広島交響楽団第406回被爆75年特別演奏会
2020年12月18日(金)
12月10日、広島交響楽団の演奏会へ行って参りました。
指揮のフェドセーエフは、コロナのため、入国後2週間待機しての来広でありました。
アンコールとして、チャイコフスキーの祈りを演奏したのでありますが、その前にマエストロはマイクを握り聴衆に語りかけました。
広島の原爆による惨禍、第一次世界大戦でのロシアの惨禍は共通するところがある。音楽の力で乗り切ることが出来る。→自信はないのですが、そのような趣旨だったような気がします。
最近ですが、チャイコフスキーの音楽が鼻につくようになったんです。一口で言うと大仰なんですね。ダイナミックで興奮させられるんですが、曲に気持ちが入っていけないと、ただただ騒音にしか聞こえないことがあります。本日も少々五月蠅いと感じる部分がありました。
メインディッシュは、ショスタコの5番です。
ショスタコーヴィチって、スターリンがいなければ、結果的にではありますが、大作曲家としての評価はなかったのではないかと思うようになりました。
何時粛正されるか分らないといった緊張感での作品って、身に迫るものがあります。
この5番も、爆発へ持っていくまでの緊迫感が凄まじいです。不協和音っぽい旋律で聴く者をして頭の中が締め付けられるような感じになり、シンバルや大太鼓の一撃により瞬時に解放されるんです。注 音楽は、言葉で表現できないこと表現するものだということですので、私のこの感想が言葉になっていなくても不思議ではありません。(笑)
第三楽章で、珍しい分奏がありました。弦の弱音によるユニゾンで始まるのですが、音が小さいので見回すと、どうも第二ヴァイオリンの末尾の二人が演奏しているようでありました。(「どうも」というのは、私の席から見るとそのように見えたということです。)目をヴィオラに転じると、内プルトだけの演奏です。その奥のチェロを見ると、(チェロのパートを前と後ろという言い方をするとして)前半の人だけの演奏でした。えーっ!という感じで、コントラバスまで確認する余裕がありませんでした。(笑)
クライマックスは、もちろんエンディングの部分であります。ショスタコーヴィチにしては、小太鼓が少ない曲でありましたが、その代わり大太鼓の出番であります。大太鼓の音圧って、他の全ての楽器を足してもまだ足りない位の音圧であります。それが、パーカッションが、最強で連打する訳ですので、興奮の極致に達するのは当然であります。「興奮」というか、もうその時点では、意識が半濁状態になっております。ただ、もう少しテンポを遅くして余韻を作って欲しかったと思いました。
あと、部分的ですが、ピッコロのスフォルツァンドが凄かったです。このスフォルツァンドを聞いただけで、この演奏会は価値があったと思えるほどでありました。
演奏会の前にお好み焼きを食べました。
検温です。
大きな排気ダクトがありますので、換気も十分と思います。
各テーブルにもアルコールを配置していますし、取り皿をペーパーで覆うなど、感染対策は十分と思いました。
私は、お好み焼きにソースをかけずに食します。食の旨みをより感じるように思いますよ。wifeがかけているソースの色が毒々しく思えるほどであります。(笑)
本日の演奏会の記事が地元中国新聞に掲載されていました。
席は、一席ずつ空けてでしたので、全席埋まっても約1000席です。これが続くと、広響の経営は成り立たなくなりますね。心配であります。
私たちが座った席からであります。
以下は、フェドセーエフが5年前に広島で演奏を行った時のブログです。
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広島平和チャリティコンサート2015
2015年5月29日(金)
広島では、夏になると、平和コンサートが開かれます。原爆犠牲者に対する鎮魂及び平和への願いからです。時に凄い演奏者が来ることがあります。
今回、レーピンが来るというので、大いに期待しました。ただ、結論的にはフラストレーションの溜まるものになりました。
・2015年5月27日、広島文化学園HBGホール。
・指揮:フェドセーエフ
・ヴァイオリン独奏:レーピン
