と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

昼のことを思い出さなかった・・・しょうもないねぇ

2012年09月24日 14時57分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

表章先生(法政大学教授であった)の講義DVDを、院生室のコンピュータで見ながら、ノートをとっていた。しょっちゅう画面を止め止めであった。さすがに碩学である。たいしたものである。

こういう碩学の教えがなければ、道を誤るところだったなぁと思う。そして、偶然ではあるが、歴史的手法によって、芸能史をやってしまっている。なんとなく導いていただいたような気がするのである。

Youtubeで法政が6時間分を公開してくださっているのである。それを全部録画ソフトで保存して、見させていただいているのである。ありがたいものである。他にも、中央大学が、同じようなことをされている。昨日は、雨も降っていたので、太宰治の講義を同じく録画させていただいた。こういう映像講義はなかなかいいものである。馬鹿にしてはいけない。監修もしっかりしているからである。大学の看板を背負っているから、素人の愚生なんかにはほんとにありがたい。NHKの「空海の風景」も全部録画して、DVDにした。こちらもノートを作ってしまった。ありがたいもんである。感謝感激。

今、午後の3時。あ、めしを・・・・・・忘れていた。これから、食べましょうかと思ったら、学食は終わっているのかなとふと思った。ま、いいか。食わなくてもさしたることはない。

これから帰って、おじーちゃんわんこと散歩して、夕食をありがたくいただいて、それからジムに行って、原稿を書こう。そのノートにもいろいろメモしてあるし。参考文献も相当できてきたから。



 

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今週も始まったですねぇ

2012年09月24日 09時22分58秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

なんだか毎日が日曜日みたいなもんだから、曜日の感覚がないですねぇ。

精神衛生上よくないですから、これから大学に行って、読書タイムですわな。

なにしろ、学割で半年分の定期券を買ってあるから、かなりお得でございますしね。

それもカードで買ってあるから、ポイントまでつくというおまけ付き。

図書館にでも行こう。先週、図書館の職員の方にちょっと声をかけていただいて、

え?・・・なんか悪いことでもしたんかいのと思ったので(借りた本を返していないとか)

びびっていたら、「学校始まりましたね、と~まさん」とやさしく言われたのです。

あ、どうしてオイラみたいなじっちを知っているんですかいと思ったが、じっちが若人に

混じっているから目立つんでしょうなぁ。

宮本常一せんせの全集本も読まなくちゃならんし。部分コピーもしなくちゃならんですし。

だって、オレの駄文は、まるっきり雑談みたいなもんだから、どんどん範囲が広がって

いるんでざますよ。

本格的な文章が書けなくては、ホンマにオレはいられなくなる。くわばら、くわばら。

 

今日は学食でなにを食べようかなぁ。

楽しみ、楽しみ。

(^0^)

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ノートの活用

2012年09月23日 23時31分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

駄文を本格的に書き直さなくてはならない。

で、ノートの活用である。薄くて安価なものを買ってきた。10冊で200円くらいのである。一冊20円か。スーパーマーケットの売り場で見つけた。最近は本当にモノにこだわらない。だって、年金生活なんだもんねぇ。こだわっっていたら、飯が食えない。(^0^)

それよりも、駄文書きを優先させないといかんでっせと思うのである。自分で投稿先を開発していかなくちゃならんのだから、これは困難じゃのぉと思へり。屁のようなもんだけど。

その安いノートに、いろいろこれまでの下書きを印刷して貼り付けて、書き込みをしている。明日、学校にも持っていくつもりである。ノートに「中世農民芸能源流考私見 宿神論の視点から」とつけた。殊勝だわなぁ。オレとしては。もうひとつある。こっちは「大震災と日本古典文学 リスク管理の視点から」ってな具合である。

ノートは、今日だけで5冊使い切った。コツがあるんである。書き抜きをしているヒマがないので、書庫にあるこれまた安いコピー機で書籍の該当部分をコピーして、ノートの片面に貼るのだ。そして右側にコメントを書いていくのである。それがオレなりの情報収集なのである。これで、随分時間の節約になる。英語もこれで勉強している。来年、英語の試験があるからである。不合格なら中途退学である。研究者としてたっていけないと評価されたらそれで終わり。ああ、恐ろしい。塾に行っているのも、英語のためだわなぁ。教える以上、勉強しなくてはならんからである。

非公開のカテゴリにしまってあるんだけど。ま、来月からある雑誌の編集を担当するから、ここにも投稿させていただきますわ。ありがたいかぎりであります。こっちは編集担当故、いろいろ書かせていただきますが。

楽しみ、楽しみですわぃ。

あ、また書きすぎた。オレって、話も長いけど、文も長い。この記事はつぶやきカテゴリに書いているんだから、短文にしなくちゃいけない。

いけないことばかりだなぁ。

お休みなさいませ!

 

 

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西洋風ということ

2012年09月23日 08時07分39秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

これも阿部謹也せんせの本を拝読していて感じたことだが、フランス文学かなんかやっている方のことが書いてあった。

かっこうのいい西洋風のご自宅に住み、しょっちゅう友人や、弟子達を招いては、西洋風に作った部屋で西洋の酒を片手に談論風発を楽しむ。それはそれでいい。そして、ベランダかなんかに出て、さらに西洋風の本格コーヒーとかの飲み物を飲む。まるっきり、日本にいるということを忘れてしまいそうになる風情。

そういう方でも、しかし、日本風のつきあいは忘れないのだそうである。でないと、学会で生き残れないのだろう。世間が支配しているからである。

また、隣近所とのつきあいも避けられない。葬式も自分が死んだら、自分で棺桶に入るわけにもいかんだろうからなぁ。誰かに入れてもらわないといかんですしね。

ワハハでありまする。

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民俗学のナントカさんというと

2012年09月23日 07時59分10秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

宮本常一せんせを、民俗学の・・・・と言うと

即座に

「あ、民俗学ね・・・・・・・・あああ、そう」と

さも民俗学をすべて知ったようなことをのたもう方が多い。

それこそ、

アホな愚生は

「あ、そう。なんでもわかっていらっしゃるのねぇ」って

その方を激賞してしまう。

民俗学の定義をどうやってされるのかを、お聞きしたいくらいである。

オレはなんにもわかっていないから勉強するんだし、ご指導もいただくわけである。

ひとつ言えることがある。

それは、オレには職業生活上の世間はないということである。

あ、もうひとつあった。この今住んでいる地に、故郷という世間はないということである。
だってオレのふるさとは東北だからである。おれの世間(故郷)というものはそっちなのだから。


※これは、ちょっと誤解を受けたようである。オレの出自について、藤村の破戒のごとき告白をしているのではない。よそ者であるということで、あるいは住む家がない、アパート住まいである(これって東京なら考えられないですわな)、この辺の進学校を出ていないということで、実際オレはいろいろな差別を受けたということを言っているのである。血筋なんて言い始めたら、天皇陛下以外にはダレも言及できる人間なんていないはずである。中世以降、あるいは近世以降に住み始めただけではないか。さらに、被差別の方々に、なんの配慮も無い人間が多すぎるということを言っているのだ。高見の見物で理想ばかり言っていてはいかんでっせ。((;゚Д゚))フン!?

 

要するに気楽なもんだということである。

(^0^)/ウフフ

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タレントなのか、なんなのか 「元」ナントカ様

2012年09月23日 07時41分15秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今朝の産経新聞に出ていたが、テレビに時々出てくる「元」警察官僚とか、「元」検事とか、「元」裁判官とかおられるが、あれって守秘義務をどうやってクリアーしているんかね?ってことだ。

まったく、そんなことをしないようにって、かつて部下には言っていたんじゃないのかね?保身のため、銭ほしさのためというのがミエミエですわな。

馬鹿を見るのは、まじめに現役でこつこつと働いている方々である。

だから、オレは可能なかぎり、元のお仕事のコメントはしない。あたりめぇである。そういう「世間」は、オレ、捨てたのだ。?捨てられたのかな(^0^)・・・・どうでもいいけど。

