今日は大学に登校せず、もろもろの世間のことをやっておりました。銀行に行ったり、老犬の薬を獣医のせんせからいただいてきたりしていました。こういうことも必要悪であります。
明日は大学に行きます。また、師匠に報告しなくてはなりません。駄文をある雑誌に載せていただくということをです。なにしろ、学会活動をしていなかったから容易なものではありません。
やるっきゃないですな。
今日は実に充実していたのでした。感謝とともにあります。なぜか。夕刻5時から、千葉科学大学の先生方、大学院生の研修会の末席に加えさせていただいて、教育とリスクという非常にハイレベルな話をお聞きしたのでありました。居心地のよい研修会でありました。
もっとも、愚生の勤務校が、この大学のそばにあったからというものと、もう一つ理由があると気がつきました。それは、愚生を一人の人間として扱ってくださっているという感触であります。これはありがたいことであります。そもそも、このような研修会に参加させていただく資格もないのでありますが。発言の機会も与えていただき、感謝して帰って参りました。
おかげで大震災と日本古典文学なる駄文の終章を、いいアイディアで締めくくることができそうです。
あっと気がついたら、つぶやきカテゴリーばっかり書いているですね。
こっちの方が気楽ですからねぇ。
もっともよく考えないで書いてしまったら、こりゃぁ
「しまった」「しまった」になるから気をつけないとなぁ。
そろそろ長文カテゴリーにもどるかな?
ま、どっちでもいいんだけどね。
能楽研究史をやっているからって、実演はできませんです。
能面が、オレの顔には小さすぎてはまりませんダン。
(^0^)
いろいろな方に、能を実際にやっているのかと聞かれますが、そんなことはできません。
シテをやらせてもらったら、大金かかるんでっせ。
ある大学の能楽研究の学者せんせが、シテを時々やっていたんです。何十万もかかるというので
とうとう玄人になっちゃったということを、(玄人は逆にカネがもらえる)能楽研究の表章せんせの
DVDで見て、へぇぇそんなのありかよと思ったのでした。
オイラのは、話をしたり、書いたりしているだけですから、一番安価ですなぁ。
実技は柔道のみでありますよん。
12月2日の日曜日に、鬼来迎のことで発表(実演ではなくて、研究発表をさせていただきます)をすることになりましたわい。
20:06電話がかかってきたっすよん。研究誌にも載るとのことでしたわいわい。
もしかしたら、もっといい話も来るかも
(^0^)/ウフフ
千葉市でやります。もう原稿はできているんです。まだ詳細は書けないけど。
まぁ・・・オレって実に用意周到でありますなぁ。(^0^)
どんどん外の世界で勝負するってぇのが、オレのこれまでの生き方でしたから。
世間学を知らないから、思い切ったことができるんです。
ただし、一つ心配なことがある。
それは聞いている方が重鎮だらけっていうこと。
(*_*) マイッタねぇ。
まだ小僧っ子だしね。オレなんか。
大震災と日本古典文学 リスク管理の視点から
やっと10290字まで書き上げました。
最後の章は、「教育」とのかかわり。
これで後は夜に書こう。
このブログの非公開カテゴリにしまいました。
ずいぶんいろいろあったなぁ。この駄文を書くには。
ある程度目鼻がついたので、あす科学大に持参するつもり。
一回目は提出しているけれども。
あ、今朝、正門をくぐって、ヨレヨレと歩いていたら、前から来た
県立銚子の卒業生にあいさつされちゃったですわな。
オレ可能な限り、女性をじろじろ見るのは避けているんで、
池のアヒルちゃんをみながら歩いていたんですわい。気がつかなかったんです。
同級生だもんなぁ、きちんとこっちからもごあいさつ申し上げませんと。
(笑)
今日は思ったより早く原稿書きができたから、早く帰りますわ。
老いた犬が待っているから・・・・
?
