コンビニで朝ご飯を買って、そのまましばらく浅田真央さんの映像を見ていた。
さまざまな大会での演技が映しだされる。同時に同じ頃の自分がどんな境遇で見ていたかむ思いうかぶ。
この演技は、修学旅行中に夜一人で見てて感動したなあとか。
卓越した技術と芸術的な美しさとが、これほど見事に同居していた選手は、いなかったのではないだろうか。
吹奏楽でも、技術的にはとんでもなく上手なことはよくわかるけど、音楽としてはそれほど胸を打たないという演奏もあれば、下手なんだけどなぜか感動するという演奏もある。
サウンドと表現が、真央ちゃんほどの境地に達している演奏に出会うことは、なかなかない。
高橋大輔さんと同じで、三回転とか一つもとばなくても、そのすべりを見てたい、むしろただ滑っててほしいと思う選手だった。ていうか、そんなにとぶ必要あるのか、あの競技は。回る以前にもっときれいに滑ってよといいたくなる選手もいる。
学校に着いてパソコンをひらく。
コーチの佐藤夫妻の「私たちにとって、あれだけ素晴らしいスケーターが一緒にいてくれたのは幸せだった。あれだけ華やかな選手はいない」とコメントしてるのを読み、お二方にも感謝の念がわいた。
自分たちのもとにやってきた浅田真央選手の天分がどれほどのものであるか、佐藤夫妻だからこそ、恐ろしいほどそれを感じ取ったにちがいない。相当な覚悟がないとできなかったお仕事だと思う。
どうみてもオレより頭いいなあと瞬間に気づく生徒さんに出会うことは多々あるが、彼らを曲がりなりにも指導せねばならぬと思うと、さすがに勉強を怠るわけにはいかない。だいたい、人にものを教えるという行為自体が恐れ多いことだ。
昨夜のニュース速報で知ったときは、ああ、そうなのかと思っただけだが、今朝車の中で号泣してしまったのは、一スケート選手の枠に収まらない物語を彼女が紡ぎ出し、日本中の人々に届けていた存在だったからだろう。
結果的に、彼女はその類い希な才能を、自分のためではなく人のために使ってくれたのだ。感謝しかない。