水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

彼らが本気で編む時は

2017年03月05日 | 演奏会・映画など

 

  とりたてて行う人権教育の時間は、それように製作された映画を観てもらうことが多い。ただし作品は玉石混交で、これでは逆効果ではないかとまで思ったものも前にはあった。もちろん、よくできているものものもある。
 どんなジャンルの作品でもそうだけど、志と技量の両方が要る。どんなにアツい思いを持っていても、それを表現するに足る基本的な技術なしには、よい作品は生みだしえない。(なんかバンドに問題点を指摘されてる言葉みたくなってしまった … )
 その点、もともと商業用の作品は、どちらもクリアしてないと作らせてもらえないから、一定のレベルに達していることは間違いない。
 「その演出はちょっと … 」「もう少しセリフを練るべきだったのでは」「この役は、たとえば○○みたいな役者さんだったらなあ」というような教育用映画に感じられる物足りなさは回避されている。
 今思えば、昔のはきびしいのがけっこうあったなあ。
 それに今とちがって、そういうまやかしを許してくださる生徒さんではなかったので、大騒ぎになってしまい、こっちも若かったので「うるせぇ、静かにみれねぇのか、ぼけ」「なんだ、やんのか」「なんだ、その口のききかたは」「まあまあ」みたいなやりとりをしてしまって、どこが人権教育なんだろという時間だった。

 昨年は総合の時間を使っての映画鑑賞で「あん」を観た。
 小さなどら焼き屋を舞台にして、ハンセン病を扱った作品だ。
 劇場用に、樹木希林、永瀬正敏、内田伽羅、市川悦子、浅田美代子、水野真紀、太賀さんというキャストで、河瀬直美監督が撮った作品だ。派手さはないが、佳い作品だった。
 生徒さんたちも二時間弱よく集中していた。やはり作品そのものの力によるところは大きい。
 人権教育担当の先生方、グッジョブ!

 見終わった翌日に、こんどはこれを見せたらどうでしょうと進言したのが、この映画だ。
 性同一障害から、手術をして女性のからだを手に入れた主人公を生田斗真くん。
 その恋人に桐谷健太。よく知らないが、神がかり的に上手な子役の女の子。
 門脇麦、小池栄子というフィジカルの強い女優さんもアクセントになり、難しいテーマだが、エンタメとしても成立し、笑わせられながらも、途中から涙がとまらなかった。
 バラエティ番組に、おねぇ系のタレントさんが出ていたり、手術した方も出られて、時にはおもしろおかしく話をしてくれるけれど、どれだけ大変な思いをしてきたことだろう。
 「自分のことのように」思ったり感じたりすることはできないけれど(そういうことをしなさいというほど傲慢にはなりたくない)、想像する努力は必要だ。それは通常思いやりとよばれる。
 直接体験することが無理な場合には、本や映画での間接体験をするしかなくて、それらは、できれば上質なものがいい。上質な作品は、「そのテーマ」を越えていく。
 この映画も入り口は性転換手術をした主人公と周囲の人たちとの向き合い方だ。その周囲の人々もそれぞれにそれぞれの事情を抱え、乗り越えながら生きていく姿が浮かび上がってくる。
 基本的に、人と人とは異質なもの同士だ。たとえ親子であっても。異質な存在同士が、わかりあい、よりそうあうには、何か手立てはあるのだろうと最後には思いやらせられる、見事な作品だった。でも、どうだろう、「ララランド」や「相棒」ほどにはお客さん入らないのかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする