水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

チャレンジ

2017年03月16日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「チャレンジ」


 後悔することは大切なことだ。後悔できること、と言い換えてもいいかもしれない。
 「がんばる」ことでもたらされるのは成功ではない。
 がんばったという経験であり、その結果得られる成長だ。
 がんばった結果、たまたま運がよくて成功する場合もあれば 失敗する場合もある。
 それは紙一重の差であり、一見正反対に見える成功と失敗は、実は同じ方向に属している。
 「一番がんばった」と具体的に語れる経験は、ときに大きな後悔も伴う。
 ただし、やっちまった後悔は、だんだんと小さくなり、逆に自信の一部に変化していく。
 やらなかったことに対する後悔は、じわじわとあとを引く。
 しまった、やらかした、失敗した … と思い切り後悔できることは幸せなことだ。
 よく言われる言葉だが、成功の反対は失敗ではない。チャレンジしないことだ。


 ~  食べ終わった。激辛ラーメンと冷やし中華、ともに大盛りを一杯ずつ。餃子を一個と、炒飯をお椀一杯。 … 四十歳のジン先生も、麺の一本、ご飯の一粒、スープの一滴すら残さず、きれいにたいらげた。
  … そんな僕たちに、先生は「食いすぎたーって思ってるだろ」と笑って言った。
「後悔してるだろ、バカみたいに食ったこと」「 … はあ」
「でもな、腹はすぐにまた減る。もう一生ラーメンなんか食わないぞって思っても、明日になれば食いたくなる。で、大盛り頼んで、また腹がはちきれそうなほど食って、また後悔して … 次の日になれば、また腹が減って、ラーメン食いたくなって … その繰り返しだ」
 わかる。ほんと、オレらってバカ、と思う。
 でも、先生は「それでいいんだ」と言った。「そうなんですか?」
「あたりまえだ。高校生から後悔をとったら、なにが残る。いまのうちにたくさん後悔しとけ」 ただし、と真剣な顔で付け加えた。「やらなかった後悔じゃなくて、やっちまった後悔だぞ」 (重松清『空より高く』中公文庫) ~


 四月。東玉川高校(通称トンタマ)に、中年の教師が赴任してくる。
 名前は神村仁、自身もトンタマの一期生として学び、二十数年ぶりに教師として母校の土を踏むことになった。しかし、東玉川高校は今年度一杯で廃校になることが決まっていた。
 始業式のあと、学校長が神村を紹介する。「神村先生には、国語だけでなく、廃校に向けての『さよならイベント委員会』の指導もしてもらいます。」
 「だっせー」「そんなのやるのかよ」「かったりーっ」
 近いから、アツい高校生活を夢見たわけではないから、勉強も部活もそこそこでいいからと、廃校になることを知りながら入学してきた最後の代の生徒たちがリアクションする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする