語学講座は決して「他人と比較しちゃいけない」という教えを知った。あくまで、「過去の自分と比較して、ちょっとでも進歩していたらうれしがる」というのがいいんだそうで。。。。。
老人大学を去っていく方もいる。今年になって3人目である。今日去っていった。また一人。理由はあれこれと我々に言っていかれたが、ま、ホントにそうかはわからない。
去年、学業劣等と健康問題で某大学大学院を中退した我が身であるから、他人のことはあれこれと言うわけにはいかない。
しかしである。老人大学には学業劣等でもって去る方はいない。あたりまえである。評価がないからである。健康問題ならあり得る話ではあるが。
人間関係でもって去っていく方がいるのだろうと思う。
そうなのである。年をとっても、人間関係でもって苦痛を感じる方はおられるからである。
私は、そういうことは無視している。どんな人間であっても、真に受けないのである。早い話が、いくら前の仕事でエライ仕事についていたと本人が自慢しても、せせら笑っているから気にならない。
助言と称して、私を指導してくださってもまったく無視している。聞こえないのだから、聞く耳がないのである。
どうせ茶飲み話の友達を作るために行っているだけであるから、こんなあふぉ~なバカジジイと遊んでくれるだけで幸せなんである。
本当である。
だから、前歴なんかまったく問題にしないし、聞く耳を持っていないし、他人に聞く気にもならない。他人も聞いてこない。そういうことを聞かれるととたんに、私は耳が悪くなるからだ。もっともアタマも悪いけどねぇ~。
がはははっはははっはははっは。
老人大学が楽しいから、この四月からは老人クラブは退会するつもりだ。行っている暇がないからだ。今年度一回も出席できなかったからでもある。それに老人クラブは酒席がからむ。夜のおつきあいができなくなったからだ。
さらに、先輩が多いから、事務仕事がまわってくることが確実であるからだ。これは、座りっきりになっちまうから、またまた健康を阻害する。文書を作ったり、会計をやったら、危ない。健康が。
会費を払わなければ、退会になるだろうし、気楽なもんである。
老人クラブは、後期高齢者になったら復帰するつもりである。それでいい。それで。
気楽にやれることをやればいいのである。
老人大学も、老人クラブも苦痛になっているようでは、本末転倒である。ましてや、人間関係でもって、去っていくというのでは哀しい。
他人が気に入らないのなら、無視していればいいだけである。深刻になっていないほうがいい。ナニをクヨクヨ川端柳である。
高い評価なんかなくたっていいではないか。そもそもそんな阿呆なことから、退散したのである。おさらばしてしまったのである。
逆戻りしてはアカン。
オレより若い講師センセの授業や講義がつまらないんなら、オレのように内職すればいいだけである。つまらないことは、我慢しない方がいい。
ジジババになったら、我慢していたら寿命を縮める。バカバカしい。
好きなように生きることである。法令違反をしない程度に。さらに他人に迷惑をかけない程度に。
本と一緒である。
好きな本を好きなように読んでいればいいのである。そしてたま~にゴミ論文でも書いて投稿してみることである。
「儲ける生涯学習」というのもありだと、今日の福留強先生の講義で知ったし。
まさに今のオレがやっている生涯学習も、生涯学習のテリトリーに該当していることを初めて知ったからでもある。
学習塾講師もそうだった。
大学非常勤講師もそうだった。
専門学校もそうだった。
原稿書きもそうだった。
全部お金がもらえるからである。些少であってもだ(些少だと書くと叱られるな。お金をくれている組織からは)。
明日は明日で、古文書講座である。生徒として教えていただく。
夜は、中国語講座に生徒として参加する。
楽しい、楽しい。
あ、語学講座は決して「他人と比較しちゃいけない」という教えを知った。あくまで、「過去の自分と比較して、ちょっとでも進歩していたらうれしがる」というのがいいんだそうである。
これもまたありである。
じゃぁね~。
お休み。