『老人喰い』は、いわゆる「オレオレ詐欺」がどういう「システム」で行われているかを知ることができる。
そう、システム化されているのだ。ここまできちっと統制のとれた形になっているとは想像もできなかった。
事務所に集い電話をかけるプレイヤーたち、それを束ねる人、名簿の供給者、「受け子」とよばれるお金の受け渡し役 … 。
電話役になる人たちの研修の様子や、勤務の実態、またマニュアルの内容なども、実に詳細かつリアルに説明されていて驚く。よくここまで踏み込んで取材できたものだと。
読んでいると「詐欺」に対する感覚がマヒしてきて、けわしく燃えていた憎悪の心をいつの間にか冷ましてしまった。
彼らのなかに罪の意識がないのだ。むしろ、ムダに貯め込んでいるヤツらから、金を引き出して社会にまわしている善なる行為と、本気で考えている。
研修を受けている若者が、詐欺のどこが悪いのかと問われて答えに窮する場面がある。
「だって、お金だけもらって、それに相当するモノを渡してないではないか」と答えながらも、モノと交換にならない売買関係ならいくらでもあることにも気づく。
たしかに、具体物ではないものに、われわれは莫大なお金を払っている。
映画やお芝居や音楽にしても、客観的な基準によって数字に換算される何かがあるわけではない。
「感動」とか「元気」とか抽象的なものを得たといっても人それぞれだ。
100グラム何円とかで手に入るモノに比べたら実に不確かなだ。
美しいものに触れることができた喜びに支払うなら、有名な美術品も、アイドルのライブも同じだし、キャバクラにはまるのと、結婚詐欺の境目を確定するのは難しい。
夢を売る商売なら、負けてないぜ。
文武両道、かけがえのない高校生活、豊かな人間性の醸成 … 。
誰も数字で測ることができないものを、われわれは売り物にしているではないかという気持ちになってたら、こんなインタビューの文句が載っていた。
大学に入学したものの、経済的事情で進路変更を余儀なくされ、この稼業に足を踏み入れた若者の声だ。
~ 「俺はよくよく考えて、大学というか、高校も含めて学校ってもんが日本で最悪の詐欺だって思ったんです。もちろん大学があって教育を受けた人間が日本を支えてるっていうのは分かるんだけど。でも例えば、元々俺は薬学部志望だったんですけど、薬学部って6年制になって、親が全部払うと生活費なんか込みで2000万ぐらいかかるんですよ。もちろんそこそこ収入はあるけど、何年で元が取れるんだよって。
薬学ならまだしも、文系学部とかFラン(Fランク大学=底辺大学)とか、限りなく詐欺じゃないですか。高い金払わせて『なんとなくキャンパスライフ』って夢みたいなものを売って、そんで卒業しても元取れるような仕事がなくてですよ。『大卒者は仕事を選んでる』って言う奴もいますけど、それこそふざけんなって思う。大学にかけた学費と時間があるから、その割に合わない仕事は選べないのは当たり前だろ。」 (鈴木大介『老人喰い 高齢者を狙う詐欺の正体』ちくま新書) ~
もちろん本書の主旨は、虚業と実業の境目の曖昧さをついて、詐欺を正当化することではない。
若者たちが、なぜこんなにも「老人喰いのシステム」に絡め取られていくかという現実を明らかにするものである。
刻苦勉励して学問を積めばひとかどの人間になれる、経済的貧困から抜け出せる、裕福とまでは言えなくても真面目に働けば健康で文化的なそれなりの暮らしができると、多くの日本人が信じていた時代があった。
現代史の何年かのスパンをきりとれば、たしかにそういう社会は存在した。
でも、今はどうか。若者たちが多かれ少なかれ漠然と感じている格差と閉塞感は、こういう対策を講じれば解決するというものではなくなっている。
振り込め詐欺組織の面々の、能力の高さやバイタリティを感じるがゆえに、その力を別方面でなぜいかせないのかとはがゆく感じる。
彼らの置かれた暮らしぶりは、川崎市での少年殺害事件の背景と全く同じものであるはずだ。