と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

成田〜武漢(中国)ANA一泊往復の旅(FrontRowとGoProを利用した旅動画の作成実験)

2018年09月27日 09時00分36秒 | 中国武陵源紀行2018年10月

ANAだとエコノミー席でもまぁまぁ食事は良さそうですねぇ。

 

 

 

成田〜武漢(中国)ANA一泊往復の旅(FrontRowとGoProを利用した旅動画の作成実験)

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落ち込んだり、有頂天になったりしていたらアカンですなぁ。それだとただの気分屋でしかないから。

2018年09月27日 08時19分18秒 | 精神のありかた

ボキの課題は自分の力を見定めることなり。所詮、大したもんではないから。

 

 

自分が「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」と思うことができるかというのが、ボキの課題である。

事実、ボキはそのとおりの人間である。矮小なものだし、ろくなことをしてこなかったし、日常生活もきちんとしていない。掃除も洗濯も料理もできない。きちんとできない。やる気はあるのだが。

だから他人に説教たれることができるほど、立派じゃないのだ。

あたりめぇである。君子でもない。聖人でもない。ただのボンクラである。

ガキのころから、虫取りをして幾多の虫たちの命を奪ってきたしなぁ。

他人のことを笑うことはできないのだよ。まったく。

だから、ボキは落ち込むことがない。他人のことを笑えないということは、最低限の心境からスタートしているからである。有頂天になることがないからだと言い換えてもよい。

自分じゃどうにもならないことや自分ではコントロールできないことを、心配したり悩んだりしても仕方なし。それでもって、気分に波が出ていたら全くの無駄である。

気分に波ができるというのは、自分のことを高評価しているからである。こんなに俺は私は優秀なのに、なぜ勤務先あるいは他人は認めてくれないのだと慨嘆しているのと一緒である。

有頂天になるのは、自分が大したものであるという自己認識に他ならない。賞賛されるからである。こいつは大きな落とし穴である。必ず、ひっくり返される。奈落の底まで落っことされる。そして、気分が落ち込む。

だったら、最初から、俺は大物ではない、ちゃんとしたものではないと思っていた方が楽である。

そんな完璧な人間なんていないからである。仕事も人格も完全な人を「正しい人」「義人」というのだろうが、そんな人には出会ったこともない。むろん、ボキ自身は不完全人間だし。

もともと人間は、完全に正しい人間として生きることなんかできやしないのである。不完全で不十分で未熟なのである。それでいいのだ。やることなすことミスばかり。もともと人間というのは、そういうもんではないのか。

そう考えていれば、落ち込まない。もともと「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」と思っていれば、落ち込むことはなくなる。体験しているからそう思うのだ。

ただし、努力は前提となる。普段から努力だけはしていた方がいい。

それでも、「大したものじゃないねぇ、君は」と言われてもニコニコ笑いながら肯定していればいいのだ。逆に舞い上がってしまうこともない。それだけ慎重に生きることができるというもんである。

自分の力だけで生きているんじゃないってことである。誰かのおかげで今があるのだ。それを自覚していると、失敗は防げる。

そういうのを謙虚に生きるということだと思うのである。

 

今日は朝から雨である。参ったなぁ。それに寒くなった。あれだけ暑かった夏がどっかに行ってしまった。体調の維持に留意しようっと。歩きにも行かなくちゃ。ショッピングセンターへ。

(^_^)

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9月26日(水)のつぶやき

2018年09月27日 06時31分21秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/