妄想の果てにあるものは(^0^)
生涯学習の先達を見ていると、長続きしている理由というのがわかるような気がしてきた。
なにしろこっちのジー様は、生涯学習と言っても「ごっこ」であるから、先達が必要なのだ。だから、全国の生涯学習情報にはしつこくつきまとっている。
で、あることに気がついた。
それは、目的がないから生涯学習が永続きするのだということである。資格試験とか、なにかになってやろうとかという世間的な目的というもんがない。あえて言えば、「妄想」くらいはあるというべきか。
たとえば、語学ができたら、モテルだろうなぁという妄想ならよくわかる。中国語が話せたら、中国美人と会話ができるかもしれないというのもわかる。
だから、アタシャいつまでたっても中国語が話せないのである。そういう妄想がないからだ。それに身の回りに中国美人がいないときている。チャンスがない。
わはっはははっはははである。
まずはやってみるべきであって、目的なんか後から考えればいいだけだ。
そう思っている。
生涯学習を続けると、妄想はドンドン拡大していく。
知らないことが増えて、さらに知りたいという妄想がである。だから楽しいのであって、勉強してある程度理解できたからと言って、「なんだこんなもんか」というのは良くない。中途半端で理解できたような気になって、中断してしまうからである。
もっとある。
あれこれ考える前に、まずやってみることである。
不肖、私は、あれこれ考えないで、どうでもいいようなつまらないことから打鍵し始める。それでもって、書きながら考えていくのである。つまりそれは自分のメモのためでもある。
受験勉強だって、あれこれといろんな参考書に手を出すよりも、まずは一冊選んだ参考書を何度も繰り返してやってみることにしている。ボロボロになるまでだ。Kindleもそうだ。あるいは、ICレコーダもそうだ。故障して買い換えてしまうくらいに使い込むのである。修理しているより安上がりである。修理代の方が高いからである。それにそんな時間もない。
それよりも、実践実践また実践である。
学術書も繰り返し読むことで、先が見えてくるからだ。
さらにある。
定年退職したら、あまり見栄を張って難しい本にチャレンジしたりしないことである。分厚い本を買ってきて、まったく読まないでいたら金がもったいない。そんなんだったら、古本店に売った方がまだよろしい。
見栄で読書しないことである。
もういいではないか。
見栄を張らなくても。
ワタシャ、黄色のダーマトグラフを持って、読みながらラインを引いているときが至福の時である。これがもっとも好ましい過ごし方でもある。
22:48である。
孫が帰ってしまったから、とたんに夜やることがなくなってしまった。
せいぜい、読書でもしてましょうやと思った次第である。
(^_^)ノ””””