学生やっていると、その元のお仕事についてほんのちょっとでもプライドでも持っていたら、一日もモタないなぁ。学生であるからである。指導していただくのである。完全に受け身であるし、学力もないからである。でないと、学生になった意味がない。くだらない「元」なんとかというありもしないプライドを持っていたら、大学の先生も指導してくださらないだろうと思っている。厳しく指導されてかえってありがたいかぎりである。年齢は関係ないのだ。

学会活動をしたことがなかったから、オレはこれから戦々恐々だ。存在そのものを全否定される場合もあるからだ。そうやって、泣きながら、机をバンバン叩きながら成長していくのが学者さんなんだそうである。あ、オレは学者にはなれないからそんな心配はないか。もっとも、研究発表をする機会もないだろうけど(^▽^)

所詮庶民、常民でありますからねぇ。

 

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世間のしがらみからのがれられない

2012年09月23日 07時29分11秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

大学のせんせだって、大学の世間からのがれられない。学部の世間からのがれられない。

もし、そのことを忘れて、それこそ個人的な考えをしゃべり、大学批判、学部批判、オノレの学問批判を
しちゃったら、追放されてしまう。

だから、黙っていたほうがいいということになるわけだ。それが、日本の世間なんだってねぇ。

阿部謹也せんせのいわれるとおりですわなぁ。

もし自分の所属を批判するなら、2チャンネルあたりで、絶対匿名でやるしかないのが世間なんだろうね。

哀しいことでわ。

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個人的にはという台詞

2012年09月23日 07時24分33秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

ずっと違和感を持っていたのが、「個人的には・・・・・と思う」という台詞。

例文を出そう。

「個人的にはリンゴが好きです」

じゃぁ、公的には何が好きなのさ?ってことにつながる。

そもそも、個人というものが、日本社会にあるのかね?

みんな世間を気にしているだけ。

個人的には・・・・・と考えるというようなことをのたもう方がいる。

しかも、たくさんいる。

ほんとうにそうか?

個人的な考えって存在するのかね?

 

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柳田、折口との違い

2012年09月22日 23時30分09秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

柳田とか、折口とかは日本人の潜在意識的なものに、あるいは古い時代の魂の構造を
信仰的な面から書いている。

しかし、信仰的なものにいかないで、きちんと庶民の世界だけで終始したのが、宮本せんせである。

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主流になろうとするな

2012年09月22日 23時19分11秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

決して主流になろうとするな。
傍流であればこそ状況がよく見える。主役になればかえって多くのものを見落とす。
その見落とされたものの中に大切なものがあるのだ。

 

宮本常一せんせを面倒みた渋沢敬三氏の言葉である。

なかなかの言葉である。

 

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人間は伝承の森である

2012年09月22日 23時09分15秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

宮本常一せんせの言われた珠玉のような箴言である。

「人間は伝承の森」である。

まさに、まさに然りである。愚生と一緒で、名も無き庶民の智慧を求めての調査探究の生涯であられたと思うのである。父上の言葉もいい。

「汽車に乗ったら窓からよく外を見よ、そして田や畑に何が植えられているか、育ちがよいか悪いかをよく見よ、村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところに上って見よ」

いい言葉である。

今でも、愚生はこれを実践している。デジカメの時代である。なんぼでも撮れるではないか。柳田、折口学とは違って、文献を主流としているのとは対極にある宮本せんせのスタイルである。いいものである。

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世間とは排他的である

2012年09月22日 22時57分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

世間とは「排他的」である。
その一点において、差別とつながる。

職場でも、学校でも、住居でも、国土でも。
良い例が、葬式に出ないというものは、世間から認定されない。

身内であると認められないというわけだ。

また、世間体があるから葬式に出るわけであって、それはなにも宗教性を意味しない。
これは日本特有のことである。ヨソ様と香典の違いがあってはならないと、そこまで
気にするわけである。これは、世間体宗教であって、宗教でもなんでもない。

ある学会で、学会員の殆どが特定大学の出身だからと言って、肩組んで特定大学の校歌を
歌うようなものである。
実際にそれを聞いた東京帝大のせんせが、呆れたと言っていたことを覚えている。