ま、いいか。
順序が逆のような気がするけど。
明日の夜は、お世話になっている千葉科学大学に行く。
教授の先生方の自主研修会である。
愚生のような半端なモノにもお声がかかったから、喜んで出席させていただく。
そして、講義をいただく。
夕方5時からである。
大震災がらみである。
約2時間。
ノートを持っていこう。
大震災と日本古典文学という駄文を書いているのだが、リスク管理という視点で
なかなか結論までいかない。それと教育との関連をもたせて書いている。
この悩みにある種の回答をいただけるような気がするのである。
民俗学まで手を広げているから、材料はたくさんある。
しかし、こんなことを高校生あたりにくっちゃべったら、目を輝かして聞き惚れる
だろうなぁと思う。(^0^)
ただ単純に初歩的な古典文学をやって受験勉強と自称しているのとワケが違うからなぁ。
そういえばこの間、塾で、進学中堅校のN高校に行っている3年生に、大学受験の古典を教えた。
一緒にやっていたら苦労しているんで、この古典の文章は、実はこんなに簡単なことが
書いてあるんだよん!っていうたのである。
あっと言ってそれからが見事だった。すらすらであった。さすがである。
もっとも、この文章をそこまで解説するのは、オレも師匠から聞いて初めてわかったんだけどね。
師匠は平家物語でも日本の第一人者であるから。
あ、また書きすぎた。
これで擱筆ですわ。
昨日の柔道教室の稽古もまた楽しいものであった。
本当にかわいいものである。
童子たちというのは。
ある種、孫のかわいさと通じるものがある。
完全なボランティアであるから、なんのそろばん勘定もないし。
メリットとか、デメリットとかもない。
だいいちそんなもんで、オレは行動しとらんのである。
馬鹿も休み休みいいたまえと、いうこっちゃ(^0^)
退職したから、昇段料金も払えないし、一生このまんまじゃ。
そんな銭があったら、本を買いたい。
能楽研究の碩学表章先生のDVDをみていて、欲しくなった本があった。
Amazonでもかなり高い。
ムリじゃ。
オレには買えない。
あああああああああああ、現役の時にもっと買っていれば良かった。
後悔しちょるんである。
駄文の結末で迷っている。どう結論をつけるべきかという点で、ちょっと暗礁に乗り上げてしまった。
こういうこともあるんだから、なかなか難しいものである。
7000くらいの短い駄文ではあるが、あまり出来が悪いと掲載していただけないから、これまた
日々勝負である。
プロットはたてて書いている。井上陽水の曲の作り方が、フスマの貼り方と同じだという
ようなことをナニカの本で読んだことがあるが(確か、哲学者の鷲田小彌太先生だったと思う)
そうなんでしょうなぁ。
部分部分を先にいろいろ書いていると、後でまとめる時が楽である。そういうモンであろうと思う。
毎日学校に原稿書きに行っているようなもんだから、それこそ大学図書館の万巻の書物に囲まれて
書けることの仕合わせを感謝しているのである。
さ、今日もはりきっていこうっと。笑顔で。
(^0^)
孫を背負子に背負って、山へ芝刈りに行き、キノコのひとつでも採ってきて、里の家から持ってきた握り飯でも食いながら、夕陽を眺めていたいねぇ。
「おおおおお」
とか
「むむむぅ」とか言いながら。
そして、孫にタヌキの騙され馬鹿話とか、狐の嫁入りとか、向こうの山側からピカピカ反射してくる光を山の神さんが、いたずらしちょる
!なんて言いながら過ごしたいもんじゃのぉ。そうやって夜は、オレの懐に入れながら、抱っこして、トントンと軽く叩きながら、子守唄をうたってあげたい。
そして、孫も大きくなって、オレから離れて行ったら、山のてっぺんに立って、へたくそな謡でもうなって一人過ごしたいもんだ。そういえば、オレのオヤジ殿も、おじたちも、おばたちもみんな謡ができたっけ。そういう環境に育ったのに、全部忘れている。残念だよ。なんでできたのかねぇ。民俗学的には、おもしろい材料なんだけど、オレの専門とは違うからやらないけど。それでも、面白いですわなぁ。
来月、またまた性懲りもなく、孫のところに行くのだ。新米を持って。どうやら、母親(オレの古女房殿)というのは、娘のことがいつまでもかわいくてならんらしい。不憫と思っているのかな?そんなことはないだろうに。娘は娘でたくましく生きているっちゅうのにねぇ。甘いねぇ。まったく。
オレ?
