ボキは年齢不詳のまだまだ若い小僧っこであると思っている。そのほうが長生きできるんだそうだから(笑)
「ボキはまだまだ若い、小僧っこである」というのが、年齢を聞かれた時の口癖である。年齢を聞くのはご婦人方に多い。比較の対象だからであろう。
なぜそんなに年齢を気にするのかと思う。そして、正直にボキが答えると「なんだぁまだ若いんじゃん」とのたもう。(笑)
つまり、自分と他人を常時比較してものを考えているからそういう発言になっちまう。
ボキはあほかいなぁ~と思う。
ボキは「マジにまだまだ若い」と思っているのである。事実身体も動く。実に健康である。
それにまだ若いと思うのは、知識がないということである。覚えてもすぐ忘れてしまうから、10代のころと変わっていないのである。ある意味不完全であるからだ。
だから偉そうに人の上にたって威張らない。威張れるわけもない。内容がないからだ。空っぽなんだよん。空洞。筒抜け。情けないけど。
ラジオの英語講座をいくら聞いてもちっともマスターできない。
そもそもが、成果主義に立っていない。静かに淡々として生きているだけである。ギラギラとした欲望もない。モテたいとか、そういう邪念もないのだ。あっさりしたもんである。
友人に捨てられたらそれっきりである。捨てることはないが、捨てられたことは数多い。とりわけ、ボキは中学から高校に採用試験を受けなおして転身していったから、よけいそう思う。それまでの人間関係はなんだったのかと思ったからである。付き合いの濃かった何人かの方々は、ボキをさぁ~~~っと捨てたからだ。もちろん最初に勤めた同僚の5人の方々とは今でもお付き合いがある。しかし、すでに二人が亡くなってしまった。
だから人間関係は大事だと思っているのである。そうなのだ。相手が死んでしまうからである。今、この瞬間しかお付き合いできないと思うと実に時間がいとおしいではないか。
自分はまだまだと思っていると、なんだか長生きできそうな気がする。そういうことを書いている本も読んだ。どっちが年上で年下だとか思わないで、自然にまったく自然に生きていると長生きできるのだそうである。
むろんストレスも今はまったくない。現役の仕事人時代はかなりあった。ストレスがである。管理職であったから、組織をまとめ上げるのに苦労した。
さらに定年後に学位が欲しくて、無謀にも大学院博士課程に入学してしまった。そして一日13時間は論文書きにまい進した。これが一番体に良くなかった。
とうとう病気をしてしまった。
だから「淡々として生きる」のを至上命題にしているのである。そして「まだまだ若い」というのもオノレに言い聞かせているのだ。でないと若死にしてしまうからなぁ。
わははっははははっはははっはははっははははっはは。
オシマイ。
( ´Д`)ノ~バイバイ