500円の弁当で、お昼に新年会みたいなもんをやるらしい。アルコール抜きで。
ついつい自慢したくなるというのは、どういう状態なのだろうかと思うことがある。
なぜか。
そういう人間がいくらでも周囲にいたからである。誰しもそうだろう。通常人間は、自慢しているか、卑下しているかの二つが多い。たまにそうでないのがいるけど。自慢もしないし、卑下もしないという春風駘蕩的な御仁が。
結論から言って、春風駘蕩、まるで春風のような人間になりたいが、こいつがなかなか難しい。
正直言って。
さらにジジイやババアになると、話の殆どが自慢話になっちまう。若い時は~~~~~~だったとか、今の若いもんはなってねぇ~~~~~~~とかの話になってしまう。
バカバカしいけど、そうである。しかも、それはアタシだけではない。
だから春風駘蕩そのまんまの御仁には感心してしまうのである。
でも、一つ疑いがある。
もしかして、耳が悪いのかも知れないっていうことである。
なるほど、聞こえないなら感情が動かされることはない。波風立つこともない。気分を害することもない。怒りもなくなってしまう。
聞こえていても聞こえないふりをするのもいい。
最近、私はそれをやっているんである。
相手は、古女房ドノ。
いろいろ文句を言われても、聞こえないことにしているとハラが立たない。
わはははっははははっはははっは。
いちいち私の悪口が聞こえてきたら、たまったもんじゃないからなぁ~。
聞こえないフリをしているとラクである。マジに。
しかし、見ることは見ている方がいい。社会のこと、政治のこと、経済のことなんかいつまでも関心を持っているべきである。
惚け防止のためである。
幅広く、あらゆることに関心を持っていると退屈しない。
それに、シニカルに生きていくことができる。そうなんである。シニカルというのは面白いからだ。
こんな面白いことはない。
他にまったくない。
楽しいことかぎりなし。
自慢しかしない人間を見ていると(つまり観察)、楽しいからだ。昔からそうだった。話を聞きながら根拠がなにかということを考えてみると、その自慢の種が実に怪しいというのがわかるからである。
老人大学なんか、観察するのに一番いい。
エラそうにしている輩ほど、どっかズレているからである。おかしくてたまらない。こういう事例を見れば見るほど人間は面白いもんだと思うからである。
もっともズレているというと、アタシも好例ですなぁ~
ズレジジイであるから。
ズレているから、こんなになっちゃったんでありまするから。
今日は、老人大学登校日。
楽しみ、楽しみ。
500円の弁当で、お昼に新年会みたいなもんをやるらしいから。
今年も笑顔でいきましょう。
わははは、わはははと笑いながら。
Bye-bye