もう娘のことは眼中にない。目の中にいるのは、孫のかわゆい顔ばかり。だって痛くないんだものねぇ。キーホルダーに写真までくっつけているんだから。
馬鹿じじぃでござりまするよ。
能楽の研究史をノートにまとめた。今、終わった。
やはり表章せんせの講義DVDはありがたかった。お亡くなりになったのは、まことに残念であるが。
厳しいことも言っておられた。W大学の研究者にやり直しを命じたという部分である。
厳しいものである。
底本の吟味なしにやっちゃいけない部分もあるからだそうだ。厳しいものだ。
めしも食わず、それこそ常時研究論文を書いていないといかんのじゃろうなぁ。こういう世界は。
今日は柔道の稽古にいくし、そのあとスポーツジムに行くし、それからどっこいしょと駄文を書き始めている
ようでは失格なんでしょうなぁ。でも、おれはこうやってじじぃになってきたのだしなぁ。
今更変えられんですワイ。
もっとも、あちこち駄文書きをこれからの生きがいにしていくから、健康で、雑談をしていればいいんだわな。
あせらないことだわい。あと、そんなに生きられないんだしねぇ。
(笑)
簡野道明先生の「唐詩選詳説上」(明治書院)の古本を買った。例の古本チェーンからである。
なんと250円である。
中はきれいである。
前の所有者が殆ど読んでいなかったと思われる。
実にきれいなままである。
当然書き込みもまったくない。
すばらしい秀才であったのだろう。眺めているだけでアタマに入ったのだろうから。
オレじゃぁムリだわなぁ。
(^0^)
オレのような鈍才に買われてよかったなぁと語りかけた。
これから、赤や黄色や水色のマーカーや、鉛筆でお化粧をしてあげるからである。
あ、それって迷惑か。。。。。。。。。。
つぶやきでメモったことを、やや長文の日記カテゴリでまとめるつもりである。
宮本常一せんせもそうするつもりである。
自分のためにである。
つまりノートのようなものである。
文章にするために、読書していると効果的である。書くために読むのは、オレにとっては
自分のための演習であるから。
ただし、間違っていたら、しょうもない。
その際はご連絡を。
?
そんな方はいないか。
だいいち、拙ブログは人気が無いからなぁ。
(^0^)
興福寺からお手紙が来た。昨日帰宅したら、書庫のちびた文机にぽんと置いてあった。
また行きたいなぁ。
?
興福寺の友の会会員になっているからである。信者ではないけれども。阿修羅に惹かれたからではない。
教義の唯識論を修士の時から勉強させていただいているからである。
ところが、これがとてつもなく難物である。とうてい、オレごときが・・・・と思う。
ま、あんまり文献からのみ入っていくと、顕教だと言われてしまうか。
空海さんに。
あ、こちらも信者ではございませんけど。なんでも教だから。
(^0^)
宮本常一せんせの「土佐源氏」っていう文章がある。
名作であるということは、知っていたんだが。
なんだか、とっつきにくい名前だなぁと思っていたから、岩波文庫の「忘れられた日本人」の
前後の文章を読んでいたんだ。
今日、大学に来るときに電車の中でこれを読んでいたら面白うてならぬ。
これはちょっと内容はここには書けないくらいえっちで楽しい。(笑)
柳田学とか、折口学とかのような書斎派民俗学とはまったく違いますなぁ。
ほんとはこっちをずっと読んでいたかったが、表章せんせのDVDを見て、ノートとりをする予定で
あったので、断念した。
つぶやきですからこれくらいにしましょう。いつも字数オーバーじゃ。