・演奏:チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ
・弦楽セレナーデハ長調
・瞑想曲「懐かしい土地の思い出」
・交響曲第6番「悲愴」
弦楽セレナーデって、こんなに冗長に感じる曲かと思いました。第一楽章と第四楽章で十分です。率直に言って、退屈しました。一緒に行った楽友も同じような趣旨のことを言ってましたです。
チャイコフスキの瞑想曲って、知りませんでした。ヴァイオリン独奏のある15分程度の曲なんですが、レーピンに期待していた者としては、がっかりです。曲名のイメージからして、切った張ったというテクニックのある曲とは思えないのですが、それにしてもヴァイオリン独奏が凡庸です。もっと言えば息抜きの曲かと思いました。一緒に行った楽友が、プログラムを見乍ら、明日から3夜ヴァイオリン協奏曲が続くと言っていましたが、強行日程の前ですので、少し気休めがあったのか・・。私は密かにアンコールでショートピースを演奏するかと期待していたのですが、聴衆の熱い拍手も無視(私にはそう感じました。)されました。残念至極。
「悲愴」は、鬼のようなピアニッシモを期待していたのですが、どうもロシアのオケって、日本人的な感覚の繊細さは苦手のようです。私は余程か、我が広響の方が上手かと思いましたよ。音色とか微妙なニュアンスの出し方は、冷静客観的に考えても広響の方が良いです、ハイ。ダイナミックさでも、第四楽章の冒頭なんかは、これ以上はないというようなスフォルツァンドが必要と思うのですが、それも感じられませんでした。もっとも、第三楽章が終わり「盛大」?な拍手どころか、ブラボーが聞こえたので、拍子抜けしたのかも知れません。この拍手は残念でした。我が広島の聴衆として恥ずかしいです。
悪口ばかり書きましたが、この演奏会は、チャリティとなっていて破格のS席5,000円也ですので、コスパは抜群です。翌日、つまり28日はサントリーホールで演奏があるのですが、こちらの方はS席16,000円です。而してサン(倍)トリーホールと申します。
http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20150528_M_3.html
悪口ばかりではありません。アンコールを3曲もしてくれました。最後のハチャトリアンのガイーヌから「レスギンカ」では、聴衆を熱狂の渦に巻き込みました。この手の演奏会としては、かなりの人がスタンディングオベーションで応えていました。何時ものことながら、音楽には国境はないです。
ツツジが咲いていますが、今年はどうしたのでしょう。例年ですと、散った後です。
当日券もあったのですね。私は楽友2人及び小学校の同級生夫妻と計5枚買ったのですが、前売り券に並びました。私が最前列でした。
オケの配列が珍しかったです。コントラバスが左でチョロがファーストヴァイオリンの後方、右に第二ヴァイオリン、その後方にヴィオラという配列でした。私は気が付かなかったのですが、楽友が言うには、ホルンがチューバの前にいたとか。
これ、私が座った席なんですが、S席でも最高の場所と言って良いところです。その証拠?に広島市長が私の席から5,6席右でした。M市長って、このコンサートの名誉顧問になっていましたので、当然招待券でしょう。(根拠はありません。私の憶測です。)
余談ですが、小学校の同級生のご主人が急な出張で来られなくなり、その同級生はM市長の奥様を誘って来ていました。チケット代金をもらっていなかったので、同級生の席まで回収に行きM市長の奥様にも儀礼的に挨拶することに。何を言っていいか分からず、「御主人も来ておられますね。」と間の抜けたことを言ってしまいました。・・ということは、名誉顧問でも、招待券は1枚しかもらえないということ?(根拠はありません。私の妄想です。)
アンコール3曲というのは勿論文句はないのですが、レーピンには是非ヴァイオリン協奏曲をやって欲しかったです。弦楽セレナーデは要りません。
楽友と反省会をしたのは、申すまでもありません。
先ほど、広響のホームページを見ると、12月に予定していた演奏会が中止になっていました。この数日の広島での感染拡大の状況を見るとやむなしであります。
つくづく、フェドセーエフが来日できて、幸運でありました。