体育祭予選は、雨模様のため体育館での実施となった。
いつもより少しはやく練習をはじめられたので、一年生と上級生を分けての合奏、そして全員で西部地区で演奏する曲の合奏。一年生たちも、吹けてはいないけど、先輩の隣にいれば楽譜のどこをやっているのかは見落とさなくなっているようだ。
たぶん明日は体育祭で授業はないだろうと思いながら、授業の予習も少しする。
高校2年の現代文といえば「山月記」だ。
その昔、ばりばり勉強してた頃、「分析批評」や田中実先生のご本を読み込んで、気合い入れて授業をすすめ、最後に「この小説の主題はなんだろう? ノートに書いてみて」と発問をする。
指名した何人かが黒板に出て書きはじめたのを見て愕然とした記憶がある。
「人間は努力が大切だ」「友情の大切さ」「自分のやりたいことを信じよう」 … 。
伝わってなかった。文学とは何ぞや的な話でまとめようと思っていたのだが。
自分の授業の未熟さも自覚したつもりだが、彼らがそれまでに受けてきた国語の授業にも多少は責任はあるのではないかと思った。
やたら道徳チックなお説教になってしまう国語の授業に。
ていうか「主題」の定義さえ決まってないのが、今の国語教育なのだけど。
あらためて「教師用指導書」を読んでみると、やはり道徳チックに書かれていた。
「詩人としての才能を自負するあまり、周囲との関係における人間性を失ってしまった者の悲劇性」(第一学習社)とかね。
ていうか(また、使ってしまった)、この主題、日本語としても未熟だし。
「詩人としての才能の故に、本来の自身を見失って、運命に翻弄されて人間性を失ってしまった者の悲劇」とまとめることもできるであろう … とも書いてある。
まず、この日本語を生徒さんに添削してもらうことから始めようか。
「人間性」て何。
有名な「尊大な羞恥心」とか「臆病な自尊心」という言葉があって、このように表現される李徴の状態を「人間性の失われた状態」としているようだが、逆じゃね?
自尊心がつよすぎて臆病になってしまうなんて、これほど人間的なことがあろうか。
指導書を書かれるような先生方にもっと勉強してもらうためにも、この俺様の考えをがっつり書いてさしあげようかな。