しなくてもいいことを、自分の意志でやってみようというのが大事なことだと想定しているのだ。ま、ボキだけそう思っているというだけだけど(笑)。
「自分の意志でなにかをしよう」というのが大事なことだと思っている。しかもそれは本来「しなくてもいいこと」と思い定めていると気が楽である。むろん、これはボキだけがそう思っているというだけで、それを他人に押しつけようとかはこれっぱかりも考えていない。
そういう意味で、拙ブログはまったくの独り言であって、まさに自分に語りかけているだけである。自分の考えを打鍵してみて、確認しているだけでしかない。
昨日、国立歴史民俗博物館に行ってきた。「お化け暦と略縁起-くらしのなかの文字文化-」(第4展示室)というのがあったからである。楽しみにしていた。古文書もあるのかなと思ったので行ったのだが、こっちの方は期待外れ。
ま、いいか。行っても行かなくてもどうでも良いような話である。道楽でやっている趣味の世界であるから。
それに久しぶりにクルマを動かしたし。たまには遠出しないとバッテリーに悪い。
十分楽しんできた。沖縄の映像資料にはまったく驚いてきたが。この担当の総合研究大学院大学の准教授の女性の先生が担当されたのかもしれないし。たぶんご担当なのであろう。ちょっとお会いしたことがあって、大学院進学の相談に乗っていただいたからである。
結果的には進学の夢はかなわなかったけど。
それにしても、この資料数で、環境で論文書きをしていたらおもしろかっただろうなぁとは思ってきた。蔵書数もダントツであるから。しかも専門書のみ。古文書の数ときたら、モーレツである。
しかし、また病気になったらアカン。一日10時間以上はこもりっきりになってしまうだろうから。
なにしろ厭きないのであるから、始末におえない。机にしがみついて、動かない。当然、エコノミークラス症候群になってしまう。またICUに入るのはごめんである。
と、ここまで打鍵してきて、ハタと気がついた。そりゃ自分のためだから楽しいのであって、それこそハタから喜ばれる行為であろうかということである。家人が特に喜ばない。病気になってほしくないからである。お互いの趣味である海外旅行にも行けなくなる。海外旅行というのはリラックスの極地であるからだ。世界には知らないことがたくさん落ちているし、食事も観光も楽しい。
あまりケチケチで暮らしているとお金も回らない。お金は入ってくることを心配しているよりも、回すことである。回るから、世の中が循環する。死んじまったら、あの世にまで持っていくことはできない相談である。
リラックスして生きることである。しかも、薄味で。薄味なら、他人は厭きない。あまり個性が強いと人は寄ってこない。当然、孤独になる。
ステーキと一緒である。毎日ステーキを食わせられたら、ゲップである。胃腸がやられてしまうではないか。
それよりもお茶漬けの味である。
減塩した味である。
濃いめの味は、人生を間違ってしまう。
他人をどうにかしようと思っているから、個性豊かな濃いめの味になってしまうんだよんとマジに思っている。
プラス「自分の意志でなにかをやる」ことである。実践である。実践していなければ、生きている自覚も持てない。理想論ばかり言っていたって、そんなのは学者さまにでも任せていればいい。
今日もアルバイトである。千葉市に行ってくる。橋本武先生のように、いろいろな資料を使って古典の授業をやってくる。楽しみである。それだけだけど。
夕方相撲を見る時間までには帰ってきたい。なんと言っても稀勢の里ファンなので(^_^)。
BYE-BYE!