最高裁判所裁判官国民審査
2009年9月6日(日)
最高裁判所裁判官国民審査で面白いことを発見した。
ただし、これは、私がかってに行った「補正」の結果で、である。
次のように「補正」した。
1 涌井氏と那須氏については、衆院選の「1票の格差」を巡る07年の最高裁判決で合憲とする意見を出した。
2 多分このことによる影響と思われるが、罷免率は涌井氏が7.73%でトップ、那須氏が7.45%で2位となった。
3 涌井氏と那須氏について、仮にこの影響がなかったとしての罷免数(「影響がなかった罷免数」)を推計した。
まず、涌井氏と那須氏を除いた裁判官の罷免数の平均(A)と、涌井氏と那須氏の罷免数の平均(B)を出した。
そして、涌井氏の「影響がなかった罷免数」=(涌井氏の罷免数)-(B-A)と推計した。(那須氏も同様)
写真は、この「補正」の結果による罷免数をグラフにしたものである。
名簿搭載順(左→右)に「×」票が多いということである。しかも、見事にほぼ等差級数的になっている。
これは、果たして偶然だろうか?
国民審査については、「形骸化」が指摘されている。実際、ほとんどの国民は判断せずに(できずに)、白紙で投票しているのではなかろうか。つまり、本来「棄権」となるはずが「信認」になっているのだ。
投票方法を改め、信認は「○」、罷免は「×」にし、他は白票扱いにすべきだ。
情報不足による判断材料が少ないということも大きい。
マスコミが、せめて裁判員制度並みの報道をしていたら、結果は違っていたと思うのだが・・。(涌井氏と那須氏は「×」がはるかに多くなっていたと思う。)
363PV,132IP
2009年8月30日(日)
私には、今回の選挙で楽しみなことがある。それは、最高裁判所裁判官国民審査の結果がどのように出るかということである。
私はこれまで、最高裁判所裁判官の国民審査は全て「×」をしていた。自らを「反体制側」の人間と規定し、体制の権化である最高裁を否定するのは当然と思っていたからである。(単純バカ)
しかし、世の中そんな単純なものではない。
今回は、審査公報や新聞記事を参考として、自らの考えと比較し、「×」を付けるか付けないかを、十分検討した。
思いがけないことに、最高裁の裁判官にも、私の考えに近い人がいた。田原睦夫氏だ。
審査公報には、この人が関与した主要な裁判が5例出ていたが、その内3例は少数意見だ。つまり、最高裁の裁判官ではマイナーな存在ということである。
私も世の中では、マイナーな方だと思っているので、やはりそれが裏付けられたという思いがした。
それはともかく、私が「×」をしたのは、竹内行夫、涌井紀夫、那須弘平、近藤崇晴の4氏だ。このうち、涌井氏と那須氏は、2007年最高裁判決で、「一票の不平等」を合憲としており、論外と思った。
関与した裁判例が少なく、判断が困難な人については、「×」を付けるわけにはいかず、結果的に「信任」になった。投票方法を改めて、棄権(例えば△を記す)ようにすべきだろう。
いや、「×」を付けないのは信任と見なすのではなく、信任は「○」を付けるようにすべきだろう。
さて、私と同じマイナーな存在の田原氏の不信任の率が高いか低くでるか、非常に楽しみである。
2009年9月6日(日)
最高裁判所裁判官国民審査で面白いことを発見した。
ただし、これは、私がかってに行った「補正」の結果で、である。
次のように「補正」した。
1 涌井氏と那須氏については、衆院選の「1票の格差」を巡る07年の最高裁判決で合憲とする意見を出した。
2 多分このことによる影響と思われるが、罷免率は涌井氏が7.73%でトップ、那須氏が7.45%で2位となった。
3 涌井氏と那須氏について、仮にこの影響がなかったとしての罷免数(「影響がなかった罷免数」)を推計した。
まず、涌井氏と那須氏を除いた裁判官の罷免数の平均(A)と、涌井氏と那須氏の罷免数の平均(B)を出した。
そして、涌井氏の「影響がなかった罷免数」=(涌井氏の罷免数)-(B-A)と推計した。(那須氏も同様)
写真は、この「補正」の結果による罷免数をグラフにしたものである。
名簿搭載順(左→右)に「×」票が多いということである。しかも、見事にほぼ等差級数的になっている。
これは、果たして偶然だろうか?
国民審査については、「形骸化」が指摘されている。実際、ほとんどの国民は判断せずに(できずに)、白紙で投票しているのではなかろうか。つまり、本来「棄権」となるはずが「信認」になっているのだ。
投票方法を改め、信認は「○」、罷免は「×」にし、他は白票扱いにすべきだ。
情報不足による判断材料が少ないということも大きい。
マスコミが、せめて裁判員制度並みの報道をしていたら、結果は違っていたと思うのだが・・。(涌井氏と那須氏は「×」がはるかに多くなっていたと思う。)
363PV,132IP
2009年8月30日(日)
私には、今回の選挙で楽しみなことがある。それは、最高裁判所裁判官国民審査の結果がどのように出るかということである。
私はこれまで、最高裁判所裁判官の国民審査は全て「×」をしていた。自らを「反体制側」の人間と規定し、体制の権化である最高裁を否定するのは当然と思っていたからである。(単純バカ)
しかし、世の中そんな単純なものではない。
今回は、審査公報や新聞記事を参考として、自らの考えと比較し、「×」を付けるか付けないかを、十分検討した。
思いがけないことに、最高裁の裁判官にも、私の考えに近い人がいた。田原睦夫氏だ。
審査公報には、この人が関与した主要な裁判が5例出ていたが、その内3例は少数意見だ。つまり、最高裁の裁判官ではマイナーな存在ということである。
私も世の中では、マイナーな方だと思っているので、やはりそれが裏付けられたという思いがした。
それはともかく、私が「×」をしたのは、竹内行夫、涌井紀夫、那須弘平、近藤崇晴の4氏だ。このうち、涌井氏と那須氏は、2007年最高裁判決で、「一票の不平等」を合憲としており、論外と思った。
関与した裁判例が少なく、判断が困難な人については、「×」を付けるわけにはいかず、結果的に「信任」になった。投票方法を改めて、棄権(例えば△を記す)ようにすべきだろう。
いや、「×」を付けないのは信任と見なすのではなく、信任は「○」を付けるようにすべきだろう。
さて、私と同じマイナーな存在の田原氏の不信任の率が高いか低くでるか、非常に楽しみである。