がまんは、よくない、身体に悪い・・・トホホ
新年を迎えて、一年加齢したのは事実である。しかし、年取ったのは時間面でそうなったのであって意識の面ではジジイになったという感覚はないのだ。まったく元気なジジイであることには変わりはない。
なぜか。
つまり、私は「がまん」していないからである。
もっというと、ジジイになったからがまんして、おとなしく引き下がっていようとはまったく考えていないということである。
年齢相応というのが大嫌いであるからだ。
そもそも年齢相応というのは、どういうこっちゃ?と思ってきたし、今もそう思っている。マジに。今も、真っ赤なシャツを着て打鍵しているし(^0^)。スキーウエアも、真っ赤である。否、今は、やらないのだけれども。スキー場への行き帰りがちょいと辛いんで。
無理はしない。
無理しない程度に、若返りをやっているのである。
カミの毛はどうにもならんけどね。
問題は、意識の面である。意識が年取ったらアカン。マジである。身心は同じである。同じ働きをしているではないか。これが一番大事なような気がするのである。
だからこれを今年はモットーとしていきたいと思っているのである。
しかし、難しい。
明鏡止水とは荘子も言っているが、なかなか困難である。波立つのが、私のようなボンクラには常であるからだ。嵐もある。波も立つ。
波立ってばかりいたから、まったく恥の多い半生でありましたよん。半生ではないな。3/4人生でしたな。ま、どうでもいいけど。
だから生涯学習ごっこをやり始めたのである。そう思っている。恥が多かったからでもある。それに、完成したという気持ちとは、ほど遠いからである。人格もである。まだまだである。まだまだ。
怒りもあるしなぁ~。
喜怒哀楽が激しいからなぁ~。
でも、悟りスマしているわけにもいかない。ハラが立つ時は、ハラが立つし。世の中の動きもそうだし。若いもんへの怒りというのも当然ある。
もっともあれだ。
オノレ自身への怒りが一番あるけどねぇ。
バカで、どうしようもないというもんがあるからである。
つまり、自慢できるような材料がまったく無い。
アホかと思う。
アホそのものである。
だからこれまで生きてこられたのだとも思う。
あんまり、怒ってばかりいると危険だからだ。
安全に生きるためにも、こころ静かに、波立たない心境でありたいもんである。難しいけどね。まったく難しい。
今年から10年日記をつけ始めたから、こういう心境を綴っていきたい。
?
あと10年も生きるつもりかと言われそうだな。
わははっははっはっははっははっははは。
まだまだしぶとく生きるつもりでっせ。
波立ちながら。
じゃぁねぇ~。
(ToT)/~~~