ゆるんで生きていこう。ゆったりと生きても、セカセカ生きても時間は平等に流れていくだけだから(^_^)。
ボキは、自分を許せない人間だった。「このままじゃいけない」「もっと向上するはずだ」「もっと努力しなくちゃ」というように、マジメな人間だった。
つまり、自分で自分を痛めつけていた。現状に甘んじることなく、努力こそ必須、まだまだ向上しなくちゃと焦っていた。
弦楽器の弦のようなものである。ぴぃ~~~~んと張っていて、緩みがない。いつもいつも緊張していた。成果を出したいと思っていた。
その結果、一日13時間も論文を書いていても飽きなかった。じっとしていた。某大学大学院に入学してからも、大学院生だけが入室できる部屋で閉じこもっていた。その代わり、知る喜びや調べる楽しさというのは十分味わったけど。
そして、その代償がエコノミークラス症候群で入院16日となった。某大学大学院も退学した。
まさに、ピーンと張っていた弦であった。張りすぎて、弦が切られてしまったのである。
自分の意志ではなかったと今になっては思う。天とか、神とかのご意志であったと思う。あらかじめシナリオが書いてあったのだ。
と~ま君よ、無謀なことをしたのだよんとおっしゃっていたのだ。
今になってよくわかる。
「ゆるみ」がなかった。その一言に尽きる。自分の神経を全部それこそフルに使っていた。
こうあるべきだという固定観念に凝り固まっていた。努力すべきだ、向上すべきだ、時間も無駄にしてはいけない等々。そういう固定観念に支配されていた。
自分を受け入れることができなかった。能力のない自分、博士になれない自分、論文が書けない自分が許せなかった。
某大学大学院を中退してから、海外旅行に行く機会が増えた。後半生の目的も目標もなくなったからである。
しかし、海外旅行に行ってみて、おおいに反省した。それはリラックスできたからである。リラックスすなわちゆるみである。時間の流れが国によって極端に違う。時差がある。今、朝であっても外国では別の時間である。
それに気がついたら、なにも焦って生きている必要はないと思い定めたのである。
それに、大学院で博士になろうがなるまいが、外国の人にとってはなんの関係もない。そんなもん、ただの紙でしかない。へぇそうですかと言われてお仕舞いである。
自分にも他人にも厳しく生きてしまったのだ。それが見えてきた。
これからは、自分に対しても他人に対しても「甘く」生きていこうと思っている。「緩やかに」「甘く」である。なにも焦って生きる必要はないということである。
ボキは、一生懸命、十分生きてきたからでもある。よく働いてもきた。37年間も、運動部(柔道、野球、バレーボール)の練習試合で土日もまったくなかった。さらに朝練習までやっていた。
もう良いではないか。
今まで十分やってきた自分を褒めてあげましょうと考え方を変えてしまった。
だから淡々として生きていくことができるのだとしみじみ思う。
昨日、千葉市の高校で4限目の授業が終わって帰ろうとしたら、4限目の授業をやっていた3年のクラスの生徒が「もう帰るんですかぁ~~」って聞いてきた。13:12分の電車で九十九里浜まで帰りたいからである。不思議だったのだろう。こんなに早く帰るのだから。心配してくれたのかもしれない。ありがたいものである。
こんなジジイになっても若い女子生徒に心配されてしまうのである。
ありがたい。本当にありがたい。
今日は、久しぶりに朝よく寝た。7:26である。一日ゆったりと過ごすつもりである。体のためにも、精神のためにも。
(´∀`*)ノ