから蕎麦打ち講座をやってくださっている蕎麦店主の店に出かけてくる。

昨日の男(おじいちゃん)の料理教室で、隣のおじいちゃんが、蕎麦打ち講座を受けたということを言っていらしたからである。この店の店主に教わったのだそうな。

そういえば、老人大学でもこの店主から教えてもらう講座を企画していたっけ。申し込みするのを忘れてしまったから、もう無理だろうけど。

健康にはいいんだろうな。蕎麦は。カロリーも高くなさそうだし。カロリーどころか、枯れてきたボキのようなジジイには最適であるよん。

枯れてきたというと、昨日の男(おじいちゃん)の料理教室の会場から出ようとしたときに、「おおおおおおぃ!」と言う声と、次に私の名前を呼んでいる枯れた声がきこえたので振り向いた。

そしたら、なんと知人であった。この会場に定年後勤務(再雇用)している御仁であった。だから、私なんかより若い。どうでもいいようなことであるが。でもその御仁が、枯れていたのである。若いときは、もっとスマートであったからだ。

ずいぶん太ったねぇ・・・・と思ったが言わなかった。気にしたらしょうもないからだ。

しかし、知人からは「やせたねぇ~」と言われた。

またその話題かと思ったけど、今は健康になっているので、四方山の話をして大笑いをしていた。

出かけていって、知人と出会うというのはなかなかいいもんである。

それだけご縁があるんだろうから。

ちなみに、知人は私と大学が同窓になる。同窓と言っても、彼は、某大学の学部卒であるから40年前だ。卒業したのが。アタシャ、退職してからの大学院卒であるから(退学した方の大学院ではない)、その間に40年以上のタイムラグがある。さらに言えば、学部も別の大学である。アタシの場合。知人が学部、アタシャ三つ目の学校が一緒というだけである。(なんだかナニ書いているのか、ごちゃごちゃですな・・・もうやめよう)

関係ないと言えば言えるかもしれないけど。でも、ご縁は感じるのである。

午前中は、巨大病院の売店に歩いて行ってくる。

来週の月曜日に大腸内視鏡検査を受けるからである。前日に食べる食事を買ってくる。もうこれで大腸内視鏡は、20回目になる。

胃の内視鏡も人間ドックで受けるから、言わば焼き鳥状態である。

クチから内視鏡。

尻の穴から内視鏡。

上から下から、内視鏡をぶっ込まれて、あわわわわわわわわわである。

これもすべて健康のためなるぞ!

そういう東洋一の巨大病院の神サンが言っているような気がしているんじゃよ。

人間ドックでは大腸内視鏡がなかったからである。受けるのは。一昨年までは、幕張の人間ドック専門病院で、高い料金で受けていたが、去年入院してからは変更した。つまり、あらゆる私のデータが、この東洋一の巨大病院にはビッグデータとしてあるからである。

もう諦めた。

死ぬときは、この巨大病院でと決めたからである。

マジに。

そして死んだら、私のビッグデータは露のように消え去るのである。しょうがねぇのだ。その時は、その時。

あばよ!って言って去っていくつもりである。

誰だって、100%死んじゃうのだから。

 

じゃぁ、これでwalkingがてら、巨大病院に行ってくる。

あばよ!

(失礼・・・・とほほ)

 

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1月27日(水)のつぶやき

2016年01月28日 06時29分14秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

くさった栄光どころか、くさったりんごじゃよ。ボキの場合は(*^ー゜)

これから「つみれ鍋」の男の料理教室に行ってくる。

こんな企画をしてくださる居住地の市役所に改... goo.gl/5aBXwS


なかなかここまで来るのは、大変でしたのじゃ。

我がご同輩たち。

と言ってもミンナ、ボキより先輩。

ボキなんか、まだまだ小僧っ子だよん。

イワシのつみれ... goo.gl/snejh4


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/