高良「あんたらに一番足りないものを教えてやろうか。民間感覚だよ」
錦戸「はあ … 」
効率よく利益を追求することが民間企業の第一目的であれば、そりゃあ役所に「民間感覚」が欠けているのは当然だ。世の中には効率最優先だけではうまくいかないこともある。民間企業が手を出せないことでも、長期的な展望に立って住民の利益となるなら、効率を無視して取り組まねばならないこともある。それが「公」として存在する理由の一つだ。
ま、みんな理屈はわかってるんだけど。
わかってはいるけど、いくらなんでもそれはないでしょという姿が見えてしまうから、つい「そんなお金の使い方は、そういう時間の使い方は『民間』では考えられない」と批判してしまうのだろう。
そういえば、先日の西部地区吹奏楽連盟の会議での話。
研究発表会の日程を検討する段になり、給料日(20日)には大会を入れない方がいいという話があった。20日に割り当てられた日への出張に難色を示す管理職がいたという。
「はあ? 江戸時代か!」と内心思ったけど、もちろん口には出さない。県立高校さんは毎週木曜は職員会議が入っているため、その日はたぶん運動関係も公式戦は入らない。組織の論理が対外的なものに優先してしまうという意味で、「民間感覚」とはほど遠い感覚の一つだろう。
じゃあ「民間感覚」の導入が絶対的に正しいのかいうと、そうも思えない。
まして学校は、効率優先の考えとは真逆のありようで動かなければならないことの多い職場だ。
前時代的な感覚が残っていることがかえって落ち着いた空間を成立させるためにはたらくこともあるだろう。
もっといえば、民間企業でもダメダメな人はいっぱいいる。
公務員なのに、なんでそんなに私生活を顧みずに働くの? という人もいる。
「学校の先生も、一般の企業ではたらいてから先生になった方がいいんじゃないかな、先生は世間知らずだからさ」的な話をたまに耳にする。
なるほどとは思うものの、そうしたからといって、学校にはない世間の論理を身につけて教育にいかせるようになる人とそうでない人はいるだろう。
民間企業も、とくに大きな会社ほど、その会社独自の論理で動いているので、世間一般の人から見たらとんでもない風習があったりするものだし。
いきおいで言ってしまうと我々は、民間企業に勤めていたり、自営であったり、つまり世間を知ってらっしゃるはずの方とふれあう機会も多々あるけど、ほれぼれするような社会性を感じられる方もいれば、唖然とする場合もけっこうあるのだ。
結局人の問題なんじゃないかな。
役所だから、民間だからという話ではなく。
堀北真希ちゃん(もう、ちゃん付けはおそれおおい女優さんだが)は、アルバイトの職員だけど、「おもてなし課」の誰よりもいい仕事していた。
その影響をうけて課のメンバーもどんどん前向きになっていく。
一見かわいく、華奢で、つい支えてあげたくなるビジュアルでありながら、芯はしっかりもっていて、筋を通すべき所は通し、常に男を立てる気持ちを失わない。
有川浩さんの描く理想的な高知女性の姿なのかなと思った。
大はしゃぎしないお芝居なのに、実は内面では別のことを考えていることの表し方の度合いも絶妙で、さすがに映画でもドラマでもいつも主役をはり結果を残している人はちがうと思った。
作品自体はつめの甘い部分もあると評する人もいるかもしれない。
役所の描き方なんかは類型的にすぎるかもしれないし。
でも、この女優さんを見てるだけで、世の中のお父さんは満足するだろう。
そして、もう一人。錦戸君も「煮え切らないいい人」を好演してたが、サブストーリーのもう一つのカップルを演じる高良健吾さん。この俳優さんは泣かせる。
いま、有川浩さんが書いた小説は、すべて映画やドラマや舞台になるいきおいだが、安心して笑って泣いてきゅんとしたいときには、有川作品はどんな形態であってもてっぱんだ。