と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

天才は仕事の量がハンパではないと感じていた。しかもそれは「頼まれごと」でもあったのである。

2018年09月04日 18時37分34秒 | とーま君の流儀2018

頼まれごとを引き受けていると、なんだか生き生きしてくるのは気のせいか?マザーテレサも言っていたではないか。やることがないってことは、サミシイって。やることがあるだけ、ボキはシアワセである。

 

 

天才というのは、仕事の量がハンパではない。膨大な仕事量と闘った人のみが、天才と呼ばれる由縁である。だから歴史に名を残すほどの人物になるのだ。

しかもそれは自分からやりたいと言って、自薦でやったわけではないのだ。

西洋の画家たちがそうである。貴族から依頼されて制作したものがほとんどである。

つまり、「頼まれごと」なのである。自分から手を上げてやらせて欲しいというのではない筈である。中にはそういう人もいたのかもしれないが。

要するに、「頼まれた」からやったのである。

仕事は向こうからやってくるのだ。じっとしていても、やってくるのである。

そのためには、ナント言っても明るく生活していなくちゃアカン。暗い顔して、目つきも鋭く、相手をにらみつけていたら、頼みたいと思う人はいない。頼まれ仕事だってやってこない。

ましてや自営業だったら、仕事がやってこないと深刻度は増してしまう。

収入がなくなってしまうからである。

ま、頼まれ仕事も経済的に無理だとなったら、そりゃやっちゃアカン。物理的にも無理だとなったら、それもアカン。その辺りは計算して引き受けることである。

もっとある。借金の申し込みは頼まれない方がいい。これだけは例外である。保証人の依頼も受けない方がよい。なにが起きるかわからないからである。

自分にできる範囲での頼まれごとなら、チャンスがあれば引き受けることである。

それを、私のようなものが受けたら不遜でありますとか言って断ったらもう二度と頼まれごとはやってこない。謙虚に言っているつもりが、相手には不遜なやつだと思われてしまうからだ。困っているから、あるいはおまえならできるかもしれないと思うから、声をかけてくれるのである。

アリガタイではないか。言ってくれるだけでも。

要するに他人をシアワセにできるということなのである。自分のシアワセだけを追い求めていると、頼まれごとがやってきても時間がないとか、オレは忙しいと言って断ってしまう。

もう二度とご縁はなくなってしまうのである。

そういう考えは、「自分の思うとおりにしたい・生きていきたい」と普段から思っているからなのだ。

チャンスがあったら、チャレンジである。またまた世の中や人間関係が広がっていく。

楽しいではないか。

そういうことを楽しみにして生きていくことである。人間関係まで断捨離しているとサミシイ人生になってしまう。

 

今日から第五のアルバイトを始めた。楽しいモノである。若い方々と一緒に学んでいるからである。千葉市に行っていた。夕方の4時頃帰ってきた。朝は、6時に家を出た。

頼まれたから、あえてチャレンジしているのである。これもまた自分を変えるためである。

 

しかし、働くって良いモンである。心地良い軽めの疲労感がまたなんとも言えないからである。充実しているからである。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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9月3日(月)のつぶやき

2018年09月04日 06時19分43秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/