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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

県庁おもてなし課

2013年05月20日 | 演奏会・映画など

 高良「あんたらに一番足りないものを教えてやろうか。民間感覚だよ」
 錦戸「はあ … 」

 

 効率よく利益を追求することが民間企業の第一目的であれば、そりゃあ役所に「民間感覚」が欠けているのは当然だ。世の中には効率最優先だけではうまくいかないこともある。民間企業が手を出せないことでも、長期的な展望に立って住民の利益となるなら、効率を無視して取り組まねばならないこともある。それが「公」として存在する理由の一つだ。
 ま、みんな理屈はわかってるんだけど。
 わかってはいるけど、いくらなんでもそれはないでしょという姿が見えてしまうから、つい「そんなお金の使い方は、そういう時間の使い方は『民間』では考えられない」と批判してしまうのだろう。

 そういえば、先日の西部地区吹奏楽連盟の会議での話。
 研究発表会の日程を検討する段になり、給料日(20日)には大会を入れない方がいいという話があった。20日に割り当てられた日への出張に難色を示す管理職がいたという。
 「はあ? 江戸時代か!」と内心思ったけど、もちろん口には出さない。県立高校さんは毎週木曜は職員会議が入っているため、その日はたぶん運動関係も公式戦は入らない。組織の論理が対外的なものに優先してしまうという意味で、「民間感覚」とはほど遠い感覚の一つだろう。
 じゃあ「民間感覚」の導入が絶対的に正しいのかいうと、そうも思えない。
 まして学校は、効率優先の考えとは真逆のありようで動かなければならないことの多い職場だ。
 前時代的な感覚が残っていることがかえって落ち着いた空間を成立させるためにはたらくこともあるだろう。

 もっといえば、民間企業でもダメダメな人はいっぱいいる。
 公務員なのに、なんでそんなに私生活を顧みずに働くの? という人もいる。
 「学校の先生も、一般の企業ではたらいてから先生になった方がいいんじゃないかな、先生は世間知らずだからさ」的な話をたまに耳にする。
 なるほどとは思うものの、そうしたからといって、学校にはない世間の論理を身につけて教育にいかせるようになる人とそうでない人はいるだろう。
 民間企業も、とくに大きな会社ほど、その会社独自の論理で動いているので、世間一般の人から見たらとんでもない風習があったりするものだし。
 いきおいで言ってしまうと我々は、民間企業に勤めていたり、自営であったり、つまり世間を知ってらっしゃるはずの方とふれあう機会も多々あるけど、ほれぼれするような社会性を感じられる方もいれば、唖然とする場合もけっこうあるのだ。

 結局人の問題なんじゃないかな。
 役所だから、民間だからという話ではなく。
 堀北真希ちゃん(もう、ちゃん付けはおそれおおい女優さんだが)は、アルバイトの職員だけど、「おもてなし課」の誰よりもいい仕事していた。
 その影響をうけて課のメンバーもどんどん前向きになっていく。
 一見かわいく、華奢で、つい支えてあげたくなるビジュアルでありながら、芯はしっかりもっていて、筋を通すべき所は通し、常に男を立てる気持ちを失わない。
 有川浩さんの描く理想的な高知女性の姿なのかなと思った。
 大はしゃぎしないお芝居なのに、実は内面では別のことを考えていることの表し方の度合いも絶妙で、さすがに映画でもドラマでもいつも主役をはり結果を残している人はちがうと思った。
 作品自体はつめの甘い部分もあると評する人もいるかもしれない。
 役所の描き方なんかは類型的にすぎるかもしれないし。
 でも、この女優さんを見てるだけで、世の中のお父さんは満足するだろう。
 そして、もう一人。錦戸君も「煮え切らないいい人」を好演してたが、サブストーリーのもう一つのカップルを演じる高良健吾さん。この俳優さんは泣かせる。
 いま、有川浩さんが書いた小説は、すべて映画やドラマや舞台になるいきおいだが、安心して笑って泣いてきゅんとしたいときには、有川作品はどんな形態であってもてっぱんだ。

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5月20日

2013年05月20日 | 学年だよりなど

 学年だより「孤独」

 「孤独」という言葉はマイナスのニュアンスでとらえられることは多いが、むしろ「孤独」は人を成長させるうえで、きわめて大切だ。
 孤独とは友達がいないことではないし、一見友達がたくさんいるように見えても孤独な人はいる。
 自分が一人になることをおそれるあまり、それほど気の進まない人との関係を無理に続けている場合は、そんな人が大勢いても孤独感が薄れることはない。
 自分の意志で一人の世界にすっと入っていける力、つまり積極的に孤独に入り込む力は、自分を成長させる。
 そういう姿勢を認めない友人がかりにいたとしたら、ただちに関係を断った方がいい。


 ~ その方法は簡単です。携帯電話などの一切の連絡ツールの電源を切った上で、カフェで勉強をするのです。スタバでも、ドトールでも、サンマルクでも、どこでもいいです。ただし、個人経営の喫茶店の様なひと気のないところはNGです。
 周りにいわゆる群れがいて、ワイワイしているような環境がベストです。だから、マクドナルドでも、モスバーガーでも、ケンタッキーフライドチキンでもOKです。
 で、そんなワイワイガヤガヤと、周りの群れが駄弁っている中で勉強をすると、どういう気持ちになるでしょうか?
「一人で勉強している俺ってカッケー、最強ー」
「君たちうるさいなー。僕は勉強をしているのだよ」
「やれやれ、若くてヤンチャってのはうらやましいものだね」
 などと、一人勉強をしている自分に軽い優越感を覚えることに気づくと思います。
 つまりこれにより、一人で行動することに優越感や快楽が条件づけられるわけです。
 そして、この一人カフェ学習を繰り返すことにより、あなたには孤独を屁とも思わないような、強じんな精神力が身につくというわけです。
 そして、これでわかったと思います。よくスタバでマックブックエアを開いて仕事している人を揶揄して「俺ってノマドだぜ~って感じでうぜー!」って言っている人がいますが。
 彼らもまた、孤独訓練の最中の方かもしれませんし、既に悟りの境地に達し、その周囲とのコントラストの優越感から、モチベーションを高めつつ仕事や勉強に勤しんでいるわけです。
 まあ、周りを見下すという考え方について、抵抗感があるかもしれませんけどね。ただ、周囲との比較から優越感を覚えることこそが、行動と快楽を結びつける上で最も合理的な方法なのです。 (関口智弘『群れない力』経済界新書) ~


 「なあ、どこそこで一緒に勉強しない?」と誘うのをまずやめよう。
 勉強は一人でするものだ。勉強はどこででもできるものだ。
 自分の頭でじっくりかみしめる時間があってはじめて、勉強したことが吸収されていく。
 そういう孤独の時間をもてるようになると、大人に一歩近づける。

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