中勘助の銀の匙を扱った灘高校の橋本センセのように生きてみたい。最も尊敬している方であるから。楽しい生涯であったろうなぁと思うので。
なにが正しいのかと思うことがある。あるがクチには出さないことにした。社会現象万般のことについて、マスコミをはじめとしてまぁまぁうるさい。首相批判に始まって、いろいろな組織のあり方について、全否定ばかりしている。
本当にそうだろうか。そんなにデタラメなものばかりだろうかと疑問に思う時があった。果たしてマスコミの言っていることは正しいのだろうかということである。
マスコミの言うことを鵜呑みにして、ボキも一丁前に社会批判をしたことがあった。
しかし、今はちょっと違う。
全部自分の思うとおりにしたいとは思わなくなったからである。相手を、社会を自分の思うとおりにコントロールしたいというのは、不遜であると感じるようになったからだ。
家族関係でもそうだ。家人を思うとおりにコントロールしたいと思ってもそんなもんは不可能である。自分とは一心同体だと思うから、腹が立つのである。
たとえ自分の子どもであっても、思うようにならないのが家族である。
だったら、そういう現実を受け入れるしかないではないか。
そんなもんで、グチャグチャ悩んでいるよりは、「自分にとって楽しい」と思われるようなことをやったほうがずいぶん良い。自分が楽しければ、他に喜ばれる。他が喜んでくれるのならば、自分も楽しい。好循環である。
毎日が楽しくなる。自分も他人も、家の中も。それにアルバイト先でもそうだ。
働いているとどうしても評価される。他人からどう見られているかということが気になる。そりゃしょうがないことだ。
まだ現役の仕事人ならば、そりゃ仕方なし。会社には勤務規則もあるし。
ま、ボキは、定年で引退してしまったから、自由自在に生きている。評価もまったく気にならない。誰がなんと言おうと、ボキの評価が低かろうと関心がない。関係ないからである。しかし、そんなボキでもトラブルは起こさない。自分が楽しいからである。楽しくアルバイトをさせていただいていれば、周囲がよくしてくれるのだ。今日もこれから行くが、千葉市の某高校でも楽しいから同僚の方々も親切だ。さらにボキの胸にぶら下がっているネームプレートも、カードとネームカードの入れ方が逆だと直してくださるのだ。女子生徒がである。こんなことは初めてであった。長いこと学校関係で仕事をさせていただいてきたが、初めてである。
楽しいものである。だから必然明るくなる。そりゃそうだろう。こっちが生き生きとしていれば周囲も明るくなる。なにがなんでも明るくふるまうことである。
そうして「ありがとう」と感謝していれば、ありがたいことが向こうからやってくる。
中勘助の銀の匙という作品を材料に、これ一冊で3年間授業をやったあの名門高校の灘の橋本センセという方から教えていただいたことでもある。
ちなみに、小学館文庫のHPにこんな紹介がある。橋本先生の解説付きの文庫の方である。
>漱石絶賛の名文が伝説教師の解説付きで甦る
古い茶箪笥のひきだしから小さな銀の匙(さじ)を見つけたことから、幼年期の叔母の愛情に包まれた日々を、透き通るような無垢な目線で回想していく主人公。明治43年に前篇が執筆され、夏目漱石の「子供の世界の描写としては未曾有」という絶賛・推挙により、大正2年から東京朝日新聞で連載された、中勘助(1885-1965)の自伝的作品。戦後の灘中学でこの作品を3年間かけて読み込む授業を実践、同校を名門校へと導き、中本人とも深く交流した橋本武(現在100歳)による当時の授業を再現する[解説]を全編に掲載。本文の理解を助け、横道にそれる橋本授業の真骨頂を体験できる、[知的ヒント]と[気づき]がちりばめられた1冊です。
※橋本センセは、2013年に亡くなられたけど。
こういうことをボキはやりたいのである。100歳まで。
わははははっはははっはははっはははっは。
さ、今日も元気に千葉市に行ってくる。さらに夜は塾に行く。数学のⅠの問題が昨日できなかったから、往復の電車で参考書とにらめっこである。
楽しいなぁ。
アホのごとく楽しいですよん。(アホだけど)
BYE-BYE!