合宿を終えたご褒美に南古谷ウニクスで足つぼマッサージをし、帰宅して夕刊読んでたら「日本国憲法の超口語訳が話題に」という記事が載っていた。
たとえば日本国憲法の前文はこう書き始める。
~ 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 ~
愛知県の大学生がつくった超口語訳では、こうなるそうだ。
~ 俺らはちゃんとみんなで選んだトップを通じて、
うちらのそのガキのまたガキのために、ご近所さんと仲良くして、
みんなが好きなことできるようにするよ。
また戦争みたいなひどいことを起こさないって決めて、
国の基本は国民にあることを声を大にして言うぜ。それがこの憲法だ。 ~
調べてみて気付いたのだが、憲法って歴史的仮名遣いで書かれているのだ。
たしかに文語だから、「口語訳」っていう言い方は間違いではないのか。
朝日新聞さんは、好意的にとりあげているわけだが、この訳はどうだろう。
よくなっている点が一つある。
原文が1文であるのに対して、訳は2文になっていること。
よい文とは、意味が正確に伝わる文のことだ。
そのために、一つの文は一つの内容を表現しなければならない。
文学的な文章では別だけど。
だから、一文に次元の違う内容をあれもこれも詰め込んだ日本国憲法は、一種の悪文だ。
小論文指導で、生徒さんがこんな文を書いて持ってきたら、がっつり赤を入れることになる。
大事なのは中身だと多くの人は言うと思うけど、その中身自体が把握しにくい文を「よいもの」とは、おれは思わない。
趣旨はかえなくていいから、文章そのものの改訂のために「憲法改正」は必要だとさえ考える。
中身がわかりにくいからこそ、こういう「超口語訳」なるものが書かれるはずだし。
しかし憲法大好き朝日新聞さんが注意しないのが解せないのだ。
大事な大事な日本国憲法を、しかも「前文」を、こんな品のない言葉に置き換えるなんて! と怒ってもいいぐらいだと思うのだが。
こういうのを見ると、うれしくなる大人っているんだよね。
これは大学生が作った訳だそうだが、不良高校生なんかが書いてたら、もっと喜んだはずだ。
「彼らは、彼らなりに自分のことばで、一番大切なものを感じようとしている。それに対して大人は … 」的な論評を書くにちがいない。
そういうのこそ「上から目線」というのに気付かずに。
訳す側も、それをほめる方にも、「媚びる」気持ちが濃厚に感じられて気持ち悪い。
専門用語では、今の感情をたしか「虫酸が走る」という。
こんな「超口語訳」を認める大人にはならないようにしよう。
「ガキ」とか「戦争みたいなひどいこと」とか、こんな言葉遣いを認める国語に先生にならないようにしよう。
「大阪府立高の女性教諭、風俗店でバイト」という記事があった。
借金の返済に困った先生が、風俗店でアルバイトし約160万円を稼いだという。
~ 府教委は「地方公務員法が定めた副業の原則禁止に抵触するのはもちろん、教師が選ぶ仕事として甚だしく不適切だ。今後、服務規律の徹底を図りたい」としている。 ~
いろいろあるねえ。でも、府教委の言葉については、「職業差別につながるおそれがある」と警告した方がいいのではないだろうか。おれらの仕事って、あんまりかわんないよね。