と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

倒れても悔いなし。世間への恩返しであるのだから。マジに。

2018年09月08日 08時12分10秒 | 精神のありかた

他人に必要とされているうちが花である。淡々と頼まれごとをやっているしかない。その結果倒れても仕方なし。それきりの人生だったのだから。なにもすることがないというのが、諸悪の根源である。

 

 

今日も千葉市に出かける。千葉市民会館である。歴史の会がある。文化講座と古文書講座である。ボキは文化講座の方に登壇させていただく。「敦煌と鬼来迎 日中比較藝能史からの一仮説」という演題である。動画を使って話をさせていたく。午後1時からである。

歴史の会では、この5月の総会に間に合わないからということで、ボキは会長代行にさせられてしまった。でないと予算決算案が通らないからである。

こんなことになるとは夢にも思わなかった。元会長にお世話になったから、楽しみで行っていた歴史の会である。元会長というのは、ボキの勤めていた農業高校の校長で、ボキはそこで実に八面六臂の活躍をさせていただいた。なにしろ、教務主任なのに柔道着を着たまま明日の自習監督割を作っていたのである(^_^)。それから再度柔道場に行って生徒と一緒に稽古していたのだ。関東大会にも出場したから、それなりに思い出はあるのだ。

この歴史の会会長代行というのも頼まれごとである。入会させていただいた時は、まだ某大学大学院生であった。なにしろ定年後に入学させていただいたのだから、毛色の変わった院生であった。

おかげで勉強になった。大きな財産になった。自己満足だけど。

比較文化が某大学はウリであった。だから入学したのである。かなり有名な学者につくことができた。退学になったからもう実名をあげさせていただいても良いだろう。三木紀人教授(お茶の水女子大学名誉教授)であった。中世文学では日本を代表するような泰斗である。著書もかなりある。そして、それから3年間先生に教えていただいた。一対一の時もあったし、クラスメイトと言っても非常に少人数で教えていただいた。憧れの先生であった。

で、歴史の会でもって、さらに磨きをかけていただいた。学芸員の先生方とか、それこそ専門の先生方がたくさんおられた。古文書も相当なレベルにある。

わからないことだらけであった。否、今でもそうだ。能力不足は否めない。

大学院での勉強と同時進行であった。

これが効いた。かなり効いた。クスリがである。

だから尾畠春夫氏ではないが、「世間への恩返し」である。これまでお世話になった方々への。

 

現在、火曜日と木曜日と金曜日に某私立高校で授業をさせていただいている。古典と言語理解である。さらに、木曜日と金曜日には学習塾。前期だけだが、木曜日は某大学で授業である。水曜日は千葉市にある通信制高校。あとは、不定期で交通安全講話をやらせていただいている。微妙に実施時期が異なっているから、可能なのである(^_^)。

と、書くとかなり多忙に見えるかもしれない。しかし、時間数にするとそんなに多くはないのである。

頼まれごとを淡々とやっているだけである。その結果倒れても我が人生に悔いなし。どうせ永遠に生きているわけにはいかないのだから。

 

わはははっははっはっはっははっはははっはははっははははっはは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ 

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9月7日(金)のつぶやき

2018年09月08日 06時42分19秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/