この面からいろいろと考えていくと面白うてならない結果が招来するような気がするのである。

 

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なぜ世間学か

2012年09月22日 11時59分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

なんでこんなに面白いかというと、世間学から見ると、オレが今まで阿部先生流の差別というものをされてきた理由がよくわかったからです。オレには、なるほど阿部先生の言われるような世間が、この地には無い。このことは、ヨソのところに発表させていただく駄文にも書かせていただきますが、長文の読書ノートのカテゴリでも書いてみましょう。いつかは。

よそ者だということだけで、差別される。このことは間違いがないのでしょうなぁ。被害にあっている方の感じ方で、条件はみたされるんですからねぇ。セクハラとか、アカハラとか、パワハラと一緒でございまするよん。

あんまりいい気になっているといかんということですわなぁ。訛っているヒトに、と~まよ!オメェは随分訛っている、どこの出身だ?きたねぇ言葉だなぁと何度も言われて参りましたからね。江戸方言だって、ヒトのことは言えないでしょうけれども。そういうのと一緒でしたから。喜劇か漫談っすねぇ。(アッシは、東北弁のプロでありますが・・)(^0^)/ウフフ

あ、あたまのつるつるは違いまっせ。これはオレ、自覚しているから。でも、これも受け取り方一つでは差別になるんでしょうなぁ。あまり他人には言わんほうがよろしいでしょう。

それと人権という問題にも言及されているし、なかなかであります。個人というもののあり方、あるいは、日本人に個人という概念はあり得るのかということも含めて、午後からまた楽しいひとときでありますよん。

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世間学っちゅう学問があるそうだ

2012年09月22日 11時54分22秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

世間学って学問があるのを初めて知って、(いつもお世話になっている科学大の教授から教えていただいた)さっきまで読んで、ノートをとっていました。さらに、後4冊ほど県立図書館から借りてきたのですが。楽しいですね。同じ著者であります。一橋大学の教授、学長でありました阿部謹也先生。駄文に活かせるだろうからとご指導をいただいたからですが。

そして、ちょっと疲れたので、拙ブログで「つぶやき」を。これって、さっとできて、まるでTwitterみたいです。どうせ、オイラのメモでしかないけど。

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スーツを選ぶか、青の柔道着を選ぶか

2012年09月22日 11時45分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今、Twitterを見ていたら、制服として、大学のせんせとか職員が、スーツを選ぶか、青の柔道着のどっちにするか?と問われたら、どうするかというのが話題になっていて呵々大笑。お互い、柔道着を着ていたら、勝負は早い。袈裟固めが決まる。なんていろいろ書かれていた。おかしいねぇ。相手が素人だったら、こりゃ勝負にならんでっせ。(@^▽^@)

インターハイクラスに出ていたオレのクラスの生徒(高校)が、陸上だったんだけど、学校行事に柔道の寒稽古をやっていた高校であったから、顧問のオレは毎朝6時から一週間毎日一般生徒たちと稽古していたのだった。で、やっこさんはオレに挑戦してきたことがあったっけ。もういい年なんだけど。あっちも。やっこさん、やる前は自信満々だったんだ。身長も180と高いしね。と~まなんかには、かる~く勝てると広言していたのだ。にこやかに、さわやかに。どうしてもオレごときに負けるわけにはいかないと何度も言ってきた。笑いながらである。そうかぇ、そうかぇと軽く受け流していたんだ。ところが、何度やってもオレにまけっちまう。立ち技はかわいそうだし、痛いだろうから、寝技で押さえ込みをしかけたのだった。こっちは関節技を最も得意としているが、さすがにそれは仕掛けなかった。悔しかっただろうなぁ。ヒトは見かけによらずという見本でおますよ、オレは特に。その後大学に行ったっけなぁ。アスリートの大学に。
(^0^)/ウフフ

種目が違うとこうなるんですよ。ホンマに。かわいい生徒でしたが。今は、どうしているんかいのぉ・・・・・会いたいね。

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/