将棋の世界で生きる人と、そうでない人との違いは何か。
少しだけ身近な問いに直し、「音楽の世界で生きる人と、そうでない人との違いは何か」にしてみようか。
自らの才能でおまんまを食べていく人と、そうでない人ということにつきる。
作家も、役者も、画家も、スポーツマンも同じだ。
われわれ教員には、彼らと同じ意味の才能は必要ない。
ひとたび教員になってしまえば、努力しなくてさえ基本的にお給料はもらえ続ける。
若くして才能を発揮して地位をつかんでも、練習しなければ技能はおち、仕事はなくなる世界のシビアさは、一般人にはない。
もちろん、一般人には手が届かない収入や名声を手に入れる可能性はあるが、本当に限られた方々以外は、通常それも手にできない。
音楽の世界なら、純粋のプレーヤーとしての収入だけで生活が成り立っている人は数えるほどだとも聞く。
なのに、なぜ~、歯を食いしばり~、君はゆくのか~、そんなにしてまで。
つい歌ってしまったが、もうそれは業(ごう)としか言いようがないだろう。
その生き方しかできない人たちなのだ。
そんな世界の中でも、とりわけ厳しいのが、実力によってはっきりとランク付けされる棋界ではないだろうか。
「自らの才能」とは、そこにある裸の自分そのものだ。
生まれも育ちも、ルックスも持ち物も、歌のうまさも足のきれいさも関係なく、自分そのもののぶつかり合いだ。
将棋盤をはさみ対峙する二人の棋士の有り様は、自分のすべてをかけて闘う、ほとんど格闘技の様相を呈していることを、この作品は見事に描く。ていうか、役者さんがすごすぎた。
将棋に関しては、戦術の一つも知らない。小学生のころ、NHK教育テレビでやっていた将棋番組はちょっと好きだったけど。おそらく、どの登場人物も、モデルとされる人がいて、うちに将棋部顧問なら、あの人は、この人はと全部説明できるだろう。
まったく知識がなく見ても、まちがいなく伝わる。
~ 届かない … 。だからと言って、努力しなくていいことにはならない。by佐々木蔵之介 ~
後編が楽しみでしょうがない。