と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

尾畠春夫さんに、記者が無理に聞き出した、モンスターボランティアの目に余る行状

2018年09月05日 22時32分35秒 | とーま君の流儀2018

ボランティアが、自衛隊の炊き出しを喰っていたら、そりゃアカン。

尾畠氏の云うとおりである。

自分で用意して、自分で喰っていくのだ。これぞ真摯なる精神である。

風呂だって、自衛隊の風呂に入っていたらアホである。

年金暮らしだから(国民年金月額5万5千円)、カネが無くなったら朝食しか喰わないこともあると尾畠氏は云っておられる。見事である。精神が違っているのだ。

 

 

 

 

尾畑春夫さんに、記者が無理に聞き出した、モンスターボランティアの目に余る行状

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川の上流から流れてきたというのが実感。童話の桃太郎みたいである。

2018年09月05日 06時58分38秒 | 精神のありかた

流されて生きてきたから、肩に力が入っていないのだ。ボキはそういう生き方をしてきたし、これからもそうなんだろう(^_^)。

 

 

ボキは強い強い決意と目標を持って生きてきたことはない。ある目標を自分に設定して、しゃかりきになって努力したこともない。他人に勝つことのみをオノレの課題にして、蹴落とし、蹴落とし生きてきたのではない。むしろ敗者経験の連続でもあった。世間的にはである。だから、強くなってしまったのかもしれない。挫折体験についてである。

人間関係で死にたくなったというようなこともない。トラブルには悩まされてきたが、そういう現象はそもそもがゼロだと思い始めてからは、まったく気にならなくなった。ただし、全面的にトラブルを忘れているわけではない。許しているわけでもない。気にしないことにしたのである。気にしていないのであるから、相手にしない。関わらない。アワナイのであるから、仮病を使ってでも会わない。これが一番良い。

仕事だって、いつのまにか向こうからやってきた。依頼とか頼まれごとだった。

川の上流から流れてきたというのが実感である。ボキはそれに流されて生きてきたのだ。童話の桃太郎みたいである。違いがあるけど。桃太郎は成功する。ボキは挫折の連続である(@^▽^@)。

美空ひばりの「川の流れのように」という歌があるが、アレである。アレ。あのまんまである。

ジタバタしたってしょうがないものはしょうがない。

まったく流されて生きてきたような気がする。

大学学部時代に苦学したのもそうである。学部の学費を出してくれなかった亡父亡母にも今となっては感謝している。あの選択肢しかなかったのだ。そういう人生のシナリオが書いてあったのだ。おかげで、人生勉強になった。世の中のことがよ~~~くわかった。冷酷な面もあるが、あったかい部分もあった。とりわけ映画の「フーテンの寅さん」シリーズで有名な葛飾柴又で、新聞販売店に住み込みそこで3年を過ごしたことがクスリになった。

アリガタイものである。こういうシナリオになっていたということがである。

昨日から始めた第5番目のアルバイトもそうだ。あらかじめシナリオが書いてあったのだ。若い方々と一緒に勉強させていただきながら、楽しい4時間を過ごしていた。これもまた「頼まれごと」であった。ご縁があるから、頼まれるのである。

ただし、家人は呆れていたが。いつまで働く気でいるのかとか、そんなにゼニが欲しいのなら海外旅行に行かないよとも言われた。違うのである。亭主元気で留守がいいのである。

病気しないで、元気で、しかもアルバイト代を稼いでくるなんてぇことはまさに理想の亭主ではないか。

わははあっはははっはははっはははっははははっははあっは。

 

今日は、古文書講座がある。午前中である。夜は中国語講座もある。

流されて生きているから、気楽なもんである。モノにならなくてもまったく気にならない。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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9月4日(火)のつぶやき

2018年09月05日 06時33分24秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/